『素晴らしい口』 作/森下オーク


 燕尾服を着たおじさんは、素晴らしい口をもっています。

 次から次に、素晴らしいお話をします。

 「ここからずっ〜と海を越えた西の果てには、時間もお金も気にしなくていい、いつも快適で、なんでも願いが叶うユートピアがあります!

 みんなは、燕尾服を着たおじさんの話を聴いて、ユートピアに行きたくて、しょうがない!

 みなさんのお家にあるもの、出来ることを出し合って、なんでも願いが叶うユートピアに、みんなでいきましょう!燕尾服を着たおじさんは、真っ赤な顔をして、大きな声で言いました。

 太ったおじさんたちも、真っ赤な顔をして、大きな声で答えました。

「私は、みんなが乗れる大きな船をつくるよ!」

「私は、みんなが食べるたくさんの食べ物を持ってくるよ!」

「私は、みんなのために、色んな薬を調合するよ!」

 みんなは、ありとあらゆるものを、ユートピアへの旅路のためにそろえました。街のなかはすっからかんになりました。

 さて、いよいよ出航のとき、だけれども肝心の燕尾服を着たおじさんはいません。どこを探してもいないのです。

 みんなは、街中を探しました。端から端まで探しても、どこにも見あたりません。

 困り果てたみんなが港へ集まると、燕尾服を着たおじさんが、沖のほうから小舟でやってきました。

 みんなは、不思議に思いました。燕尾服を着たおじさんは、空へ届くような大きな声で叫びました。

 「非常に残念!なんでも願いが叶うユートピは、たった今、火山の噴火によってなくなりました!ですが、みなさんのご努力は、次のユートピアに向けての汽笛となるでしょう!」

 みんなは、あっけにとられました。それから、口々に文句を言いました。だって、仕事もお金も全部なくして、寝る間を惜しんで準備したんですもの。

 だけれども、燕尾服を着たおじさんの声があまりにも大きくて、誰の言葉も届きませんでしたし、そのうちに、次のユートピアへ向けての準備をしないといけないような気になりました。

 港に集めたたくさんのものを持って、みんなは家路につきました。

 ここだけの話、燕尾服を着たおじさんは、なんでも願いが叶うユートピアには一度も行ったことがありません。見たこともありません。

 じゃあ、どうして燕尾服のおじさんは、そんな話をしたのかって?

 それは、分かりません。だけれども、そんな話が出来るのは、素晴らしい口を持っているからです。思ったり、考えたりしなくても、素晴らしい口は、勝手にペラペラとお話しするのです。

 ほら、みんなは、すっかり騙されてしまったでしょう。


(おしまい)

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