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【NIWAのはなし】花散らしの雨

 春はお天気もかわりやすくて、今朝まだ暗いうちに外に出ると春の嵐が通った後でした。
 今年の春は、庭の花たちは少しばかり変化がありました。白木蓮の満開は2週間ばかり遅れ、水仙がこれでもかと群生し長いこと黄色花をさかせています。いつもは入学式まで持つかしらと心配ばかりのチューリップは、まだ蕾も緑色のまま。去年、暑かった影響かもしれませんが、地球が自然治癒に向かっていると私は信じたいです。
 早朝、庭に出ると、ウッドチップをまいた上に木蓮の白い花びらが無数に落ちていました。朝の仄暗さのなか、地面の上の花びらが発光するクリーム色の光が庭を縁取った石沿いに風に煽られ集まっているさまに、嵐もなかなかいいなぁと思ってしまいました。

 まさに花散らしの雨でした。
 満開の枝を荒々しくかき混ぜ、花の命の短さを顧みない荒々しさで風は庭を汚していったのでした。その残骸は艶かしくて、息をしているように艶めいて見惚れてしまうのです。

 しかしですね、この花びら、すぐに変色してしまうんです。まるでバナナの皮。
 無駄と感じる作業がとても多い庭仕事の気晴らしにと『NIWAのはなし』をシリーズで書いてきましたが、結局は効率と無駄な作業との折り合いの話にになります。効率を考えれば除草剤を使ったり、コンクリにしたり、草の生えない砂利を敷いたり、方法はありますが、そういうことじゃないです。   

 自然に任せたいとか、雑草という草はないとか、やや青臭いこと考えていました。でもNIWAをめぐる自分の気持ちを客観的に見た時、私は自分で庭をコントロールしたかったのでした。堆肥は今では生ごみも加えて、米糠を混ぜていらない草も入れてどんどんつかってゆきます。いらない草も雑草ではなく緑肥になってもらうためにどんどん抜きます。以前よりいらない草には容赦しません。
 そうしているうちに、この草抜きの作業に、すごく癒しの効果がありました。もう10年以上になりますから、何がはえてくるか、葉を見ればわかります。ただ無駄に抜いているのではなく、いちいち確認しながら除草します。その瞬間は何も考えずポワンと頭を緩ませただいらない草を抜くだけ。去年の草花が芽吹いていればそっと花壇に移動する。そんなふうです。

 花ちらしの雨が降った後、これをやりました。昼過ぎからは、朝方の雨が嘘のように晴れて暖かくなったので庭仕事用の麦わら帽子をかぶっての作業です。プラスチック製の手蓑を近くにおき、両手を使って次々に白い花びらを拾ってゆきます。ウッドチップを敷いているのでレーキでかき集めることはできないんです。チップが剥がれてしまいますからね。左手のエリアをチラッと見て花びらの一度を同定したら左手を働かせます。その瞬間に右手のエリアに視線を送りこちらも一瞬で自動操縦状態にしてどんどん摘んでゆきます。
 去年まではこれに屈託がありました。熊手で掻けば簡単なのにという思いです。それから、木蓮が散るこの季節が終わってからウッドチップを敷けばいいのに、というのもそうです。
 でもねそれぞれやりたい時期と瞬間ってものがあるんです。それが一番のタイミングだと思うし、「あのとき頑張って草抜いたな、タネ蒔いたな」という経験はあとから「それなのに・・・」という結果につながることが多く私は自分のやる気だけじゃないモチベーションの要素に委ねることにしているんです。
 そのタイミングがちょうど今日で、春の嵐が吹いて、私は自分の両手に自動摘花させながらつらつら考え事をして、日向ぼっこをして楽しんだんです。これはきっと諦めた派か、熟練したガーデナーしか知らない境地です。こんな素敵な時間があったとは。
 そしてあの成果です。庭の片隅にベビープールほどの枯れ草置き場を作ってあります。そこへどんどん花びらを放り込みます。そこは時にはフードロスになりそうな賞味期限切れの食品や排水口カゴの中身も放り込みます。土をかけてしまいますから匂いはほぼしません。鳥や猫は時々来るけど、みな遠慮がちで、私が出てゆくと逃げてゆくので問題ありません。
 そこへ自動摘花しながら抜いたいらない草も一緒に放り込みます。根っこについた土がいい具合に堆肥のブースターの役割を果たしてくれるのです。今日の嵐といい暖かさといい、おかげで去年の秋からの木蓮の枯葉がしっとり黒く腐り始めました。もう少ししたらあのよく肥えたいい香りを放つようになるでしょう。今年はいつもより多く、堆肥を庭に戻せたらいいなぁと思っています。だからね、庭は良い循環のお手本なんです。そしてこれまで花びらをいつ集めるか、どうやって集めるか、悶々としていた私としては大きな進歩です。

 ところで、花散らしの雨、という言葉ですが、
 最近ニュース番組のお天気コーナーで堂々と使っていたので、私もそのままの意味で使わせていただきました。だけど、実はこの言葉には淫靡なニュアンスがあるのです。花は女の子のことですから・・・、まぁ推してしるべし。お知りになりたいかたはどうぞお調べください。 昔、定年過ぎのおじさんたちのジャズバンドに参加させていただいていたのですが、曲を作ったから歌詞をつけて欲しいと依頼がありました。その曲のタイトルが『花散らしの雨』。昭和歌謡チックな切ない音調の曲でした。曲調とタイトルに違和感があって、調べてみると・・・「!!」てなことでした。おじさんたちはこんな風にアプローチするんですね。気づくかどうか試したみたいです。面白いったら、可愛いったら。これを嫌がらせと取るかどうかは、こちらの胸算用です。
 私はこれからもきっと、数十年前のおじさんの「イタズラ」をこの時期になると思い出すのだと思います。おばあさんになってもね。



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