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【菓子】ビクトリアケーキ

 エリザベス女王の戴冠70年祝賀パレードを見ていて、このケーキのことを思い出した。
 出会ったのは28年まえ。ケンブリッジの郊外、Sawston村のホームステイ先だった。ホストマザーは料理好きで、いつも何かとデザートを用意してくれた。そこで出されたケーキの一つ。正直パッとしないお菓子だという印象だった。ケーキ生地はガッチリでスポンジというよりやわらかいクッキーみたいだし、上部の焼き目がついたところにはカリッとした食感があり。見た目を裏切る。バターがたっぷり使われているので香ばしく、甘味と塩味が主張している。ホームメイドの気持ちに感謝した。あのときは、日用品の買い物につきあい大型スーパーで買ってもらった冷凍食品のアップルシュトゥルーデルの方に感動したのだった。レンチンで出来立て風にあたためた物にバニラアイスをのせて頂いたのがものすごく美味しかったのだ。

 このケーキがビクトリアケーキという名で、ティーサロンが幅を利かせていた時代の伝統的なケーキだったことを知ったのは、BBCのベークオフがきっかけだ。最近、日本版のベイクオフがアマゾンプライムで放映されているが、それの元となった番組で、10人程度の腕自慢がパンやお菓子作りに腕を振いのしあがってゆくベイキングバトルだ。伝統的なビクトリアケーキはスポンジの膨らみ具合が重要で、焼き上がっても焼き目を切り落としたり、半分にスライスした上部をひっくり返したりしない。クリームとジャムは常温でも垂れない程度のかたさに炊く・・・など、言語と同様に紅茶文化にプライドを持つイギリス人のこだわりのしばりが難しくしている。

 ベイクオフを見てからというもの、ずっと機会を図っていた。バタークリームのこと、材料に水分がすくなく日持ちがすること、そして伝統のレシピだということ。ことごとく、ホストマザーに対して申し訳ない気持ちにさせるあたらしい事実が満載だったのだ。セミデタッチドのお家には手作りのポーチが増築されていて、ダイニングキッチンからドアへだてたそこにはカップボードに食材が綺麗に並べられていた。日本の贈答品につかわれているのを見けかる銘菓店の丸い缶がサイズを変えて3段ぐらい、積み重ねられていた。それぞれに食べかけのクッキーなどが入っているのだ。ビクトリアケーキは一番下の丸缶に保存されていて、小腹すいたホストマザーが一切れ切って食べているに遭遇したことがある。
 あの当時すでに70歳を超えていらしたから、干し柿や瓦煎餅をお年寄りが好んでたべるのに似た、昔ながらの習慣だと気づくのに随分かかった。丸いお菓子の缶も、手作りのクッキーや日持ちするケーキを湿気から遮断して保存するために昔使われていて、雑貨やさんには模様がついた空っぽのそれが売られているのだと知った。日本のお中元・お歳暮でつかわれている菓子店の名前の入った缶はイギリスのその昔からの習慣が元になっていたのだ。

 見た目は一挙に作れそうだったが、なかなか手がかかった。中に挟むのはラズベリージャムとバタークリーム。が、今回はブラックベリーのジャムにした。去年収穫し冷凍しておいたものを今日炊いた。ブラックベリーはほぼ無臭だったのでイギリス土産のRose Budsを途中でいれた。そしてレモン果汁もすこし。クリームの硬さ加減をみて火を入れた。しっかりしていて良い硬さ。
 今日は梅雨入り三日目で20度に至らない。バタークリームが溶けない温度。だいぶヘビーなケーキだ。こんなケーキがたべらるのに適した陽気は秋までもうしばらくないかも。

 大きな型で焼いたから、厩舎へ持って行く分をよけてもまだ余った。近所の仲良しのお宅に持ってゆくと、エリザベスカラーをしたフレンチブルのあんこちゃんが出てきた。ビクトリアケーキなんですけどね。治療中の箇所をワンちゃん・猫ちゃんが舐めないように装着するおおきなプラスチックの襟のことをエリザベスカラーというのだ。これも同名女王一世が由来。

 最後の最後に、ケーキの名前の由来も。お察しの通り、第六代の女王ビクトリア女王から。早くに夫を亡くした女王が悲しみのあまりしばらく公務から離れていたが、周囲からの進言により復帰することを決めた。その記念に開かれたパーティーの席で振る舞われたケーキがこれ。それ以来女王の名前をとって呼ばれるようになった。ビクトリア女王自身もとても気に入っていたとか。

 そんなことを調べていたら、ホストマザーがポーチのキッチンボードに貼ったクイーンマザーの写真が脳裏に浮かんだ。明るい色のスーツに身を包んだクイーンマザーにどんな試練があっただろう。96歳のエリザベス女王と同じ名前を持つエリザベス女王1世は、映画にもなったが強い女性だ。白塗りにするようになった理由が映画では語られている。強くあらねばならなかった時代の彼女たちは、今とは、そして位のない人たちは別の、軋轢や葛藤に苛まれていた。

 MeToo運動や女性運動は米国発生と聞く。そういえば、ヴァージニア・ウルフに関する本の中に、彼女が女性であるがために権利から遠ざかっていたという意味の発言をしウーマンリブの旗手と祭り上げた人間がいたが、それが米国の人だったと夫、レナードが話した事が書かれていた。夫はその手紙を『こんなのがきました』と示したというから、納得していなかったのだろう。

 同じに見えて、理由やその時の気持ちは本人にしかわからないものだ。でも、それ故になかったもの、配慮しなくていいものにしてしまうのは違うと思う。かといって、大声であるように主張するのは、存在の証明であって、場の調和とか存在の調和には関係ない。

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