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小さなわだかまり

 駅伝が中止になって悲しむ選手をオリンピック選手に励ましてもらう会を企画したのは間違っている。
 これはオンライン飲み会での友人の主張である。企画した新聞社か放送局が、駅伝からオリンピックに進み順風満帆の成功者に不運な生徒を慰めさせるのは逆効果だと憤った。走る機会を奪われた選手を励ます人選を間違えている。生徒は喜ぶだろうが、生徒を慰めることはできない。
「確かに。」
と言ったもののスター選手に励まされるのを喜ぶのもいいかもしれないと思った。友人との意識のずれが翌日までわだかまりとなっていた。
 駅伝中止で悲しむ選手に励ましの言葉をかける記事を探していたら、別の記事に目が止まった。
 オリンピック・マラソン実況の解説者増田明美さんがある女子選手に彼氏のいることを明らかにした。その翌日、増田氏自身が、“彼氏暴露”について「選手が所属するチームの監督にしこたま怒られました」と報告した。こんな記事を見つけた。
 選手の住所・勤務先・出身校・家族・エピソードなどプライバシーを解説に使うことはある程度許される。別に彼氏のいるいないはエピソードの範疇で咎める必要はない。ところが、所属するチームの監督が彼氏を作った選手を叱るのは越権行為であるし、恋人を作ることに監督の許可がいるのは人権侵害にあたる。ブラック校則以上にひどい。ところが、彼氏の存在を話した増田さんにネットで非難が集中して、人権侵害をした監督やチームの体質には誰も咎めなかったし、うるさいネットも非難しない。これが大方の日本人の人権意識であり、大方の日本の報道機関である。増田明美のプライバシー報道の方がよほど報道の役目を担っている。できればエピソード紹介の後でチームの体質を非難してほしかったが、まあバラエティ番組に出演するタレントにこれを求めるのは酷である。
 友人の主張に対して起きたわだかまり、私の受け止め方は、監督を人権侵害だと弾劾する私の主張について一般的な日本人が受けるわだかまりと同じかもしれない。我々の感覚は多少ズレているのかもしれない。しかし、多数派とずれているからと言って間違っているとは限らない。自分以外の人間は見ることができるが、自分自身だけは見ることができない。妻や友人は自分を映す鏡のような役目を果たしている。だからこそ自分自身を知るために妻や友人など自分以外の人間と意見交換をする必要がある。Facebookやnoteにも同様の役目がある。
 次回のオンライン飲み会が楽しみです。

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