部屋の生花も、枯れこそ一つの楽しみか 第1章の4

 5月は薫風の頃、道端に見られる多くの木々に、日照とともに伸びゆく草木が目に入る。その若葉の色には、さわやかで生き生きとした活力感を感じさせる。若葉色と名付けられるが、「若い」という印象が込められていることに、伸びるという成長感と今後の発展の意が期待されるのである。
 この5月には、勢いづく葉の成長のほかに、さまざまな花の開花がある。桃色、紅から橙、黄色、藤色など花の種によって色は異なり、花びらの形や大きさによって趣を違えるが、共通するのはどの花にも咲き誇る時期にはその華やかさが迫ることである。
 4月初旬のソメイヨシノの満開時期がその華やかさの最たるものであろうが、桜はその後もしだれ桜、八重桜、ボタン桜など、洛内では5月に入っても多くの品種の開花を目にすることができる。桜という花への意識は、こうした時の移り変わりという時間の軸を含めることで思いが深まる。
 1つの花の移り変わりを意識してみると、横断的に色々な様態を呈している。枝に固く付く蕾に始まり、蕾のふくらみ、はち切れんばかりに膨らんだ蕾、そして開花、新鮮な色合いの花びらが、色褪せた花びらに変わり、落花あるいは萎れて行く。こうして、花の咲き誇りは終焉を迎える。
 しかし、次には既に若葉の芽が出て、若葉の盛んな時期に変遷する。初夏から真夏ともなると、若葉の色は深まり深緑の頃となる。秋には、色づき始め、葉も次々と落ちて行く。そして、枝のみとなる。こうした枯れという外見の変化には一見わびしさも感じるが、その内面には最小の体勢のもとに冬を迎え、次の春を待つという強さがあるのである。
 こうした木々、花々の移り変わりを意識することは、季節感豊かな日本人には最も得意とするところである。感性の繊細さから草木の移り変わりに時の断面ごとにその美しさを意識する。先人はその移り変わりに感動を覚え、短歌や俳句という手法を用いて、意味深い言葉に表現してきた。掛詞などから恋心や人生の経過を草木の移り変わりに投影させるものも数多くある。
 また、季節感そのものを粋な言葉に内包していくことも、日本の先人のたちはしている。1年の二十四節季としての表現である。元来は中国の暦学から創案されたが、日本に導入されてから、季節の移り変わりの表現法として巧みに使われるようになった。5月のこの時期は、立夏、小満、芒種と呼ばれるように、2文字の単語に季節感を集約させ、二十四節季の単語のそれぞれにその時期の季節感のイデアが意味付けられている。これによって、時の経過とともに、今過ごしている時期がどのような季節であるかを観念的に理解される。
 人はまた、気温や湿度、周囲の木々、雲、鳥の囀りなど自然を実体験することで、その年と二十四節季と照合し、観念的な季節と実体験の季節との共通点や相違点を認知していく。ここに、年ごとの季節の移り変わりを楽しむといった趣が深くなるのである。
 ほかにも、季節用語は数えきれないくらいあるが、この時期では薫風、夏も近づく八十八夜とか、菖蒲湯、ホトトギスなどであろう。こうした言葉は、俳句での季語としても位置づけられ、季節感の堪能に用いられている。さらに近年では、自然に限定された季語でなく、ちまき、鯉のぼり、母の日とか、季節行事からフィードバックされて生まれたものもある。ここに、生活と季節を一体化させてきた先人たちの素晴らしさに日本人としての誇りを思うのである。
 草木の楽しみに切り花がある。草木や花は切り花として、花瓶に立てられ、その趣を味わうのである。これによって、屋内にも花の味わいが楽しめる。
 花瓶に入れられた花は、その華やかさが味わいとされるが、蕾から開花し、枯れていくまでに、期間は限定されている。生けられた花が、ほぼ萎れてくると、捨てられ、次の花に変わる。そこに無常観が漂うが、それこそが時の移り変わりである。歴史の中でこの現象を随筆にまとめた大書は多い。
 そこで、これについて現代社会的な視点からとらえてみたい。

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