見出し画像

スラップ訴訟

 作家の竹田恒泰氏が戦史研究家の山崎雅弘氏を名誉毀損で訴えた裁判が二年三カ月をかけて先月終わった。私は山崎氏の裁判を支援する会の代表として裁判の行方を見守ってきたので、完全勝訴の報に深く安堵した。
 勝訴した側が言うのもおかしい が、これは司法が判定を下すべき問題ではなかったと思う。ことが二人の言論人の間で起きた事件だ からである。
 問題になったのは山崎氏が竹田氏に対してなした「差別主義者」 という論評の当否である。竹田氏自身言論人である以上、他者がなした論評の当否については言論をもって弁じるのがことの筋目だったと私は今でも思っている。 司法に訴えるのは、それ以外に理非を明らかにする手立てがなかった場合に限られるのではないのか。
 というのも、竹田氏が言論で山崎氏に反論することは少しも難しいことではないからである。彼が差別主義と戦ってきた事例を一つ挙げるだけでも、あるいは隣国の人々や在日外国人たちから「竹田氏は私たちの権利と自由を守るために戦ってくれた」という感謝の 証言を一つ引くだけで、竹田氏を 「差別主義者」と呼んだ山崎氏の論評が事実無根のものであることは論証できた。
 しかし、竹田氏はそのような簡単で効果的な言論による反論という手立てをとらず、山崎氏の論評によって受けた被害について数百 万円の賠償を求めた。
 結果的に地裁、高裁、最高裁は山崎氏の論評は名誉毀損には当たらないという常識的な判断を下した。「原告の思想を『自国優越思想』 と表現することは、論評の域を逸く予想していなかったのかという脱するものとはいえない」 「原告 の思想を『差別主義的』とする被告の論評は相応の根拠を有する」「原告が元従軍慰安婦につき攻撃的・侮辱的な発言を繰り返し、在日韓国人・朝鮮人につき、犯罪との関連を示唆したり、その排除に関する発言を繰り返していることに照らせば、これらの発言を人権侵害の観点から捉えることについても相応の根拠を有するものであるといった地裁の判決文を読めば、この訴訟がはじめから無理筋のものであったことがわかる。
 私が不審に思うのは、このような判決が下ることを原告はまったく予想していなかったことである。もし相当の確率で敗訴すると知りながら言論の場での反論を回避して、あえて訴訟という手段を採ったということであれば、これは「スラップ訴訟」だということになる。
 「スラップ訴訟」というのは権 力・財貨・人脈などにおいて優位にある者が、そのような社会的基盤をもたない市民の生業を妨害し、言論や社会活動を萎縮させるためになす訴訟のことである。どれほど不当な訴えでも、一度被告になれば、弁護士を雇い、書面を準備し、長い時間を裁判のために費やさなければならない。山崎氏の場合は二年三カ月と数百万円の裁判費用を要した。勝訴してもこれは返ってこない。資力のない市民にとっては耐えがたい負荷である。さいわい、山崎氏の裁判には千四百人の市民から総額千二百万円の寄付が集まり、裁判費用全額 を支弁することができた。だが、 同じことを誰もが期待できるわけではない。この判決を機に司法を道具的に用いる弊風が改まるこを私は強く願う。 
2022.5.8

 強い口調で詰(なじ)られると萎縮する。パワハラもスラップ訴訟と似たような気がしている。
パワハラやスラップ訴訟を起こすような人物が自信満々に闊歩している。テレビのコメンテーターの中にもいて、我々は彼らの発言に拍手を送っているのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?