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ストラスブールのベアショルダー                 40年前の自分へ(1)

 振り返ってみると、ずっと繊細すぎ、あるいは天性の鬱症だった、と思います。自分のことをそう表現するのはあつかましいですが、そのせいで随分つかれました。いまでこそ、なんとか症候群という名称をもらってやっぱりそうだったか、と安心する繊細さんや鬱症のかたが多いと思いますが、私が聞こえない気配や物音がきになったり、将来が不安でたまらなかった中学生のころは、もう四十年も前、いえ五十年まえ。精神科へ年頃の子供がゆくのは考えられなかったし、親もつれていってはくれませんでした。母になんどか自分は精神病院へ行ったほうがいいんじゃないかと、自分の中の不安感に押しつぶされそうになったとき懇願したことがありました。が、母の答えは、精神科なんか言ったら病気にされちゃうよ、というものでした。
 病気にされては困りますし、楽になりたいのに病棟や何処かに閉じ込められたらもっとひどいことになりますから、仕方ありません。母は終始一貫、そういう人でしたから、私の不安や暗い気分に対して、直接それがなんであると名称をつけたりすることはありませんでした。気分がすぐれないのは、必ずなにか理由や引き金になることがあるからで、たとえばそれが悲しい出来事だったり、嫌な思いをすることだったり。そういうふうに考える人でした。そういう時、母はホットケーキを焼いてくれました。ホットケーキミックスが自宅になければ、卵白を泡だて、少しの小麦粉と卵と、そして水。シロップは、上白糖と水を煮詰めたもの。バターすらなかった時もあります。それは、いま考えると、母自身にも似た症状(症状と呼ぶのは嫌なのですが、母も同じようにふさぎこんだりうごけないことがしばしばありました)があったため、買い物に行く気にならなかったのだと思います。
 ごく幼い頃はそれはそれはおいしい食べ物でしたが、中学生となると反対にその手をかけないホットケーキが、嫌になりました。それがきっかけで私は冷蔵庫にはバターをきらさない大人になろうと考えました。母の気持ちは嬉しいのですが、子供ってそういうものですよね。母は母で、自分に似た気持ちの問題で塞ぎ込む娘に何かしたくてしてくれたのに、だんだん反応が遠のいてゆくようで寂しかったかもしれません。まあ、しかし、母には、最期の時まで試作のパンを持っていったり、出来合いのおせち料理には伊達巻やブリの照り焼きなどを手作りで添えて持って行っていたので、わかってくれたかもしれませんが。

 繊細すぎる話に戻しますが、ちかごろなんとか症とつける、診断する、受診する、診断を受けるという方が増えていますが、すこし心配しています。事実はわかりませんが、シングルマザーのお母さんが自治体の勧めで受診した結果ADHDと診断され、子供と引き離されたという話を読みました。閉鎖病棟に入院し、投薬を受けた結果無気力になって仕事を辞めざるを得なくなった、と聞きます。子供への加害を予防するための措置だったのでしょうか。
 母の話をしましたが、母が私を病院に連れて行かなかったのには、今は感謝しています。勉強は、秀才ではありませんが、自分の周囲以外の世界をしるのにとても役立ちますし面白いので、好きです。ただし、自分の興味のあるものに限ります。それ以外、たとえば数学は、おもしろいしのめり込みますが、簡単な暗算のできる程度のものには興味はわかず、就職した最初の会社では周囲に迷惑をかけました。そんな風でしたので学校の成績で問題がおきるようなことはありませんでした。そのおかげ、といいますか、そのせいで、努力がたりないというふうに認識したのが間違いの始まりでした。努力してもどうにもならないことは、早めに『最大限の努力』をするのをやめて失敗しない程度に留めておくべきです。 

 母に感謝するようになったのは最近のことです。経験やたくさんの方からの助言があってのこと。最初はひどい頭痛がきっかけでした。ある晩、頭が割れるほど痛くなり、何か心理的なものも作用したのでしょう、いてもたってもいられなくなり夫に救急車を呼んでいいかと頼んだことがありました。当時社宅に住んでいて午前2時だったことから、早朝の仕事が終わったら戻るから待っていてくれと夫に懇願されました。ベランダのプールで遊ばせていただけで怒鳴り込まれる環境でしたから、仕方ありませんでした。人生でこれほど飲んだことはない、というくらいに薬をのんで紛らわせました。そして夫が調べた頭痛専門の個人医院へ行きました。あいにく週一回都内からやってくる専門医の当直の日ではなかったのですが、医院長が診察してくれました。じつはその頃にはだいぶ痛みはひいていたのです。しかし、医院長はたくさんの患者さんを見てきて、そして専門医とも話をしていて、きっと私をみて頭痛のタイプの予想がついたのでしょう。専門医の診察日にまたおいで、といいながら、いくつか教えてくれたことがありました。それは、①頭痛薬は飲みすぎてはいけない。医学的知見はまだないけれど、オーバードーズは将来ボケの引き金になる可能性を秘めているということ。②精神科の受診は気をつけたほうがいいこと。まず投薬されるけれど、それが『君の求める症状の緩和には繋がらないことがある』ということ。でした。         この日は専門医のかかれた本を買ってかえりました。頭がいたいと、いろいろ考えてしまいます。熱がでるとつらいですが、それで眠ることができます。目が覚め熱が下がれば快癒したことがわかりますが、頭痛は少し違っていて、痛かった時の思考がまるで過去の記憶のように残ります。だから辛いのですが、そういった身体的な辛さと精神的な傾向をすこし緩和してくれる本でした。頭痛はつらいですが、悪いことではなく、うまく付き合うものだとわかりました。今も手に取ります。図らずも、母が私を精神科へつれてゆかなかった判断に、明確な理由がつきました。

 『話が逸れたね』とか、『関係ない話がおおくて長い』とよく言われますが、私にとっては直接主題に関わる話ではなくても、判断基準を決定づける背景や雰囲気を伝えるものだから必要なのです。必要なことだけ見て、それが起こす因果関係だけを判断していては、人生は数式より簡単で趣すらありません。数式が美しいのは限られた要素の中だけであれほどに純度の高い変化がおこるからではありませんか?

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