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WORKSONG/あの9月のこと

『何度回されても、針は極北を示す』

演劇集団キャラメルボックスの成井豊氏が、いつかのファンブックで座右の銘に掲げていた言葉である。

当時、私は高校生だった。この言葉が好きだった。生まれた場所や環境や、お金だとか、高校生の自分の努力では到底ひっくりかえせない現実を前に、たとえ遠回りをしたとしても、自分の信念は絶対に自分を裏切らないのだと、そう背中を押されるような気がしたから。

あれは2001年初秋のこと。
その前年に発売された、綾戸千恵『LOVE』というアルバムの「WorkSong」を、私はずっと口ずさんでいた。

ウェーラリケン、メェェーロランゲレンベラン、ゥオォーキン、アァーン、ゥオーオキンッ
バラステッガッ ソ、テーラバラゴォオー
―――働いて、働いて働いて、それが、ずっとずっと続くんだぜ。

高校2年生、折しも、進学か就職かの岐路に立たされていた。
けれども「働く」ということが、いったい何なのか、さっぱりわからないでいた。お金を稼ぐということが、どうしてもピンとこなかったのだ(もちろん、その悩みは今でも変わらないのだが)。

働くって、なに?
歌の中では、働くことは「労働刑」、すなわち「刑罰」なのに(鎖につながれて岩を砕き続ける)。

人生の軌道に一筋のアウトラインが描かれた日のことを、私は今でもよく覚えている。
2001年9月11日21時46分(日本時間)。
ニューヨーク市では、よく晴れた秋の朝のこと。
説明するまでもない。2機の飛行機が、ワールドトレードセンタービルの北棟と南棟に突っ込んだのだ。

もちろん、その詳細について私がよく知ることとなったのは、その日その瞬間のことではない。
新聞やテレビの映像、特集が組まれた雑誌と映し出された残酷な写真とが、「働くって何?」という幼い問いから「この世界とはいったい何なのか?」という問いに変わっていく要因であった。

私は事件の詳細を調べ始めた。
といっても、あの頃は今ほどネット環境も充実してはいなかったから、途切れ途切れ、断片的な情報をたぐりよせ、つなぎ合わせではあったが。

そうするうちに、事件が「建築的な」観点から考察された記事に行き付くことになる。
元々、飛行機が激突する想定でビルが設計されていたこと、それでも設計時、わずか20年で飛行機そのものが進化することまでは想定できなかったこと。設計者が日本人(日系アメリカ人のミノル・ヤマサキ)であること。そして記事の詳細は忘れても、心の隅にこびりつくように残った次の一文。

「どんなに完璧な設計をしても、完璧な構造計算をしても、この世に壊れない建物はないのです」

構造設計を担当したのが、レスリー・ロバートソンという人であること。彼が事故後のインタビューで嗚咽をあげて号泣したらしい、ということ。

「働く」ということ。「仕事」ということ。

それは明るく希望に満ちたものではなかったが、悩みの底にある17歳の私にとっては、人生の航路を示す一筋のほの暗い光であったと思う。
大人の男が、自分の失敗や責任ではないことで、人前で(それもインタビューという不特定多数の大勢の前で)、声をあげて泣く、という。
そんなことが起こりうる、それだけ誇り高い何かが「仕事」であるのだとしたら、それはいったい、どんなものなのだろう。

建築のことなどそれまで考えもしなかったし、好きでも何でもなかったが、その日から、私の将来の夢は「構造設計者」になった。

***

紆余曲折を経て、いま私は、構造設計者として仕事をするに至っている。

物書きになりたい、という夢が、私にとっての「極北」であるとするならば、いまの私は間違いなく西に向かって歩き続けている。壊れた羅針盤は、ときおり思い出したように北を示しはするものの、ほとんどの場合、針は西を指したまま動かない。

西へ向かう私の道はあっているか。
極北に残した未練はなんだ。
この道の先に、私が憧れた「働くこと」への誇りはあるか。

いまだにわからないから悩むし、好きからはじまった夢ではないから仕事が辛い。
けれども、ああ辞めたいな、と思うといつも、あの9月の朝の光景が瞼に浮かぶ。だからなんだと思っても、あの光景が私の原動力になってしまった。それが、決して明るくも楽しくもない、ただ悲しいだけの光景であったとしても。

…Breaking up big rocks on the chain gang
Breaking rocks and serving my time…
…There, I reckon that ought to get it
Been workin' and workin'
But I still got so terrible long to go…

「働く」ということを考えるといつも、私には崩れ落ちるビルのことと、泣く男の背中が見える。




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