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陽炎

第1章 プロローグ

彼女Nと会ったのは95年に京都で会った時以来の事だった。
半蔵門線のK駅で待ち合わせをして食事をした。もちろん、これまでも会うチャンスはあった。お互い東京にいて連絡を取るすべはあった。それでも会う事はなかった。会いたい気持ちはあったが、会って何が始まる訳でない事はお互いわかっていたのだと思う。彼女は独身だったが、俺は結婚していたからだ。 

今、K駅で彼女に別れ、一人 駅のベンチに座り 両手で顔を覆っている俺がそこにいた。涙が出てくれれば気持ちも晴れたのかもしれないが、涙も出なかった。ただ、ただ心に大きな穴が空いたような気持ちだった。

取り返しのできない時間、どうしようもない空虚感・・・

Nは俺に言った。 

「あなたが、お母さんに結婚を反対されて、お母さんが結婚式に出席しないと言われた時、あなたは、それに固執していたけど、私はそれはそれで仕方ないと思っていた。」

えっ・・俺は絶句した。

「何故、あなたがそんなにその事に固執するのも分からなかった・・・」

遠い昔の話だったが、そんな風に思っていたと言う事を初めて聞いた気がした。 当時の事も思い出せなかった。そんな
話を二人でしたのかどうかも・・・

話は続いた、

「2つショックな事があったの・・あなたが東京から名古屋に転勤になった時・・・そんなタイミングで私に別の会社で働く話が来た時、あなたはそれを止めなかった。(私は止めて欲しかったの・・・)」いや彼女は、止めて欲しかった・・とまでは言わなかったが、俺にはその様に聞こえた。

26年も前の話・・・遠い過去の話で自分の中では風化してしまった話・・でも彼女の中では忘れられない話・・・

「あなたは、将来のことはわからないと言った。確かに将来のことはわからない。(でも未来をあなたに切り開いてもらいたかった)」 彼女の言葉にならない言葉が心に届いた。

「確かに勇気がなかったのか・・・」俺は訳のわからない返事をしていた・・・

先ほどから降り始めた雨が街を濡らしていた。

「雨音はショパンの調べ・・・当時、よく車の中で聞いてたね?」 自分でも何を言っているのかと思ったが、話をそらしたかったのだろう、1984年に日本でも大流行した歌だった。
確か松任谷由実の作詞で小林麻美が歌っていたアンニュイな雰囲気の歌だった。84年・・・会社に入って3年ほどたった時だから、俺がNと付き合い始めた頃・・・だと思う。

もう外はすっかり暗くなっていた。


第2章 京都での再会

それは突然の電話だった。Nと連絡を取らなくなってから何年経っていたんだろう。名古屋の勤務から大阪に転勤しそして京都へ異動した時だったから、4年は経っていたんだと思う。

振り返れば、俺は東京から名古屋に向かう新幹線の中で
無理を重ねてきた恋に別れを告げて、新しい恋を見つけたら、
その恋に身を任せようと決心していた。 Nから連絡があったのは、名古屋で知り合ったKと付き合って数年経っていた頃だった。

思い出すに、ちょうどその頃、母親がNとの結婚に反対していた事を「申し訳なかったと・・・」と謝ってきた。実家との断絶時期が数年続いていたからだ。今更、謝られてもと思ったが、言ってみれば、その時点で母親は俺とNとの結婚を認めたのだ。

しかし俺はNを選ばなかった。 何故・・・後戻りする勇気がなかったのか? Kに気を使ったのか? そこまでの熱が冷めてしまったのか?決断ができなかった事だけは間違いない・・・

Nは言った。「もう一度やり直せない?」 はっきりとこう言ったかどうかは記憶にないが、間違いなくその為に彼女はわざわざ東京から京都まで来たんだ。京都タワーの下で待ち合わせ
京都を色々回ったんだと思う・・どこに行ったのか?今では
覚えていない。

ただ思い出すのは、それよりずっと以前・・・そう結婚を決める前に京都観光をした時の事だ・・・渡月橋を振り返らず渡り切ったら夢が叶うと信じて・・・二人は結婚できますようにと振り返らずに渡り切った事だ・・・

でも、その言い伝えの本当の意味は、昔の京都の風習で、
13歳になった子供が渡月橋の先の法輪寺でお坊さんから知恵を授かり、帰り道の渡月橋で振り返らずに渡りきったら、授かった知恵が失われないと言う話だった。

その事実を知ったのは、つい最近のことだった・・・


第3章 最初の恋

俺の中学時代は人生の中のモテ期だった。 塾に行けば帰り道を女の子が後を追いかけて来て告白された。バレンタインの時も大変だった。そんな自分も本当に好きな人には何も言えなかった。その時に大好きだったs・・・俺はそのSの一番の友達Hに告白された。SはHが転校するからHは告白したの・・・彼女と付き合ってあげてと言った。「俺はお前が好きなんだ!」・・・そんな事を13歳の俺が言えるはずがなかった。

「うんわかった。」と言ったかどうかは覚えていなかったが、結局Hとは付き合う事はなかった。何故かHからはバトンとキスマークのついたHの写真をプレゼントされた。 キスマークにドキドキして唇を重ねている俺がいた。げんきんなものだ・・・

Sは俺の初恋の人だった。そのバスケットボール部に所属していた。俺の通っていた中学は、2つの小学校から集まってくる中学校で彼女は自分とは別の小学校の出身だった。

男っぽい印象の彼女だったけど、時折見せる女性らしさは、男っぽい印象もあって逆に際立って女性っぽい感じがした。
俺は、彼女を当時好きだった南沙織にイメージを重ねていた。

中学3年でクラスが別れる時、彼女に告白された・・・「好きだった」と・・・俺は何も言えなかった。ただ茫然とするだけだった。 

俺の中学時代は終わった。

そして高校受験に失敗した俺は、私立の男子校に通う事になる。当然、女子との付き合いは全くなかった。暗い3年間を送った。

大学に行ったら遊んでやるぞ!それだけだった。高校受験で全てのエネルギーを使い切った自分は、高校時代は勉強に力が入らなかった、ただ高校自体が塾の様な高校だったのでそれなりの大学に入学する事ができた。

そして大学時代、すでに俺のモテ期は完全に終わっていた。
ただ、ただバンド活動とバイトに明け暮れた。

そんな中で、俺は2人の女の子好きになった。一人目は、大学一回生の時、神戸の学校に通う途中で同じ電車(大阪環状線)に乗って来る、オーバーオール(今ではほとんど見ないが・・)の似合う女の子だった。

キャンディーズの蘭ちゃんに似ていた彼女は、後に大学でも有名人になった。やはり人の目を惹きつける何かを持っていたんだと思う。 

二人目は二回生の時、地理研究部に所属していた大分県出身の地味な女の子だった。友人からはなんであんなのが好きなのか?と言われたが好きなものはしょうがなかった。彼女は大学時代を通じてずっと好きだった。

自分の中では当時流行っていたアメリカのロックバンド、フリートウッドマックのスティービーニックスにイメージを重ねていた。 結局キャンディーズの蘭ちゃんにもスティービーニックスにも完全に振られてしまうのだが・・・

そんな中でも、バンドのギターの友人から神戸のお嬢様学校の女の子を紹介してもらってしばらく付き合った事はあった。
しかし、彼女は造船所の社長の娘で何か住む世界が違う気がした。しばらくして彼女は、前の彼氏とよりを戻して俺の前から去って行った。俺は彼女のことは嫌いではなかったが心のそこから好きと言う感情はなかったのだと思う。それは当然見透かされていたのだろう・・・

大学をなんとか卒業でき、次に待ち受けている関門は、就職だ! 就職氷河期でもなかったと思うのだが、俺を採用してくれる会社はなかなか現れなかった。何十社と面接に落ちたが
俺を拾ってくれたのは、今の会社だった。もう一社、大手家電メーカーからも内定を受けたが、この会社は東京に転勤になったらもう戻ってくることは難しいと言う噂があって、うちの両親が反対したので、俺は今の会社に決めたのだ。 人生はやはり分からないもので、地元で働くことは、この会社でも叶わなかった。(数年は大阪勤務はあったが・・・)

最初の勤務先は赤坂の支店だった。大阪人の自分には、華やかな街でワクワクしたものだった。


第4章 華やかな街

赤坂支店は、赤坂見附の角にあってよくTVの撮影に使われる陸橋が目の前にあった。 ある時は有名な女優さんの着替の為に部屋を貸してもらえないかと撮影隊の人がうちの会社に来たこともあった。 赤坂にはTBS、麹町に日テレがあって
大阪人の自分には全てが新鮮だった。

彼女Nとは赤坂支店で出会った。 一目惚れだったと思う。
当時流行っていた白いストッキングが目に眩しかったことを覚えている。

自分にとって東京の女性の話す東京弁は新鮮だった。すっかり俺は彼女に夢中になった。 当然、職場での交際はハードルが高く、彼女と付き合うまでは時間がかかった。とにかく
押して押して押して と自分なりに頑張った。

それから東京時代の9年間のうち6年間位の付き合いだったが、二人は最後の最後まで会社の人に付き合っていることがばれずに付き合いを続けた。 

彼女は友人も多く、友人との付き合いを優先したので、なかなか思う様にデートをしてもらえなかった。彼女との付き合いは、こちらが一方的に押して付き合っていた様に思う。

自分としては、頑張ったのではないかと思う。 付き合い始めた?自分ではそう思っていた。最初の頃、彼女が友人と北海道に旅行に行って羽田空港に彼女に内緒で迎えに行った時
、女性だけの旅行と思い込んでいたのだが、男性も数人含まれたグループ旅行であることが分かり、非常に気まずい気持ちになった事を今でも覚えている。 

それでも俺はめげずに頑張った。

ディスニーランドが日本にできたのもその当時だった。
彼女と何度もディズニーランドに行った・・・
ディズニーランドは日常生活から離れた夢の世界...

楽しい思い出・・・・ 
第5章 エピローグ

俺はK駅のホームで何本も電車を見送った。 

取り戻せない時間・・・

俺も年をとったし、彼女も年をとっていた・・・

それでも笑った顔は昔と全然変わらなかった・・・

この心の穴を埋めるには、どうして良いのか・・・

彼女は言った・・・お互いの気持ちが少しずつずれてしまった

それがなかったなら・・・今は違うものになっていたと思う・・・

ただ、彼女は、ただただ感謝していると繰り返した・・・

その言葉に俺はどう返して良いのか分からなかった・・・

俺は彼女を幸せにできなかった・・・その事実は変わらない・・

胸が張り裂けそうだった・・・

いっそ泣ければ良いのだが、涙が出なかった・・・

東京の街は久しぶりの雨に泣いていた・・・

静かな夜・・・あの歌を思い出す・・・

Rainy days 断ち切れず・・・

窓を叩かないで・・・


雨音は、ショパンの調べ・・・

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