十年以上前にお世話になった方にばったり会った。とはいえ私は体型がずいぶん変わってしまったので、こちらから声をかけても数秒わからなかった様子。 その瞬間の私の印象は「目が綺麗な人だなあ」だったと言われていたけれど、それを真に受けて喜べるほど純粋ではなくなった。
車の中に蚊を入れてしまい、既に三箇所刺された。 痒い。
知らない誰かが作ってくれた道を走る。 道があるのは当たり前ではないということを、この頃ふと考える。 「僕の前に道はない」という詩の一節の深い意味が、なんとなくわかるようになってきた。
草むしりの日々。 なんとかしたいと思いつつ、多分来年も同じことをしていると思う。
褒賞状を入れる額縁を探しに画材店に行った。文具店で見たものは何かしっくりこなくて買わなかった。それなりに値は張った。そこは最後の嫁の勤めだと腹を括った。 仕立てて貰っている様子を眺めながら、人生を縁取る物の意味をふと考えた。 額があるとないとでは差は歴然で格段に見栄えが違った。
「辛い時は新しいハンケチ一枚買って、自分を慰めましょう」 以前顔見知りのお店の奥さんと立ち話をしていた時にこう言われたことがあった。 ハンカチをハンケチという人は伯母とその奥さんぐらいだった。 今日はハンカチを買おうといろいろ見ていた。何度か見回して一枚選んだ。
スルー推奨な内容のためしばらくは有料にします。 それなのになぜ書くのか?ほぼソーシャルネットワークシステムは吐き出しだと捉えているので、私には有用な発信はできません。 なんでわざわざ、そんなこと言われなきゃならないんだ…と今なら思えるけれど、若い愚かなわたしには全てを曝け出して貰えることに愛情を感じようとしていただけに過ぎない。それは愚かな妄想で、妄想であることを認めたくないほど愚かだった。
カード引き落とし専用口座に入金しておこうと、別口座のATMで引き出ししたら新紙幣が出てきて、ニセモノみたいで一瞬焦った。 全部新札だったのに、その場ですぐ入金したので財布には入らずじまい。
もやる話とでも言えばいいのか、今ではない過去の話。いや全てが過去ではないのだ。つい最近過去に繋がる名前を目にしてしまったことから思い出してしまったのだから。 多分昔の私はその時とても傷付いた。傷付いたと自覚がないほど深い傷を負ったのだ。負わされた相手からは、「そんなことで」と一笑に付され、私は傷つくことさえ許されなかったのだ。 その時私自身や相手がその傷を傷と認めていれば、私はきっと引きずらなかっただろう。四六時中意識していた訳ではなかった。むしろ全く忘れていた。しかし
スーパーのエスカレーターで、駐車券を落としてしまって、ギリギリのところで拾えた。 たまに聞くエスカレーターでの事故もきっとこんな感じで起きるのかもしれないと思った。
今年は花火を観ていない。 暑い日もあと少し。
少し歩いて日陰に逃げた。 交尾したトンボが目の前を横切った。
峠越えで運転中にバイクとすれ違う時に怖いと思うのは、カーブでセンターラインギリギリに走る事。 稀に車体を倒すバイクがこちらの車線に上体が入ってきたことがあって、対向車が大型トラックだったら頭から衝突するんじゃないかと思うほど右側にはみ出ていることもあった。 カーブじゃなくても怖い
暑いのに豚汁を作った。 これは以前見た深夜食堂の影響。 少し前の暑い日にはグラタンを作った。 ホワイトソースも作ってマカロニも茹でた。 暑い日に作る料理じゃなあいとわかっていながら懲りない。