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郷に入っては郷に従えへの疑問

はい、適世です。

今回の話題は

郷に入っては郷に従えはおかしいのではないか

ということだ。

もちろん、それに「従う」ことはする、憲法やその地のマナーに従うことは当たり前である。

しかしそのものに

異議を唱える

ということは禁じられるべきなのだろうか?

よく「日本にいるなら日本に従え、それが嫌なら出てけ」というのを聞くがそれはおかしいのでは無いだろうか。

私達が自ら産まれたい国を選んでそこに国に産まれるならいい、だが私達は選べず自然とその国に産まれたのだ、好きで産まれた訳でもないのに何でも従えはどうなのだろうか。

法やルールに従うことはすべきだがその法やルールに疑問や異議を感じたらそれらを発言し改革を起こすことは私は正しいと思う。

また、「年収850万以下は社会保障費>納税額は社会のお荷物なので社会保障費に口を出すな」というのを度々聞くがそもそも社会保障とはお金がない人達のために出来た制度である、年収850万円以外は発言するなとなると金持ちの好きなように社会保障費を弄れてそもそも社会保障費の制度そのものが破綻するのではないかだろうか?

それに加え年収850万以上の人間の収入は下の国民によって成り立ってるのでは無いだろうか、ピラミッドで考えて欲しいがもし下で支えてる人が消えたら上はどうなる?崩れるだろう。機会も同じ、1つのネジが無くなると成り立たなくなるし子会社無しに親会社は成り立たない、そのように年収850万以下の人間が年収850万円以上の人間の収入や会社の利益を支えてると私は思う

そもそも労働の価値などは上の人間が自らの利益や会社の利益のために下の人間の収入を自然と低くしてるので資本主義である限りそのような構造になるのは当たり前とも言えるかと

少し脱線したので話を戻すと

そもそも郷に入っては郷に従えとは一種の同調圧力ではなかろうか、今はグローバルの時代であり多様性を受け入れる文化、もちろん良い文化は受け入れるべきだが変に根付いた悪い文化はそのまま放置していいのだろうか?

例えば映画ミッドサマー、あのなんとも言えない不気味な儀式。何も知らず来たけどそこの文化だから仕方ないねと寛容出来るものなのだろうか?また彼らは抜け出せないためその文化に無理やり合わせられてるようなものである、今の社会も同じで上司の圧で無理やり郷に合わせられてるというものを感じる。

郷に入っては郷に従え に捕らわれすぎてはそのまま自分の文化に閉じこもり視野が狭いまま終わる未来が見える

「郷に入っては郷に従え」

理解はするが同意はしにくい言葉だ

過剰表現かもしれないが"傲慢"に聞こえる

まずこの言葉を口に出来る程、郷が正しいのかどうか考えたい

それが出来ないと、真の国際交流なんて夢のまた夢

時代や場所でそこのルールや価値観が違うのは仕方ないが「そのルールや価値観は絶対正しい」と他人の意見を拒否したりするのはおかしいし、そうなるとその伝統やモノの存在意義がおかしくても「これは絶対正しい」と思考を放棄しどんなにおかしいものでも自然に従ってしまうのでは無いだろうか

私はこのことわざが一種の異文化や他者を排除するような言葉にも見える

長くなったが最後に私の主張をまとめると

最低限のルールには従うべきだがそのルールに異を唱えるのは禁じられるべきではない

ということだ。

陳腐な文でまだまだ青い考えかもしれないが私なりに考えてみた、私はこの記事への反論は受け入れるし私より知識を持ってる人などいくらでもいる、そのような人が私に物申してくれるのはとても有難いことでありバンバン言って貰えると有難いし私はそれを受け入れる。だけどただの誹謗中傷は辞めてもらいたいな

おわり〜



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