京都東山トレイルはもどきが楽しい 第3章の1

 歩くことは、生活習慣病や認知症の予防効果もあることや健康維持にいいとよくいわれる。先人たちの移動の常套手段であった「歩くこと」が、今になってどうしてこんなにウォーキング効果のエビデンスとして出てくるのかというくらい、最近は歩くことの良さが巷にあふれている。しかし、これには大きなネックがある。歩くことを楽しいと認識できることである。楽しくなければ継続できない。まさに三日坊主である。
 歩くことを意識して、車を使わず、公共交通機関を積極的に使いはじめると、バス停や駅までは歩かねばならない。当初はこの歩くことが辛かった。歩くことをネガティブイメージに捉えていたからにほかならない。歩くことが何よりも劣等な移動手段だと決めていた。歩くことが光らせていたポジティブイメージに全く気づかなかったのである。
 京都に住む前までは、車による移動しか頭に浮かばないような生活スタイルであった。今から思えば信じられないくらいの移動パターンである。歩いて5分ほどの小規模のスーパーに車で出かけた。それもスーパーには小規模であっても必ず比較的広い駐車場があり、車で買い物に出かけるといった行動様式が前提になっていたのである。すべてがこのパターンであると、歩いて出かけることは先ずない。歩くことは、病院内の移動や大型スーパー店内での移動ぐらいなものとなる。
 当然、家族は1人1台の車を持ち、各自が車で移動することになっていた。それが京都では、月極の駐車料金は非常に高額で、とても1人1台感覚で車を所有しようとまでの気にはならなかった。自家用車による移動手段でなくても、自転車、バス、地下鉄、JR、タクシーなど手段は多い。以前の居住地でもそうした移動手段は全て揃っていたものの、全く使う気にはなれなかった。その違いは「車が全て」に嵌っていたからにほかならない。外出では、玄関を出て自家用車へ直行であった。この移動パターンを変えたのが、マンションの玄関を出ても既に自分の車がなかったことであろう。
 自分の車がなくても家族としての車が1台あるが、いつでも使えるわけではない。自分か妻か、どちらか移動に使う際の優先順位で使用者が決まる。自分が使うと、車は一日中病院の駐車場に埋もれることになる。結局、自分は車を使わないことになる。しかし、ここにわがままこころが頭をもたげる。車は使っていいから職場まで送って行ってというパターンを思いつくのである。こうして、朝は病院まで車で送ってもらうという移動手段が長く続いた。時には、帰宅も時間が合えば迎えに来てもらうことにもなる。
 歩くという移動手段をネガティブなものからポジティブなものに変えたものは何か。

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