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生きることを諦めたわたしが余命を延ばした話

「1年前、コロナで仕事が無くなるってボロボロ泣いてたあの日からほんまに変わったんよ、いくみちゃん。よぉここまで来た。ほんまによぉ来たわ。やからあえて言うけどな、頑張ってるいくみちゃんやから言わせてもらうけどな…」


まだ頑張ろ。絶対うまくいくから、着実に一歩ずつ進んどるから。


せやからこれからも頑張ろな。

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1年前、2020年4月
「ウチらどないなるんやろね、」なんて答えのない独り言を宙に浮かせながら、仕事へ向かう電車の中わたしは彼の左肩に頭を乗せていた。こんな事言ったって仕方ないのに、こんな事を言わずには居られなかったんだと思う。心地の悪いこの感情を、二人の共有物にしたかったんだと思う。実は不安で今にも潰れてしまいそうなことを、誰よりも近くで知っていてほしかったんだと思う。

錆びれた言葉でしか間を繋げないわたしもどうしたものかな。ネガティブな流れにして居心地悪く感じちゃったかな。閉鎖的なこの場所でこのネタは風通し悪かったかな。そんなことを思いながら ふぅ…、と大きな後悔と小さな期待を込めた鈍いため息を吐いた時、「大丈夫よ、なるようになるから。」と大きな手がわたしの髪に優しく触れてきた。半年寄り添ってきたその温度も、その日はいつもより熱く感じ取れた。



安心感に甘えていられたのも、あの日は一駅分、約2分。

『仕事なくなるらしい』

『休業きた』
『給料出る?』
『バイト代なくなるってこと?』
『家賃どうしよ』

さすがに生きていけんわ


ツイッターのタイムラインをそんな言葉が走り抜け、全国チェーンであるわたしの職場が一時的に店を閉めることを知る。店長からの連絡もない。チャットの通知もない。誰からもLINEは入らず目の前にあるネットニュースを受け入れるまでにどれくらい時間が掛かったのかも今となっては思い出せない。

わたしの仕事は、どうなるの?

皆が愛する我が職場の名前は、すぐにトレンドと言う名のタスキを握り日本中を走り出した。「対応早いな」「いよいよこの時が来たか」「まぁ当然の判断だろうな」。今まであれだけの応援や歓声を浴び続けたのに、その日だけは全ての声が青く、寒く、冷ややかだった。次第にディスプレイを撫でるわたしの親指は小刻みに震え出し、落ちた涙の受け皿となる。過去を遡ることも、未来を望むこともできなくなったわたしは嗚咽を零すしか出来ずその場に崩れ落ちた。

背中には心配する36度の愛情を感じたけど、やっぱりその時だけは顔も上げれず、涙も止められず、切れるまで唇を噛みしめたことを覚えている。


ええよね、たくちゃんは。失うもの何もあらへんやん。


人生はこうして終わるのだと知ったあの日、わたしは初めて泣きっ面で出勤した。

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30歳になったら死にたかった。
それは死を望んでいるのではなく、生に魅力を感じなかったからだ。鮮やかなこの人生がいつかどこかでまた崩れ落ちるくらいなら、30歳で万歳して留目を刺したかった。失うものの数を増やしたくない。居なくなる寂しさに怯えたくない。苦しみも、憎しみも、怒りも葛藤もこれ以上味わいたくない。喜びと快楽に満ち溢れた30年間だけを『人生』と呼びたかった。

幾度となく安楽死について調べていた。
それは死を求めているのではなく、生に期待を失ったからだ。わたしだけの輝かしいこの人生が少しずつ薄い膜のような闇に纏われるくらいなら、30歳で白から黒へと変わりたかった。グラデーションの中を彷徨うわたしになりたくない。じわじわと蝕まれていく心に触れたくない。その年齢で、その才能で、その学力で、その姿で?昔のわたしならやり直せたのにもう遅いのかと、一つひとつ諦める人生を知るくらいなら生きることを止めた方がマシだと思っていた。

「今日を糧にして、また明日から頑張っていきましょう!」

そんな言葉がいつからか受け付けなくなり、飲み込めなくなった。なぜ明日は頑張らなきゃいけないのか。なぜ頑張ることが当たり前となってしまったのか。なぜ、こんなにも幸せなのに今日が人生の最後じゃないのだろうか。
望んでもエンドロールは流れてこないのだろうと、イヤフォンから飛び出す大きな音を耳に詰め込んでみる。こうすることでしかわたしと現実を切り離すことが出来なくて、こうでもしなきゃ愛しいわたしを見失いそうになる。

わたしはここに居るからと、明日じゃなくて今日を真っ当に生きたことを本当はずっと示したかったの。

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2020年12月 SHElikesに入会

生きることを選んだわたしの、最大の賭け。左手には希望と夢を、右手には絶望と現実を。バランスが取れない身体はもう限界で、だから両手の拳を握って体重を掛け合うしかなかった。プライドを捨てて、親に頭を下げて、借金をして、それでもわたしは変わりたいんだとギリギリの意志を振り絞って飛び込んだあの日のことは、死ぬまで一生忘れないだろう。

2020年12月 手術
さぁ頑張ろうと踏み出したその足に鈍痛が走る。現状維持を愛した過去のわたしが許さなかったのだろうか、夢へ向かうなと言わんばかりに引っ張られる右足は使い物にならなくなった。病院から病院へたらい回しされ、根こそぎ金を取られ、それでも尚「本当に痛いの?原因がわからないねぇ。」と笑われた時は絶望と現実を握り締めた右手で殴ってやろうかと思った。ひょんなことからツイートを見つけたフォロワーが先生を紹介してくれ、親に見守られながら右足の血管を焼く。壮絶な戦いを終え、2020年は幕を閉じた。

2021年 3月 嫉妬
Michael Jacksonの「Man In The Mirror」だけが味方だった頃。世界を良くしたいなら鏡の中に映る自分から変えていこうという彼のメッセージは、わたしに向けて放ったのかと錯覚するほどに心を閉ざしていた。人様のセンスに嫉妬して、学歴に嫉妬して、繋がりに嫉妬して。どうせわたしは、と また自分に荒んだレッテルを貼り付けることを許す日々。希望と夢を握り締めた左手を振るい上げる力は残っておらず、ただただ鏡の前で立ち竦みわたしの居場所はどこだろうと彷徨う日が続いていた。

2021年 4月 SHEbeautyプランナーへ
リリースに衝撃を受けた身体は勢いに任せて走り出した。ここで動かなきゃどうする。ここで自分の意志を貫かなきゃどうする。立ち竦んでいても誰もわたしなんて見つけてくれない。知ろうともしてくれない。今動いて、わたしはここにいることを訴えて、存在証明するしかない。
自分を試すように応募したbeautyプランナー。この時勇気を出さなかったら、永遠に殻に閉じこもっていたかもしれない。自分を見直すタイミングも生まれなかったかもしれない。よく頑張った。よく耐えた。よく選んだ。とにかくその世界に馴染もうと無我夢中になった。

そして見失った。
どこへ行きたいのか、何になりたいのか、わたしに価値はあるのかと。

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「いくちゃん、やってみぃよ。」


忘れるはずがない。
あの日の、あの場所の、この言葉を。


「わたしって何ができるんやろ、何が得意なんやろか。」


眉間にしわを寄せて吐いたわたしのボヤキひとつ逃さない彼女は、まだ出会って3ヶ月も満たない知人であり仲間であり戦友だ。同じスタートを切って、同じ学びを得て、同じ感情を抱いて、同じ努力を重ねてきた同志だから分かり合える『価値観』がわたし達にはある。たまたまSHElikesというフィールドで出会っただけの縁だけど、SHElikesでないと出会えなかった縁でもある。

わたしを見て、わたしに寄せて、わたしの為に言葉を選ぶ彼女の姿は聡明で、真っすぐこの人から愛されていることに何度も目頭が熱くなった。恋人や家族以外で、わたしのために選択を運んでくれる人と話したのはいつぶりだろう。わたしの未来を、夢を、そして恐れていた現実を、まるで自分のもののように優しく触れてくれる彼女の存在が何よりの希望だったんだ。



「せやな、やってみるわ。」

SHElikesに入ったから、お金をかけたから、スキルを付けたから、学びを活かさなきゃいけないから。その対価を形にしなきゃと思うばかりで、わたしはいつの間にか自分の首を自分で絞めて苦しんでいたらしい。


「いくちゃんなら大丈夫、できるから。」

愛する人の愛する言葉を抱きしめて、その夜わたしは案件を獲った。
2021年、6月のことだった。

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2021年 7月 退職 そしてフリーランスへ

振り切るように仕事を辞めた。
そこにいれば無償の愛が降ってくる。「長く働いているから」という理由で生まれる信頼関係も、敬愛の眼差しも、築いた地位も、全てが心地よくて離れることが恐かった。そんなぬるま湯のような環境に浸っていたかった。甘えていたかったんだろうな。自惚れていたかったんだよ。それでも好きだからと言い聞かせて自分を守ることに必死だったんだ。

”慣れ”を拭うのには時間が掛かり、何度も何度も後ろを振り返り、自問自答を繰り返した。そのたびに目が合う過去の自分。嫌いだったあの時の自分。生きることを諦めた自分。


戻るもんか。


退職届とは引き換えに開業届を握り締め、来た道とは別の、空が大きく見える裏道を通った。戻るもんか。わたしの人生だ。わたしが道を足さなきゃ世界は拓かない。そんなこと言われなくても分かってたはずなのに。

2021年 8月 28歳
そして今日、2021年8月29日。28歳になった。

死にたいと思っていたあの頃のわたしにとって余命は2年。
ただ今は違う。余命は無限だ。

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何が起きるのかも分からないまま入会したSHElikes。
何が始まるのかも分からないまま応募したSHEbeautyプランナー。
何が認められるのかも分からないままエントリーした仕事案件。

それでも何かを生みたくて手を上げたSHElikesコミュニティプランナー。
だからこそ何かを広げるために選んだフリーランスという夢の道。
そうして何かを築き上げたくて開催したSNS相談会。

あれほどに暗い道を走っていたのに、誰もいない静寂の中を彷徨っていたのに、気付けば手を差し伸べてくれる人がいて、スポットライトを当ててくれる人がいて、応援も、歓声も、賞賛も、日に日に大きく感じられるようになった。自惚れかもしれないけど、大きな愛に包み込まれる日もあった。

しかし思う。
これは運じゃない。わたしの生きた努力が生んだ結果だ。


ひとりで生きている様で、実は仲間と同じ時を過ごしていること。
空回りしている様で、実は人生の経験を重ねていること。
暗い人生の様で、実は太陽にとっては月であること。
何もない様で、実は必ず何かがそこにあること。

こんなにも簡単なことを、わたしは知らずに生きてきたらしい。勿体ない。けど今知ることが出来て良かった。諦めていたら、来た道を戻っていたら、死ぬことが正解だと思っていたら出会えなかったのだから。






「1年前、コロナで仕事が無くなるってボロボロ泣いてたあの日からほんまに変わったんよ、いくみちゃん。よぉここまで来た。ほんまによぉ来たわ。やからあえて言うけどな、頑張ってるいくみちゃんやから言わせてもらうけどな…」


分かってるよ。大丈夫。
その言葉の続きは、自分の口で答えて生きていくから。

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