推し変とさだまさし(グレープ)と

 古い話ではあるのだが、グレープの曲に『殺風景』というのがある。

♪あなたが嫌いになった わけではありません あなたより好きな人が できただけのことです それは私が悪いのでなく あなたのせいでもない しいて言うならばそれは 何かの間違いでしょう。

 今見ると、なんともドライな歌詞なのだが、一面において真理だし、「何かの間違い」ではあっても、それを糧として正していくことができればいいじゃないかという気もする。

 というより、実はこの歌詞のような心境になれない、もしくはそれを不誠実だと恨みに変えてしまう恋愛観が、今も結婚率、恋愛率の低下につながっているように思う。

 まあ、痴情のもつれ、別れ話の修羅場ってのは、いつの時代もあるものなのだろうけど、恋人や妻を所有物であり、切り離せないものであると「依存」する恋愛パターンが増えたような気がするのだ。

 そうなると、例えば、好きな相手ができたとき、

「それは私が悪いのでなく あなたのせいである」という形を追求するようになる。ふられる側は仕方ないにせよ、なぜかふる側も、今のパートナーへの不満点を探して、別れたい理由を作る作業をするのだ。

そして、別れが成立するときには憎しみあって別れるしかない。「何かの間違いでしょう」と苦笑しながら別れることはない。

さだまさしの曲には「吸い殻の風景」という曲もあって、

「あなたと私の愛はどちらかが列車を乗り違えただけのことじゃない」という歌詞があって、私はそのドライさが非常に好きだ。

実は、乃木坂46の「その女」という曲は、この「吸い殻の風景」へのオマージュなのかな…と思ったりする。

話がそれたが、実は「推し変」という行為にも、このような状況が見受けられる。

推し変とは、文字通り、推しメンが変わることなのだが、まあ、変えられるメンバーにとっては嫌な話ではある。だが、それ自体は別に付き合っているわけではない、アイドルとファンの関係なので、当たり前にあることだ。

だが、問題は「推し変」をした人間の中に、自分の疚しさみたいなものを隠すためか「〇〇は変わった」「〇〇があんなことをした」などと、昨日まで推していたメンバーを平気でディスる人間が実は少なくないことだ。

人間関係が希薄で、恋愛や信頼関係というものを知らないまま成長することも危険だが、「自分が悪者にならないこと」を何より重視して長いものに巻かれていくだけではなく、誰かに唾をかけて生きていくのが処世術なのだとしたら、ヲタ活なんて苦行そのものではないだろうか?




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