承認欲求と貢献感

承認欲求は誰しもが持つ普遍的な欲求である。

誰かに認められたい、誰かに褒められたいと思うのは自然なことである。

SNSが普及した現在でも、やはりこの傾向は大きく、「いいね」欲しさに行動する人は多いように思える。

なぜ人はそこまでして他人から承認されたいのだろうか??

それはやはり、人間が社会の中に生きていく上で自分の価値を見出したいからだろう。

他人から褒められて、そこで自分の価値を実感する。

逆にこれは、                                                          他人から褒められなければ、自分の価値を実感することはできない という意味にもなる。

承認欲求のある所に劣等感は存在し、競走も存在する。

他の人が褒められれば、自分の『負け』である。

『負けないように』『褒められるように』頑張るのである。

そして、他人から好かれるためには自分を捨てることだって平気でする。

他人から嫌われることは孤独を意味する。             そして、孤独は死を意味する。

共同体の中に自分の居場所が見いだせないのはつらく苦しいことである。

私たちは、他者から承認を受けなければ自分に価値を見出すことが出来ないのだろうか?

アドラーはこういった

『人は自分が共同体に貢献出来たと思えた時に、自分に価値があると実感する。』

つまり、誰かに『承認』されるのではなく、共同体に『貢献』することで自らの価値を認めることができるのだ。

要するに、自分の価値を自分で決めることができるのだ。共同体に貢献することによって。

例えば、

 パンケーキの画像をネット上に載せたとする。     それは他人からのいいね欲しさではなく、パンケーキ屋の貢献に繋がるし、フォロワーの貢献にも繋がっていると考えて欲しいのだ。

勉強をすることもそうだ。

勉強をする動機が親から褒められたいという承認欲求に基づくものではなく、勉強することで将来誰かの役に立つと考えて欲しいのだ。

私も、このnoteを書くことによって貢献できているのだと考えたい。

共同体の貢献については後日まとめよう。

承認欲求は他人の価値観に生きることになる。

本当に大切だと思う自分の価値観を育み、その信念を持ちながら他者に貢献することによって自分の価値を見出す。

いいねの数で人間の価値が決まるのではなく

貢献そのもので人間の価値は決まるのだ。

いいね!よりありがとうと言われるような行動を心がけよう。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?