おじいちゃんが亡くなって

私のおじいちゃんが亡くなったのは、去年の夏。普段デスクワークの私が珍しく、外で仕事をしている日だった。
母からおじいちゃんの危篤の連絡が来て、それを直ぐに見て、電車で2時間ほどの実家に駆けつけることはできたのだけど、大好きな人の死の瞬間に立ち会うのが怖くて、息を引き取ったと聞いてから返事をした。
一緒に住んでいる恋人に実家に帰ると電話したとき、スマホを持つ手が震えていた。心臓はバクバクしているのに体の先だけが冷たくなっていた。だけど、涙は出なかったし、ひどく冷静な自分に驚いた。

家に帰り、自宅に帰る準備をして、いち早く帰ったほうがいいとは分かっていたが、なぜか私は荷物にパックやら一軍の化粧品やら、アイロンをリュックに詰め込んでいた。
おじいちゃんは私がかわいい?と聞くと、いつも決まって「〇〇町で一番かわいいぞ~」と絶妙に現実味を帯びた褒め言葉を言ってくれた。それがおかしくて、いとおしい時間だった。せめて、市内くらいに格上げしてくれよ、と思いつつも、蝶よ花よと大切にしてくれた祖父のことが大好きだった。
そんなおじいちゃんとの最期は、とびきり可愛い私でいたかった。どうせ涙で崩れちゃうけど、かわいいと言ってくれた姿で会いたかった。

そんな気持ちで、お母さんやおばあちゃんの分のパックまで持って、電車に飛び乗った。


2時間ほどの車内で、私はいつまでもこの電車が駅に着かなければいいのに、と本気で思っていた。着いてしまえば、家には死んでしまったおじいちゃんがいて、現実と向き合わなければならない。それがとてつもない恐怖だった。


実家の扉を開けると、案外いつもと変わらない空気が流れていて、おじいちゃんが冷たくなって横たわっている以外は、本当にいつもと変わらない風景だった。
冷たいおじいちゃんに触るのが怖くて、遠くからそっと顔を見た。最後に会ったときは手を繋いで、バイバイをしたから冷たい身体に触れると、どんどん現実が私を覆っていくようで怖かった。

お葬式とお通夜までに何度も顔を見たけど、やっぱりおじいちゃんじゃないみたいで、お母さんもおばあちゃんも親戚の人たちもおじいちゃんに触っていたけど、私は火葬場で最期にそっと触れただけだった。


私は受付をしていたので、参列してくれたおじいちゃんの友人や親戚に度々声をかけられて「衣ちゃんが帰ってくるっていつも嬉しそうにしてたよ~」とか「衣ちゃんを一番かわいがってたもんね」とか言われると、悲しくなって、でも温かい言葉で気持ちがないまぜになっていた。

無事、火葬まで終えて、みんなで食事をしてから、家に帰ると思った以上に疲れていることに気づいて、一度そのことを自覚するとどんどん身体が鉛のように重たくなっていった。礼服をしまうとき、ウォークインクローゼットを開けると、さっきまでずっと嗅いでいた線香の匂いがふわりと香ってきて、おじいちゃんがすぐ側にいるような気持ちがしてすこし心が穏やかになった。


あれから、もうすぐ一年になるけれど、一度だけ私が家庭のことでしんどかった時に夢にひょっこり出てきて心配してくれたっきりで、音沙汰はない。だけど、おじいちゃんのことを思い出さない日はないし、あんまり心配させて夢に登場させても悪いな、なんて思っている。



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