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実録ICT支援員「黒板とタブレットの違い」

 電子黒板やタブレットはICT機器(情報通信技術)。同様に旧式の授業で使う「黒板とチョーク」もICT機器(情報通信技術)。黒板とチョークでできる授業でわざわざタブレットの様な電子機器を使う理由、それは「速さ」。分厚い辞書や百科事典から探すよりGoogle検索で探す方が断然速い。手書きするよりキーボードを叩いて漢字に変換できれば書くスピードは格段に速くなる。また「記録が容易」である点も違う。必要な知識や過去の記録を頭の中に全て記憶しておく訳にはいかないが、ハードディスクの様な記憶媒体に入れておけば図書館を丸ごと入れることができる。これは「紙と印刷」の発明と同じ革命的な進歩。脳内の「記憶」は持ち運びができるが過去の「知識や記録」は覚えきれない。しかし、「知識や記録」をクラウドドライブに入れておけばスマホやタブレットから簡単に呼び出せる。例えれば図書館が持ち運べる。
 日本はデジタル化・ICT化が遅れ、賃金も上がらず先進国ではなくなったと聞く。コンピュータを使うか使わないかで製品の価格や性能が変わるのは、木簡を使った大昔と紙と印刷技術を使う場合を比べれば明白になる。平均的な能力しかない人でも電子機器を使えば過去の知識と記録を参考に格段に速く処理できる。また、組織内で記憶・記録が共有できる。その結果が商品の品質と価格に跳ね返る。平和で順調な発展の時代が長く続けば考え方が保守的になり、デジタル化を受け入れなかった。
 今考えると、教育現場もよく似た状況だったかもしれない。デジタル化されたテストや学習プリントは改良するのが容易で作成時間が短く、成績処理も速く正確にできる。経験と勘に頼っていた授業ではデジタルコンテンツと呼ばれる画像・動画などが使え、経験のある先輩の指導案なども容易に改良することができる。ただし、活用するためにはデジタル機器とアプリを使いこなすスキルが必要。このスキルがないと使えない。習得には意欲と時間がかかる。しかし、教育現場では速さを追求する必要はなく、全員が「知識と記録」を共有しなくても授業はできた。多くの教師はこの様に考えた。
 みんなが使わなければ知識と記録は残らず、共有できない。今はタブレットが導入されたから使わなければいけないとの思いはあるが、なぜ使わなければいけないかの認識は教育現場にはない。それでもいいかもしれない。みんなが使えば知識と記録が残り、共有が重要であることが理解できる様になる。
 将来、授業で使う画像や動画の共有(利用)は「教師による説明・解説」を排除するかもしれない。塾やYouTubeの説明用動画を代用して説明を任せて、課題を与える課題を採点し評価するだけが教師の役目になるかもしれない。やがては、出題・点検・評価も教師に代わりにコンピュータがとって変わる。
「そんな時代まで私は生きてはいない。」
教育現場から目が離せない。

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