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SB-F1の開発は『TechnicsのPI戦略』からはじまった

デザインの力で事業を活性化させる「デザインマネジメント」が重要。


SB-F1の開発は『Technicsのプロダクトアイデンティティー戦略』からはじまったのですが、前置きですが、Technicsの状況を理解していただくために、『SB-F1の役割と使命観』まで少し前置きがながくなりますが、ご了承ください。

はじめに

私が入社したナショナル(松下電器産業株式会社)は、高級音響メーカーとしてのイメージを確立するため、昭和四十六年に高級音響商品の商標として「テクニクス」を全面的に使用することが決定した。 そしてその後、 この商標「テクニクス」は、世界のオーディオ・ブランドとしてわが国はもちろん、全世界にその技術イメージを浸透させていったのである。

テクニクスの呼称は、昭和四十年に音響研究所が開発した。

しかしこのテクニクスの呼称は、昭和四十年に音響研究所が開発した高級オーディオ・コンポーネントのスピーカシステム「テクニクス1」に始まっている。当時、世界の音響業界では海外専門メーカーの製品が市場を席巻しており、わが国メーカーの進出は非常に困難視されていた。しかも音響製品は、元来民族性や生活様式にとらわれない、一国の市場性を越えた世界共通機器としての性格をもっている。

テクニクスブランド

こうした情勢や傾向に対し、松下電器産業(株)〔現Panasonic〕では今後の音響機器の開発は、単にわが国内市場のみではなく、世界市場を対象に進めねばならないと考えられた。そしてその目標のもとに松下電器技術陣は、世界に堂々と通用する製品の開発を企図するとともに、それをシンボル化した明確なブランドも必要と考え、かくして「テクニクス」の呼称が研究部門を中心に始まったのである。

スピーカシステム「テクニクス1」に続いて、プレーヤ、アンプ、カートリッジなど各パートにわたって世界的水準の技術といえる音響システムが、いわば手づくり的精密さによって生み出されてゆき、いずれも「テクニクス」と呼ばれた。

昭和四十四年(1969年)にはステレオ事業部に移管された。

一方、ステレオ業界は、昭和四十三年には、すでに一千億円産業となっており、翌四十四年には当初の予想を大幅に上まわる一千六百億円を達成、さらに伸張する勢いをみせていた。「テクニクス」の技術グループによる製造も、昭和四十四年(1969年)にはステレオ事業部に移管された。経済成長に伴う所得の増加や、とくにヤング層における音に対する要望の高まりや、マニアの増加による高級品への指向、個性的な組み合わせを楽しむ風潮の高まりなどが、このステレオ需要急増の要因であった。

こうした中で、家電総合メーカーとしての従来のわが社のイメージとは別に、高級音響メーカーとしてまったく新しいブランド・イメージをもつことが、社内外からも一段と要望されるようになった。そしてこのことからも「テクニクス」の商標化は促進されたのである。しかも、世界を目指すテクニクスの開発技術は、着々と実りつつあった。

テクニクス技術の音づくりの思想は「原音の忠実再生」

 テクニクス技術の音づくりの思想は「原音の忠実再生」――つまり、入力波形と同じ形の波形を出力として取り出す「波形伝送」の考え方であり、それをオーディオの理想の姿として追求し、従来の概念や方式にとらわれることなく、積極的に研究開発に取り組んだ努力が、オーディオの流れを変える本格的な成果を次つぎと生んでいった。

その一つが、昭和四十四年に開発されたD・D(ダイレクト・ドライブ) モータである。テクニクスの技術イメージの高揚に大いに貢献した。

SL-10のデザインは、先輩の蔭山氏である。

さらにまた、昭和四十五年に開発・発売された3ウェイ3スピーカシステム 「テクニクス」 SB-500は筆者の作品であるが、テクニクス発足以来のヒット商品となり、市場の人気を得るとともにテクニクス普及化の契機となった。こうしたヒット商品の出現は、テクニクスに対する評価を高めるとともに、音響指向のヤング層にもアッピールし、技術主導の音響メーカーとしてのイメージを形成しながら「テクニクス」の名が広がっていった。

ドームスピーカーSB-500

社史より引用

石井伸一郎氏が世界初の「リニアフェーズ理論」を提唱した。

位相特性に注目、独自に位相測定方法を開発し、帯域内の位相特性を平坦にそろえた世界初の「リニアフェーズ理論」が提唱された。これは、HiFiオーディオ事業部スピーカ開発室責任者であり。またTechnicsの創始者の役割を果た石井伸一郎氏である。

石井伸一郎氏の「リニアフェーズ理論」にふさわしい意味性のあるデザインの要求をステレオ事業部のデザイン部門に要望された。

それは各ユニットの音響中心が側面から見て同一直線上に並ぶように配置させ、左右対称で、繊細さで豊満な音色を奏で、尚且つ地を這う低域の迫力を表現するスピーカを要望されたと認識いる。

2-世界にない商品をめざして

ステレオ事業部デザイン室の総力をあげて議論しイメージコンセプトを当時の「SLブームのデゴイチ」である鉄道ファンや写真家、マスコミ関係者などの間で大変な人気を集めた蒸気機関車の力強く繊細で多くの人を魅了した 『デゴイチD51をイメージコンセプト』とした。

「リニアフェーズ理論」のロゴマークを筆者がデザイン

そして、ブランド化するために「リニアフェーズ理論」のロゴマークを筆者の私が、理論の視認性の効果を提起して、ロゴマークデザインしたのである。

「リニアフェーズ理論」のロゴマークを筆者がデザイン

そして1975年にデザイン総動員でテクニクスススピーカの柱としてSB-7000を開発し、世界を驚愕させたデザインとなり、一挙にテクニクスのスピーカイメージUP(1975社長金賞)世界の話題となった。テクニクスの技術イメージの高揚に大いに貢献した。 

3-筆者は世の中にない縦型コンポネントシステムを開発を

筆者の私は、もう一つのステレオ事業部の柱となるステレオハイグレードコンポーネントシステムを市場導入のデザイン開発に勤しんでいた。

この時代、ステレオは横型のセパレートスタイルが主流であった。テクニクスからは、垂直型のシステムコンポーネントV(VerticalのV)シリーズの提案をしていたが事業部内では反対意見が多く商品化が頓挫しかけた。

この提案の起点は、私が京都の中川無線へ販売研修に行ったとき京都大学のオーディオサークルの学生との交流から下記のようなイメージの気づきがあり商品化提案をしたのである。

縦型で若者が狭い空間で楽しめるオーデェオスタイルを提案。

ラジオステレオ本部長と宣伝事業部長の決定で目的が現実へ

しかし、事業部の組織変更があり、本部制となり統合があった。推進中の商品説明をプレゼンテーションでラジオステレオ本部長と宣伝事業部長の決定と支援をいただき、思いの目的は実現することとなった。

コンポスタイルを新しい概念で問題提起をした作品

そこでテクニクスのコンポーネントに大好評の「リニアフェーズ理論」のロゴマークと位相特性に注目、独自に位相測定方法を開発し、帯域内の位相特性を平坦にそろえた世界初の「リニアフェーズSB-5000のデザイン開発をおこない、搭載し製品化した。アンプ、チュ-ナ、スピ-カ、垂直型ラック、その他事業部の商品など構成し、統合的デザインを推進した。1975年「コンポが立った、コンポが立った」のCMと同時に爆発的人気V3、V5、V7 をテクニクスの新しいイメージ構築と市場の高揚に大いに貢献した。
興味深かかったのは、照明器、マイク、アンビエンス、カセットケース、レコード針のスタンドケース、時計など周辺の機器販売に貢献した。

女性の購入者宅であるが、アフター・マーケティング調査で驚いたのはほとんどの購入者がカタログ画像と同様の商品の購入していただいていたことである。
ステレオ需要急増と商品クラスタが適合して、販売を急増させ後継機種マークⅡシリーズの展開となった。

照明器、マイク、アンビエンス、カセットケース、レコード針のスタンドケース、時計など周辺の機器販売に貢献した。

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