ご存知オフコースの名曲に(老人の呟き)という曲がある。 懐かしく聞いていたら二番の歌詞で、(もう一度あの頃へ 戻りたいと思うこともない。私の短い人生は 私の生き方で生きたから。) 妙に納得させられた。彼らはコレを書いたのは若い頃だったはず。凄い才能だ。先日、50年ぶりに会った高校の後輩との話の中で、不思議な巡り合わせを感じた。彼は知らぬ間に脚本家となり映画も監督していたのだ。某局のシナリオコンクールの審査員もしていたという。 僕が30代の頃養成所でシナリオ修行していた頃、
もう30年も前の話。ただ会社を辞めたくて、しかし何もやりたい目標がなくブラブラしていたある日、新聞にシナリオライター養成所の広告を見つけた。そこには花形の売れっ子ライターの名前が連なっている。 どんな仕事なのかさえ把握してないのに入門していた。 基礎講座、そして本科、研修科へとすすむ。課題のシナリオを20本書いたが、段々としんどくなってきた。小手先の思い付きだけでは、人が見て心を惹くドラマの真相には迫れないのだ。人はそれを才能が無いと言う? スランプから抜けられず、研修科
ふと、クリスマス音楽フェスを思いつく。 あまりにも突飛で壮大な妄想だな、と思っていたのだが人に話しているうちに、妄想じゃなくて実現しましょうという反応が返ってきた。 若き教会関係者なのだが、面白いと言ってくれた。 彼なら充分実現してくれる力が備わっていると僕は思う。 どうせ生い先短いこの命。生きているうちにこの目で見る事が出来ればしめたもの。思いついたビジョンを具体的な言葉として、キーマンに詳しく話した。 これで種まき完了。後の余生はコツコツ水やりだな。 これまで生きて来
デイサービスに歌謡曲の出前ボランティアを始めて10年たった。母が世話になっていた頃からのお馴染みさんもいらっしゃるし、新顔さんもかなり見かける様になった。 その新顔さんの中に、問題の(仕切り屋婆さん)がいて一緒に歌を楽しめない空気にしてしまう。なるべく知らんぷりして演奏を続けていたのだが、遂に被害者が現れた。歌集を破いて退場する別のお婆さん。さすがに歌いながら動揺したが、その仕切り屋さんの本音がやっとわかった。 僕は声をかけた。 (お母さん、今日も飛ばしてますね〜!血圧大
デイサービスの歌謡訪問は、フェンダーを使っていた。 理由は左手の負担がマーチンより少なくて楽だからだ。 フェンダーを譲ってくれた友人からダダリオの弦を頂く。 アドバイスの通りマーチンに装着したら、指が痛くならないのでコレでいこう!となった。出番が無くて寂しげだったマーチンがイキイキしているのがわかる。弦の張りはソフトで音のキレも若干緩いが、歌謡曲の伴奏には申し分ないはずだ。 今回は水前寺清子の三百六十五歩のマーチを歌集に加えてみた。御高齢の皆さんは座ったまま、そして歌いな
月に2回ほど、地元のデイサービスにフェンダーとアンプを持参して昭和歌謡を一緒に歌うボランティアをやっている。人生の大先輩の皆さんは、目を輝かせて楽しそうに歌ってくれる。それを見ながら僕も楽しく演奏させて貰っている。 以前から購入していたエフェクターを使って、試しに色々音作りをしてみた。エレキっぽい感じが気持ちいい。 果たしてご高齢者の皆さんは、どんな反応をするだろう? 期待と不安が交差する。しかも明日は初出演の場所だ。 水戸黄門と東京ブギウギで盛り上がるといいが。
先日の小学校のクラス会の席で言い足りなかった想いを綴ってみました。 http://blog.livedoor.jp/kiminobu0408/archives/52333114.html