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眼は心と知識でみえている ジュリー・アンドリュースの眼

真実のみえる眼がほしい、これは二十歳ごろの私がよく口にしていた言葉。今でもその時の心の感覚や体温を、鮮明に覚えている。親元を離れて自立しようとしていた頃だ。
 
なぜそんな事を思い出したのか、それは『偉大なワンドゥードル 最後の一匹』(1974年ジュリー・アンドリュース著)の翻訳を読んだからだ。忘れもしない女優ジュリー・アンドリュース主演『メリー・ポピンズ』(1964年ビル・ウォルシュ監督)は、私が映画館で観た初めての映画だ。途中、アニメと実写が合成されて、子供時分には夢のように楽しい時間。彼女は東風に乗って空から傘で降りて来て、子供たちと乗ったメリーゴーランドの馬は、レールを離れて自由に草原を駆ける。子供の頭の中と夢と現実と映像と音楽が一体化する空間。私が映画というものを愛するようになったのも、一本目がこの映画だったからなのかもしれない。その彼女が、何冊もの児童文学を書いていると知ったのは最近。2008年に書かれた自伝「ホーム」が今年翻訳され日本で出版されたからだ。戦争、貧困、離婚、アルコール中毒、児童猥褻など、それまで語らなかった多くを明らかにして、それでも“家族”を描いている。ひとりの人間が、赤ちゃんから子供時代、親家族から自分の家族へと紡いでいく血と知と心。4オクターブの歌声で、10代から継父も含めた家族を自分が食べさせるんだと誓った彼女の底力。そんな彼女の書く児童書には、子供たちの、見たり、聞いたり、感じたり、味わったり、匂ったりを信じる心で溢れている。

「なんでさっきは、見えなかったんだろう。」「見ていなかったからだよ。どんな風に物を見たらいいか知っている人は、世の中に少ない。草は緑、空は青というのは誰にでも分かる。太陽が出ているのか、雨が降りそうなのかもすぐに答えられるだろう。だけどそれだけだ。実にもったいない。なぜなら、目に映るもの、手に触れるもの、わたしたちがすること、そして耳に届くもの、すべてに違いがあるからね。君たちには、物ごとをよく見て気がつくようになって欲しい。一度できるようになったら、やめられなくなる。この世で最高のゲームだからね。」(『偉大なワンドゥードル 最後の一匹』)


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