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【サブレ】憧れのバタークリーム

 手前は、メープルシロップ+白胡麻。 奥は、ピスタチオクリーム+胡桃。
ビスケットは全粒粉とアーモンドプードルを入れたハード系。
久しぶりに小麦の香ばしいお菓子が食べたくて作ってしまった。
ビスケットと言ったが、水分を加えずバターと砂糖と卵だけで成形したサブレである。歯応えがあって、小麦の皮の香りが美味しい。少し前のエリザベス女王の在任70年のお祝いのとき、ビクトリアケーキを焼いた。この時挟んだバタークリームが思いのほか美味しかった。

 思いのほか、というのは、私たちの世代にはバタークリームといえばアレという強く連想させるものがあるのだ。不二家のクリスマスケーキ! クリスマスをキリスト誕生祭という宗教的な行事から、家庭の子供のためのイベントに様変わりさせたキーアイテムだ。月給制で働くサラリーマンが、職人や商人のように仕事の名称として確立した昭和三十年代後半、東京オリンピックがあった。サラリーは月給、それをもらうために働く人のことで、はじめはやや揶揄する意味合いもあっただろう。クレージーキャッツが『サラリーマンは気楽な家業ときたもんだ〜♪』と歌ったことからもよくわかる。自分の仕事はこれです、という大工だの、魚屋だののように身近な手仕事や生活に直結する仕事でわかりやすく子供たちの憧れになった仕事に代わって、父親がどんなことをしているのか分かりにくく、わかったところで会社全体の業務どうかかわっているのか雲の中のだったサラリーマンという職が、れっきとした仕事になった頃だ。
 夕方になり解放された親父さんたちは、くれなずむ駅前の養老の滝や立ち飲みで、いっぱい引っ掛けていく。わかりにくい仕事の親父さんたちは、それなりのストレスを持っている。今日は何匹魚を売ったとか、柱を何本磨いたとか、手元箱をいくつ仕上げたとか、潰した時間の価値を確信できないまま家に帰ってきたものの達成感はないのだから仕方ない。一杯で止めれればいいものの、二杯、三杯となかなか足は家は向かない。
 そんな時、不二家は遅くまで開いていて、十字に紐をかけた小さな小箱の免罪符をお父さんに提供していた。

 これがクリスマスとなると、店内のみならず店先にも大きなクリスマスケーキ箱の山が進出した。
 この頃のクリスマスケーキはバタークリームが主流だった。ピンクや緑、オレンジに着色したクリームがクリームコーティングしたホールケーキに薔薇の形に絞られ華やかにしていた。サンタの家はウエハースでできていてる。土台はかためのスポンジで間にはさまっていたのはたいていジャムだった。それもマーマレードだった気がする。
 あの頃のクリスマスケーキは、今のようなフレッシュなものじゃなく、いま思うとそれこそビクトリアケーキにデコレーションをしたようなものだった。味の濃さはどちらかというと大人向けで、いちごじゃないジャムの強い香りに顔を顰めた記憶がある。が、イギリスでもイタリアでもドイツでも、クリスマスのお菓子はそういうものだ。クリスマスプディング然り、パネトーネ然り、シュトレン然り。どれも焼いてからしっかり梱包して熟成させたり、長期間かけて食べたり、そういう趣向で作られた伝統のお菓子が多いのだ。ケーキそれ自体が西欧からの輸入なのだから、この頃のクリスマスケーキの発想もそこから来ていても不思議じゃない。クリスマスプディングもシュトレンもスパイスが強くて美味しいと食指が伸びるようになったのは最近のことだから、形を華やかにしても味覚に敏感な子供向けではなかったのかもしれない。

 さらに、クリームには未体験の柔らかく、色とりどりの花に絞られたふわふわの食べ物には想像が走ったが、口にすると案外脂っこくて、バターにすら慣れていなかったあの時代に閉口した子供も多いのでは。そこに、クリスマスの需要に対応するためクリームまで仕上げたものを冷凍している、という噂が巷に広がった。一挙にバタークリームの人気が落ちた。そもそもバタークリームは嫌いだったのよ、とこの時とばかりに声を上げた女子たちもいた。

 数年前、アメリカンカップケーキがブームになったがこの時の先入観が残っていて、そそられることはなかった。
 ところが、バタークリームと一辺倒に読んでも、レシピも作り方もいろいろあることがわかった。ビクトリアケーキ以来のことである。卵液を先に作りコンデンスミルク的なものに仕上げてからバターに加えるという繊細な作業を経るだけあって、美味しくないはずはない。さらにバターもブランドによって脂肪分量もかわってくるし口当たりや、グラスフェッドだと脂肪の香りが軽くて違った味わいになる。バタークリームは生クリームよりも保存がきくし、柔らかくなってしまった時は冷やせば元の硬さに戻る。糖分を加えるときの砂糖や卵の温度が高いと、バターが溶け取り返しのつかないことになるが、それさえ気をつければ扱いやすい。小学生の頃にはコッペパンにバタークリームを絞ったのが好物だった。

 今回はプレーンなサブレに挟んだがカカオパウダーを入れて焼いたチョコサブレに、ドライいちごをバタークリームに入れたものを挟んだら美味しそうだ。いちごの代わりにオレンジの皮も香りが合いそうだ。
 サブレ生地にシナモン、クリームにはりんごのコンポート、これもよさそうだ。
 甘くないのも面白い。ブラックペッパーのクッキーにブルーチーズ入りのクリームとか、
 想像は広がる広がる。

 美味しさよりも、華やかさが勝って倦厭していたものに半世紀を経てまた出会った感じ。バタークリームは副材料を優しく受け入れてどんどん変幻自在する。
 しばらくはこの高カロリーのスイーツと、ウエイトコントロールのせめぎ合いが続きそうだ。


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