虫ケラでいい

熱くて死ぬか?
寒くて死ぬか?
洪水で溺れて死ぬか?
火に焼かれて死ぬか?
土砂崩れで埋もれて死ぬか?
家の下敷きになって死ぬか?
俺はどうなるのだろう。
冬山にでも登らない限り寒さぐらいはしのぐことができるだろうが、全ての災害から身を守るなんてできるはずはない。
 路上に「虫ケラ」の死んでいるのを見ると人間との違いが無いことに思い至る。人間は虫ケラと変わりがないのに、自分たちだけは災害から免れることができると信じている。
「愚かだ。」
こう嘆けば、
「もしもの場合、お前は災害用に備蓄している食料や設備を使わないのか?」
こう切り返えされると言葉につまるが、私が言いたいのは全ての災害に対して備えができる訳はなく、避難訓練が一概に無駄だとは言えないまでも恐れてばかりいても無駄ばかりが増えるだけで不合理である。結局、虫けらのように命を落とす結末が待っている。しかし、反論される。
「人の命は重い。何があっても守り抜かなければいけない。」
「果たして、そうだろうか?」
死ぬのは怖いが、だれも死から免れることはできない。虫けらのように踏み潰されるか、人間だけが災害から逃げまどって命長らえても、やがて死を迎える。
 そんなに死を恐れ災害に備える気持ちがあるなら、避難訓練や食料や水の備蓄よりは化石燃料で作った電気を使わないとか、自動車に乗らない生活とか、プラスチックを使わない運動をすべきである。地球温暖化と災害は背中合わせだと理解しない人間が避難訓練や食料や水の備蓄に走るのは愚かだ。
 こんな私が、まちづくり協議会「あんしんグループ」のサブリーダーとして四つの町内会をまとめる形で市の総合防災訓練を計画実施している。なぜかと言えば、尊敬しているリーダーのH氏に頼まれ断りきれなかったからだが、自分を偽っているから辛いことは確かである。H氏も私が嫌がっていることは薄々感じているに違いない。兎に角、だれかがやらなければ組織が回らないからボランティアだと割り切ることにしている。
 年をとると町内会長だとか氏子委員とかまちづくり協議会だとか好きでもない仕事が回ってくる。主義主張に反する催し物でも、ただ任期が終わるのをじっとして堪えて過ごしてきた。それらを歴任したお陰で、校長や教育長になった連中が教育改革に見向きもしなかった気持ちが分かるようになった。
「避難訓練などやめて自動車や火力発電やペットボトルを使うのを止める運動をすべきだ。」
私はこんな主張を決してしない。主張すべきだと思うけれども、みんなを説得する労力を考えると虫ケラのように力のないことを思い知るのである。だからこそ、虫ケラのような死に方に甘んじようと考えている。
 30歳の頃から変わらない、なんとも捻くれた屁理屈だ。

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