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山上容疑者を弁護する。より大きな罪は自民党とその支持者に有る。

 家庭崩壊を招いた母親の信心に問題があったに違いない。しかし、オウム真理教幹部のようにいくら理性や学歴があっても心の弱さはある。そう考えれば、個人の信仰に対して反対はできない。もし、信仰のために犯罪を犯せば罰せられることにも異論はない。けれども、容疑者の母親を自己責任だと非難することはできない。
 信者二世が起こした犯罪の問題点は次の三点に集約される。見境なく宗教にのめり込む心の弱さ。言葉巧みに母親を陥れた宗教団体。選挙応援と引き換えに悪質な宗教団体を庇護した政治家。宗教団体と政治家が結託して宗教団体の犯罪性を隠した。団体を庇護した中心に安倍元首相がいた訳だから、山上容疑者が彼を恨みの対象にしたことは的を外してはいない。
 多くの国民は殺されたことを根拠に安倍元首相を被害者とみて国葬を支持した。殺されたり死んだりした人間を悪しざまにしないのは日本人の一般的感情ではあるけれども、それでは問題の本質が見えてこない。
 人間が恨みを抱くのは愛する者を殺された場合だとドラマや映画は教えてくれる。ただし、愛する者と共に過ごす夢や希望の時間を奪われた憎しみより大きな恨みがある。それは自分自身が社会から抹殺される時である。自身の夢と希望を抹殺したものに対する山上容疑者の恨みは想像を絶する。
 宗教二世は山上容疑者だけではない。彼らの夢と希望を奪った悪質な宗教団体とそれを庇護した政治団体には、それ相応の罰が必要である。しかし、関係の深かった大臣の罷免と元総理の暗殺死で終わりそうである。関わった政治家が反省しているとは、とても思えない。悪質な宗教団体からの自民党への献金や選挙応援は少なくなるだろう。不十分な被害者救済法だが悪質な宗教活動に多少の規制はかかるだろう。もし、報道で批判がなければ法律もできなかった。振り返って、果たして統一教会の問題を反省して自民党は変わるだろうか?自民党と自民党支持者は容疑者を裁き、元総理大臣が殺された被害者意識で事件を終えようとしているように思える。
 将来の夢と希望を奪おうとする者に暴力を振るう行為を「正当防衛」と呼ぶ。宗教二世にも正当防衛の権利がある。そして、山上容疑者にも幾許かの正当防衛が認められてもいい。
 旧統一教会に加担した自民党を罰するのは選挙による審判である。しかし、残念でならないが支持者が宗教二世を生み出す原因を作った自民党に鉄槌を加えることはしないだろう。彼らは山上容疑者の気持ちよりは防衛費増大や原子力発電推進など目先の安全や利益ばかりに熱心である。
 将来の夢や希望を打ち壊すものが現れれば、その加害者に抵抗するのは当然である。安倍元首相に罪が全くないと言える人がいるだろうか?選挙応援や資金援助を受けて結果として悪質な団体を庇護した政治団体に所属していたことに罪はないのだろうか?


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