うちのリュック
少し前の話になるが、LOFTへリュックを買いに行った。
ブランドにもメーカーにも特にこだわりはない。とにかく物がたくさん入って、飽き性の私でも長く使えるデザインのものが欲しいと思っていた。
かばん売り場をうろちょろしだして数分にもならないころだ。
「ね、こっち」
ふいに呼ばれて私は立ち止まった。
「みて、どう? わたし、いい感じでしょ」
それは紺色の、やわらかな丸みの、リュックだった。
A4の大きさが入ってもう少し、余裕がある感じ。どちらかというと女性らしいデザイン。
あ、そうか、と私は思う。だから女の子の声なのか。
それにしても、リュックに話しかけられたのは人生で初めてだ。
「リュック、探しているんでしょ。知ってるよ。ね、わたし、いいと思う。あなたに合ってるんじゃないかと思うの。買っていかないと後悔するわよ。ほら、持ってみて」
言われるがまま、私は彼女を持ってみる。なんと、軽い。
「ほらあ。いいでしょ」
当然、という顔で彼女は言う。いや、顔は分からない。けど、今のは完全にドヤっとしていた。
「ほかを見てる時間がもったいないと思うな。ね、わたし柔らかいし」
たしかに、何というか手触りがものすごくやさしい。しっかりした素材なのにふわりとしていて、それでいて、ビニールのいやらしいテラテラが一切ない。
「縫い目も丈夫だし、おもてに見せてないの。それからほら、ポケットがここと、ここと、あとここ。中にもふたっつ仕切りがあってね」
おもてはくすみのある紺色、中を開けるとうすいグレー。ポケットは合計で6個。彼女のプレゼンのとおり、中には仕切りがふたつある。
収納力は抜群で、なにより、生地が厚くて丈夫そうだ。
「もういっかい言うけど、縫い目をね、見せないようにしてるの」
うん、まるくなっていてチャックが見えない。けど、使いにくいわけでもなさそうだ。背中側のクッションもいい。たとえ重くなったとしても、あまり疲れずに済むかもしれない。
「決まりね」
ちょっと待って。
まだ売り場に来て数分だ。たしかに、一目惚れはした。したかもしれない。
けど、長く使おうと決めているのだ。もう少し他と比べて吟味しても…
「あらそう。べつにいいわよ。見てらっしゃいよ。でも、わたし知ってるの。あなたぜったい、私のところに戻ってくるわよ」
どんな彼女だ。
「ほかを見たって、わたし以上にいいリュック、そうそうないわよ。そうやって、手を放して、くるっと回ってきたらわたし、もう他のひとに買われちゃってるかも」
確かに、自分から話しかけてくるリュックは他にいそうもない。
「さ、決めましょ」
気付くと私は彼女を手に、レジへ向かっていた。値札を見るのはすっかり忘れていた。
***
君のこと書こうと思うんだよね、と声をかけたが、「ふうん」と言ったきり特に何も言ってこない。あれ、てっきり可愛く書きなさいよ、とか言ってくるかと思ったけど。
「なに言ってるの。わたしみたいなリュック、褒めちぎる以外に書きようがどうあるって言うのよ」
それでさっき思ったんだけど、名前とかつけようか。リュック、としか書けないんですけど。
「ばかじゃないの。わたしは、せかいで唯一のリュックなの。わざわざ個別に名前をつけるなんて、わたしのことぜんぜん信用してないのね」
つまり、そうかわかった。うちのリュックはおしゃべりなのだ。
普段でも「こんなぞんざいに置いておくんじゃないわよ」とか「もっとキッチリひんぱんに使いなさいよ」とか言うし、なるほどしゃべらなきゃ死ぬ、みたいなリュックなんだな。
「ね、最近使ってくれないからカタチくずれちゃったあ」
うちのリュックがしゃべらないのは、背中にしょっている時だけかもしれない。
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