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【小説】紫金石

 僕がよっちと一緒にならなかったのは、簡単、今の時流に流されたくなかったんだ。のちのち、あの時涙袋を可愛いよっちと一緒にならなかったことを死ぬほど後悔したとしても、これしか今は決断できなかった。

 僕はバイセクシャルだ。
 バイと云ったとたん、僕のアイデンティティーは分裂する。まるでアメーバーの細胞分裂だ。二つならいいけど分裂を容認する瞬間にいくつものそれは生まれるから、僕は複数の人格と嗜好性を持つことになる。
 あっちの嗜好性をぼんやりと確立した時よっちと出会った。どっちでも良かったんだ、別に女の子でも、男っぽい女の子でも、女に生まれてしまった男でも。そんなことはなんでもよかった。僕はそのことの執着することで、あれのもつ毒々しい華々しさとか、頭の中っでスパークする魅惑とかに惑わされたくなくて。ただ純粋に僕の輪郭のないアイデンティティーにそっとフィットして、強く主張しない誰かを探していた。人は一人では生きてはいけないからね。
 よっちはすごいんだ。僕からみたら怪獣。彼の外の世界のことは何にも理解できないさ。彼の取り巻きも、彼の作るうものも、彼の口から吐き出される言葉も、何一つ理解できない。
 でもね、僕は彼の全てを理解できるんだ。
 彼の、根っこにある、ふわふわの元凶、それがわかる。
 柔らかくしなやかで繊細、人の言葉でたやすく形を変えてしまう弱さ。
僕はそれを一つ一つ撫でてやって、きちんと存在させてやるんだ。そうすることでよっちの創造性とか、時代の鋒に立つ資質とか、食指の先で硬くなって形になるのを知っているからね。
 僕にとっても、よっちはかけがえのない存在だ。
 僕が存在することは誰のためでもなく自分のためで、何をしなくても存在することに価値がある、とわからせてくれたのはよっちだ。だって僕以外によっちを存在させられる人間はいないのだからね。
 だからよっちと一緒になるのはごく自然な成り行きだと思っていた。
 それによってこそ、僕が世間で生きられる、唯一の確かな方法だと思っていた。

 バイセクシャルとアセクシャル、その境界はなんなんだろう?僕という人間があって僕の嗜好性があるから、僕は定義を誰かに任せない。レッテルに合わせて自分の癖を作る人間があるだろうか、あればエセヘキだ。エセは『似非』と書くんだよ。本物じゃない。当てはめようとしたってダメさ、はみ出た部分がうるさい。
 よっちとはずっと離れられない。こういうのをソウルメイトというのじゃないか。ツインレイとかソウルメイトとか色々言い方があるけど、僕にはよっちがこの世に存在するとわかっているだけで安心する。人間はひらりと天から海原に降ってきた一本の糸で、ひどく孤独なんだ。落ちてくる時も、消えてなくなる時も一人なのだけど、よっちを思うと僕は全部と繋がっている気がしてくる。

 僕がアセクシャルでくなったのはよっちに出会った時だけ。それともう一人、Akkiに出会った時だ。男と女のあれはペアとして生きてゆくためになあくてはならないものらしく、肉体が求める機能のせいでそれを駆動させるケミカルが体の中をかけめる時僕じゃない僕が皮一枚下で蠢くのを感じたんだ。それはいつもの僕じゃない、もっとチョコレート色の何かに押し流されいつか自発的に流れてゆき、気づけば僕を乗っ取る存在だと思った。もう戻れない暗さを抱えていて、思わず僕は扉を閉めた。

 Akkiは小さくて可愛くて、アリンコみたいに意味のない存在なんだ。存在することに何の意味がないと思っていた僕にそうじゃないとよっちは教えてくれたけど、僕は僕以上に意味のないAkkiが可哀想っだった。
 可哀想って、それ自体Akkiの存在証明なのだけど、僕があの子を可哀想と思えば僕もAkkiもそこにいていいってことになる。
 Akkiは女の子だけど、心は男の子で、そんでもって3歳の男の子を一人で育てていた。可愛くて、可哀想で、勇敢なんだ。Akkiも彼女の不明瞭な輪郭を他の人になんて説明していいかわからなくなっていた。ある時、区役所の人が彼女のところへ来て 「大丈夫ですか」と、大丈夫じゃなさそうな顔で訊いた。息子が平均より小さいのと、顔色が悪いのと、近頃保育園を休みがちだったのが、気に入らないんだ。

 僕が子供だった頃、母が近所のお兄さんのことを言っていたことがある。
「お腹にいた時お母さんはとても不安だったのね、だから女の子みたいなあお兄さんになったのね」
 僕はお兄さんのお母さんは偉いと思った。だってあんな優しいお兄さんを産んだんだから。
 そして母は、お兄さんの、すごく臭い実のお兄さんが家の前を通ると「まぁ」とか言って顔を伏せるふりをしてじっと見ていたのを僕は知っていたんだ。
 もう何がなんだかわからなくなったのはそれからで、僕は優しいお兄さんが好きであんな人になりたいと思っていたから。だけど絶対お兄さんのお兄さん見たいな、歩くだけで空気を汚すような男にはなりたくなかったし、なるつもりもなかったなるつもりもなかった。僕のお母さんが、その頃もずっとそうだったけど、いっそもっと『不安定』だったらよかった。でも僕はそれを言えなかったし云うことが僕にとって得策じゃないってわかっていた。
 僕は、たしかに、母と父が男と女であったから生まれてきたわけだけど、できれば僕は男にも女にもなりたくなかった。幼稚園や学校や社会が僕の性別に求めることはちゃんとやろうと思うけど、生殖に関してはそんなものはどうでもいい。僕はふにゃふにゃになりたくないし、違う自分を見たくない。セクシャルなスイッチを入れなくても、条件が整えば僕は十分にクリエイティブになれる。

 いつそのタイミングがやってくるか、わからないでいた。海原に落ちた糸はいつか沈んでもずくになって溶けてしまうかと思っていたら、Akkiと出会った。
 Akkiはさっきも言ったとおり、ただのシングルマザーだ。だけどすごいクリエイティブなんだ。息子の弁当とか、すごい。異色の才能を見つけたって気がした。この人と一緒にならないで、僕の人生は、僕の生まれた理由はわからない、一生不明のままだと思った。
 だから一緒になった。
 それは一種、時流への反逆でもあった。

 涙袋の可愛いよっちは、もうすでに才能で鳴らし始めていた。ゲイで才能の塊。それはさぁ、もうステロタイプの典型でしょ。みんなが応援するでしょ。アンチもプロも総出で胴上げするから、よっちには僕は必要ないわけよ。僕は、可愛いよっちに飼われている犬にはなりたくなかったわけよ。
 同じ犬でもさ、僕はAkkiんちの軒先っで馬鹿みたいに吠えている野良上がりの犬になりたいのさ。

 正義感で一緒になっても長続きしないって?

 いいんじゃない、それで。アセクシャルの僕が、バイセクシャル的のAkkiとは子供が欲しいと思ったんだから。僕にとっては生物実験だけど、絶対必要な実験だとおもった。二人は輪郭がぼやけている同士二つでやっと一つになるんだ。このボヤけたやつがいるからもっと心配なんだって、市役所の奴らが思ったっていい。それが僕らの活力になる。
 ねぇ、輪郭だってさぁ、背景を暗くすれば浮き彫りになるよ。そうやって僕らは僕らにふさわしい背景を探すのさ。そうやって寄りかかれない環境に飛び込んで必死に泳いで、それでやっと生きているって実感できる魂もあるんだよ。

 それが僕たちだから仕方ない。


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