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ネット社会で必要になる知識と教養について

反知性主義という言葉がある。

これは、二通りの意味があり、一つは欧米で社会の根底にあるキリスト教のいわば権威主義的な面への反発。もう一つは我々が親しんでいる意味 、すなわち賢さをバカにするような態度への批判である。

ここでは後者を取り上げたいが、知性というものは変容の時を迎えていると思う。

我々の住む高度に進歩した世界はほぼ無限と言える知識量で成り立っている。その知の進歩スピードは年々早くなっている。仮に1990年時点での天才物理学者が現代にタイムスリップしたら、彼の知識では躍進する物理学に太刀打ちできないだろう。実際、人類史上でもまれに見る天才、アインシュタインでさえ晩年は進歩し続ける物理学についていけなくなり、論文をよまなくなったという逸話がある。

だからこそ今の大学では細かな専攻科目が取られている。だが、最近では教養を重視しろ、という風潮がある。事実、理系でも大学では教養科目として文系の単位を取らなければならない単位システムが組み込まれており、文系の私も理系の講義を教養科目として受講した。

教養が重視された歴史的背景で最も重要なのがルネサンス期のヨーロッパであろう。「ルネサンス・マン」と称される当時の進歩的文化人は、あらゆる知識を持っていた。文系理系問わずである。彼らがそれだけ知に精通できたのは、当時学問がそれほど高度化・先鋭化していなかったおかげである。今ではこんなことは不可能だ。

ネットが発達した今、知識は必要ないという声もある。スマホで調べればなんでもわかるのだから知識をわざわざ身に付けなくともよいというのだ。私はこれは半分正解で半分間違いだと思う。

スマホで調べればわかる、というのは事実だが、その知識が正確かどうか 判断基準がいる。更に基礎的知識なしに高度なものは理解できない。2020年現在、グーグルの検索で上位に来るようにSEO(検索エンジン最適化)を重視した低俗なデマサイトが多数ある中、デマに惑わされないようにしなければならない。また、正しいサイトを見つけられても、それを理解できるための最低限の知識というもの必要である。

デマサイトに騙されないというのはわかりやすい。だが最低限の知識とはなんなのだろうか。これを言及する際にはしばしば無限背進に陥る。Aを理解するためのBという知識を理解するためのCという知識を理解するための・・・といった具合だ。だが、私の考えでは最低限の知識とは高校で習う知識でいいのだ。

大学教育を受けた人は高校の授業を「浅い」といって軽視する人がいる。確かに高校の世界史ではローマ皇帝のトラヤヌスは習ってもヘリオガバルスは習わないかもしれない。しかし、大学教育が高校の知識があるという前提で成り立っているのは事実だ。高校で習った知識をフルに使う入学試験というシステムもこれを証明している。入試が難しい大学は一般的により高度な学問を学べる。これは高校の知識を高度に理解しているからこそ高度なことができるということなのである。Fラン大学では英語の科目はbe動詞からやるという実情を訴えた悲痛なツイートが数年前ツイッターでバズリ、インテリが嘲笑していたが、これは高校どころか中学の知識さえもっていない学生相手にやるのだから仕方ないのだ。繰り返すが、浅いと見られがちな高校の知識はより大学教育の根底として非常に重要なのである。

ここで私個人の例を出すのだが、私は高校の数学が理解できなかった。他の文系科目はそこそこできたので、「低い数学の点を、他の文系科目の得点で補う」という力技で大学には合格できたが、困ったのは大学に入ってからだ。文系の私といえども初歩的な統計学が必要になることがあったし、哲学でも数学的知識が必要なのだ。更に公務員を目指していたので公務員試験の数学部分でも数学の知識が求められた。結局大学に入ってから必要な最低限の部分だけ高校の数学をやり直し、なんとか単位をとって卒業し公務員試験にも受かったが、ここで高校の知識というものが重要だと思い知ったものである。

数学の例を上げたが、歴史学だって、宇宙物理学だって、有機化学だって同じものだ。全ては高校の知識を得ているという前提で理解することができる。その点、高校の授業というものは大したものだ。現代社会で学び、仕事をし、生活するためのエッセンスが詰まっている。高校の化学の知識があれば水素水に騙されることはないのだ。

ネットで調べればあらゆる知識を得られるというのは事実だ。だが、それを判別し、理解するのには最低限の知識がいる。これについて色々と長い定義を述べることも可能だし実際頭のいい教育学者が難しい定義を述べているが、私の考えではこれはシンプルに「高校程度の知識」と言っていいと思う。高校の知識が8割身についていれば現代版「ルネサンス・マン」と言ってもいいのではないかとすら思う。ネットという膨大なデマや真実を含んだ雑多な膨大なデータベースを使いこなすためにこのような知識は年々重要になっている。ネットをうまく御すために。

久々に長文を書いたらよくわからなくなってきたが、とにかく私が言いたいのはネットで調べればいいというのは事実だが、これまた検索結果を分別し、事実を取捨選択するのに高校程度の知識が必須ということなのだ。教養をつけたいと思っている人がいたら高校生向けの参考書をやり直すといいと思う。英語でも世界史でも古文でも高校生の知識があれば十分いろいろなものを理解できるようになる。私も世界史はわかるが日本史に弱いので高校生向けの日本史の参考書を買って勉強している。みんなで高校の知識を定着させ現代版「ルネサンス・マン」を目指そう!

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