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インスタントラーメンはご馳走だぜ

料理なんて、今は暇つぶしか、唯一の家族一体感のためのツールだったり、するんだろうか。
時短や、名店料理をご自宅で、というコンセプトの家料理はわかるけど、料理は私には最高の娯楽である。すぐ結果がでるし、綺麗におなかに納めてしまえば片付くし、うまくいけば同居人が喜ぶ。
女性であることの、特権のひとつだとさえ思っている。そしてやりたい時だけ、心をこめて、精神をこめて作るのだ。

だからなのか、料理の本はいつも本棚の隅にかくれている。だいたいそれらが本当に実践されるのには、一年以上ながいときには十年などとかかる。だからと言って忘れたわけではない。引っ越しのたびについてくる料理本たちは私の心を捉えたものばかりなのだ。

残念ながらこの写真にはないけれど、そんな一冊に料理番組のテキストがあった。#昭和30年代のものだ。いまとは食に対する意識が随分ちがっていた。一汁一菜、おかずもイワシの丸干しとか、たくあんとか、そのいずれか、というのが普通だった時代。チキンラーメンにつづく即席めんが流通しだす。

目を引いたのは、流行のインスタントラーメンをどうアレンジするかっている記事だ。白黒の写真には、相撲部屋の子供と奥さんが、土鍋を囲んでちゃんこラーメンを食べているところ。もうひとつは、すっきりと片付いたキッチンにたつ、大学教授の女性。目の前の鍋には野菜たっぷりのラーメンが煮えている。
「らーめんにすると、いつものちゃんこに飽きた子供もたくさんたべるんですよ」
「仕事がら家事に時間をかけられませんが、これなら簡単ですし自分で好きにいろいろいれられますから便利です」
それぞれの弁。

そういえば、小学生の頃から当たり前にラーメンをじぶんで作った。塩ラーメンを卵でとじるのは定番だったし、今ではあまり見かけない天ぷらそばはそのままがおいしい。カレーうどんも最高のご馳走で、冷蔵庫のやさいの切れ端や卵、ソーセージなんかいれればもうご馳走だ。問題は、あふれんばかりのラーメンをどうやって丼に移すかだ。この作業で負った火傷の後は五十年たっても消えないが勲章だ。

#子供がラーメンを自分でつくるのは 、かわいそうなの?

今朝、携帯をひらいて最初に目に入ったネットニュースが、そんなことを取り上げていた。
1日三食たべられないこども。かわいそうなのか?食べたいのに、食べられないのはかわいそうかも知れないけれど、三食食べたからと言ってしあわせかっていうと、どうなの?

毎日お風呂にはいらないこども?
入らないことは好みだけど、やっぱり毎日はいらないといけない?小公女や小公子の時代なんて、お風呂入れる子供はあんまりいない。古すぎるかな。国が違えば習慣も変わるでしょ。1週間に1度って言うのも聞いたこともある。毎日はいらなければならないこともない気がする。

怖いのは、考えの固定化が、それに当てはまらない人への非難の原因になるし、まちがった同情を生むという点。いまのところ、毎日三回の食事をとらず、毎日お風呂に入らないのは、憐憫の対象であり社会的弱者ってらしい。日本って国はどうしちゃったんだ?みんな同じじゃなくちゃ、我慢ならないの? 
ネットに書かれた内容が、かならずしもただしいとは限らないってことは、三十年前の英辞郎の頃からわかっていることだけど、活字の影響力は大きい。それを忘れてはいけないと、思います。

こんばん、すごくおいしい、韓国ラーメンをミルクでつくって、野菜たッっぷりに牡蠣と豚肉もいれて、チーズをかけていただこうとおもうんだけど、
だめかしらね。


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