見出し画像

昼カラオケに協力金

 何かがおかしい。
カラオケをやめてもらうために協力金を払うらしい。
それでいいのだろうか?
あるいは、酒場で飲むのをやめてもらうために協力金を払う。
ほんと、それでいいのだろうか?
最近は補助金、支援金、助成金、給付金まみれ。
災害に見舞われる。だから支援金なのだ。
コロナも台風・地震と同じ天災・災害の類いだから、被災者であるカラオケ店の経営者への見舞金も良い筈なんだが、何かが引っかかる。

 私は1年以上外食をしていない。家で食事をするか、仕事に行く日は弁当を持っていく。オンライン飲み会はしても酒場には行かない。感染が怖い訳ではない。万が一、コロナで死んでも父親の享年を過ぎた自分は仕方がないとさえ思っている。それでも、行楽を控え、外食や飲み会に行かないのは、コロナが蔓延して医療崩壊になれば、医療従事者に迷惑がかかるし、助かるはずの病人が死んだりする。そんな状況に自分が加担したとなれば申し訳ない。感染症が広がらないように不要不急の用事は出掛けないことにしている。
 世間は飲み屋やカラオケや行楽に行く人間が一向に減らないらしい。感染症は不気味に広がりをみせ、身近に迫ってきている。もし、感染すれば隔離され濃厚接触者である家族も家を出られない。入院でもしたら日常の生活は2週間以上確実に奪われる。ウイルスに感染した人も感染された人も、濃厚接触者にも多大の迷惑をかける。こう考えれば不要不急の外出などできるものではない。
 飲み屋もカラオケ店もコロナのために客が入らなくなって収入が無くなったから見舞金を渡すのは“災害”見舞金だが、客が押し寄せ感染拡大の危険があるから金を払って店を閉めさせるのは“人災”である。経営不振の店に補助金を出すのはやぶさかではないが、感染拡大防止に無頓着な人間を野放しにするのは納得できない。他人に迷惑をかける行為、社会に害悪をもたらす行為は法律で罰せられるべきである。ロックダウンが必要なら法律を作ればいい。それが原因で困る人がでれば補助するのなら理解も納得もできる。しかし、ロックダウンは行わず、ゴーツー・トラベルやゴーツー・イートで不要不急の外出を勧めておいて、客が集まってクラスターなど感染拡大につながるから店を閉店させて見舞金を出すのは真面(まっとう)な政府や政治家のやることではない。

 こんな状況下で、何が不要不急か考える機会をもらった。昨年度、コロナのせいで中止になった「まちづくり協議会総会」の出席依頼を受けた。昨年度は総会がなくても何の問題もなかった。現在の方が感染状況はひどいのに開催するらしい。感染は拡大していても飲み屋にもカラオケ店にも客は戻ってきている。コロナに慣れて恐怖心が薄れている。正常性バイアスが働いているに違いない。
「赤信号、みんなで渡れば怖くない。」
こんな感じだ。
 私は毎日、仕事に行っている。まちづくり協議会総会は開くべきではないと言いながらコロナ禍でなぜ仕事に行くのか理由を考えた。仕事だけ特別扱いする理由は要するに不要不急であるかどうかにある。休むことによって他人や社会に影響が出る場合、例えば医療従事者を思い浮かべればいい。確かに私の仕事は医療従事者ほどの影響力を持たないけれども、非常勤講師やICT支援員の仕事を協議会総会への出席と比べれば明白になる。私は「協議会あんしんグループ・サブリーダー」ではあるけれど役員会のメンバーではなので総会の運営には関わっていない。総会を開催すべきでないと意見を言う機会は与えられていないから私に責任はないと言える。それでも協議会は組織であるから、もしサブリーダーが欠席すれば非難はされないまでも快く思わない人も出るに違いない。しかし、欠席することによって「総会は開催すべくではない」との意思表示をすべきだと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?