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私には非難する資格がない

 誰もがヒドい話だと思ったに違いない。アルバイトを雇って名簿にある名前を署名用紙に写させた愛知県知事リコールのための署名偽造。
「空いた口は塞がらない。」
こう憤るのは当たり前である。まして、私は「あいちトリエンナーレ」を表現の自由から擁護したいと考えている。
「天皇のコラージュを燃やす映像がけしからんと言うのは「民主主義」や「表現の自由」の理念が天皇制や象徴天皇より重要だと言うのと変わらない。」
こんな私の批判など痛くも痒くもないだろうが、民主主義を大切にしたい。不正署名のニュースを見た時、私の主張を効果的に論じるために利用したいと思った。しかし、残念ながら私には彼らを非難する資格がない。

 45年前に嫌々ながら教員になり、日教組の下部組織である愛知県教員組合に入った。愛教組は当時100%の加入率だったから、加入しない選択肢は思いもよらなかった。上部組織である日教組は政権と激しく対立するイメージを持たれているが、愛教組のイメージは保守的なもので「教え子を再び戦争に送るな」などの理念よりは教員の生活向上を目指す団体に映った。
 組合活動の中でも40人学級実現を目指す署名活動が印象深い。組合員には20人ほどの署名を集めるノルマが課せられる。毎年である。新任の時、同居していた父母に親戚や近所を廻ってもらって署名を集めた。毎年続くと父母に負担がかかり、何より頼んだ親戚や近所の人に申し訳ない気持ちが生まれる。家族の名前を書いて残りを空白で出すと担当者に全て埋めるように頼まれる。職場の先輩に頼まれ、仕方なく父母から親戚、近所に署名用紙が回ることになる。
 署名とは自発的なものでなくてはいけない。頼まれて「イヤ、イヤ」や「仕方なく」書くものではない。逆の立場になった時、趣旨に反対だから「嫌だ」と頼みに来た人物を前にして断れなくなり、署名の趣旨に反対でも自分の考えを伏せて署名してしまう怖れがある。時々、駅前で「お願いします」を連呼する署名活動のニュースを見たりすると、自分自身が情けなくなった。しかし、組合員である以上は断れない。
「組合員であることをやめる。」
同僚の組合員に説得されるし、数十人もいる職員室で自分一人が組合を外れることに対する不安が脱退を思いとどまらせる。
 あの頃、確か署名には住所と押印が必要だった。当時の電話帳には名前と住所が載っていた。電話帳から住所と名前を書き、同僚の印鑑を借りて署名を偽造していた先輩教師を見たことがある。誰も彼を非難しなかった。非難した場合に人間関係が心配になったからだけではない。皆がノルマの署名を埋めるための署名を嫌がっていたし、大なり小なり不正を働いていた者も多い。私も父母に頼まず、家族や親戚の名前を自ら書いた。住所も名前もわかっているし、以前に賛同して署名してくれた人達だ。そして、印鑑もあった。在籍年数がかさんでくると、空白は残しそのまま強引に提出したが、家族・親戚の名前を偽造したことに違いはない。
 それでも、毎年、署名の時期が来ると憂鬱になった。結婚して妻も教員だから40名ほどの署名がノルマとなる。
「組合をやめる。」
妻に打ち明けたことがある。
「私がいじめられるから、やめて」
そんなことは有る筈はないのだが、彼女は偏屈な夫の勤務地が島などの僻地に飛ばされる不安を抱えていた。いくら説得しても妻の不安は消えない。結局、理不尽な組織だと諦めるしかなかった。
 組織の本質は個人の集まりだから個人の考えが尊重されるべきだが、力を持つ組織は社会に圧力をかけることができ、組織を構成する人々の生活を豊かにする。だから、個人は組織の方針に反対できない。組織から外れれば不利益を被る。私の経験した署名活動は個人と組織の関係をよく表していた。組合は生活を向上させてくれたし40人学級も実現してくれた。そのために署名も効果があったに違いない。少人数学級を実現する目的も署名活動という手段も正しい。手段までは正しいけれども実際の署名は価値の無いものであった。父母に頼んだ署名は義理人情やしがらみで出来上がった署名である。また、電話帳で拾った署名は自己責任で行うか、アルバイトにやらせるかの違いだけである。目的と手段が正しければ多少の不正があってもいい訳ではない。だから私にはアルバイトの手による署名を非難する資格はない。
 愛教組の組織率が下がり弱くなった。息子も独立し、父母も他界し、今更、夫が組合や同窓会を脱会しても指したる不安を抱かなくなった妻の気持ちを読み、定年3年前に私は組合と同窓会を脱会した。脱会したという自己満足が欲しかったからだ。

 義理人情やしがらみから脱することの出来ない日本人に署名は馴染まない。署名は人に頼まれてやるべきではなく、あくまで自発的に行うべきだ。頼まれたり強要されたりしない点から、これからの署名は全てオンラインがいいと思う。


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