散文
もやる話とでも言えばいいのか、今ではない過去の話。いや全てが過去ではないのだ。つい最近過去に繋がる名前を目にしてしまったことから思い出してしまったのだから。
多分昔の私はその時とても傷付いた。傷付いたと自覚がないほど深い傷を負ったのだ。負わされた相手からは、「そんなことで」と一笑に付され、私は傷つくことさえ許されなかったのだ。
その時私自身や相手がその傷を傷と認めていれば、私はきっと引きずらなかっただろう。四六時中意識していた訳ではなかった。むしろ全く忘れていた。しかしその記憶はあまりにも強烈で、ほんの一瞬視界に入った文字ですべてを引き戻してしまうほどだった。
私は具体的な何かを経験した訳では無い。強いて言えば特徴的な「名前」。私はその名前の人と関わりがあったわけではない。なのにその人については、何かと痕跡を思い知らさせることになった。筆跡やら画像やら音声に残されていたものから。
それはおそらく本来であれば私が触れる必要などない事柄だった。私は好んで自らそれらに近付いた訳では無い。偶然、無造作というのか無神経に私の生活の場で共にすることとなっていただけで、生活している場面でたまたま接することとなってしまったのだ。言うならば「事故」の類。
そんなものを見たり聞いたりしたりしたところで、私が嬉しいはずはない。
おそらく検証という理由で、いくつかを手に取り、初めて目にした時はその衝撃で、私は直ぐに廃棄した。当然だと思った。それは今も。
しかし私を傷付けた当人にはその意識はない。「人の歴史」だの「勝手に」だのと私を責め立て追い詰めた。
そんなことには凝りたので、次からはこっそり廃棄することにした。理由は単純で生活の支障となるから以外にはなかった。
「自分は十字架を背負っている」と涙声で打ち明けられた。どんなことでも受け入れると言ってしまったことは、本当に浅はかだった。過去の関係に酔いしれて、自分はモテるオトコなのだと知らしめたいだけなんだと判断できるほどの人生経験も私にはなかった。
私もそんなことにすら自分が必要とされている快感に浸っていたのだろう。
その男の背負わされた十字架の相手との話を詳細に聞かされた。それはスナックのホステス相手の話程度の、私の人生には何も関わりのないことのはずなのに、すべてを記憶に留めてしまった。
いまでもその二人がその思い出に浸っているのかはわからない。しかしその相手という人と同じ名前の人が、私の生活圏の中に存在しているという事実をつい先日知ることになってしまったのだ。それがその人本人なのか私にはわからない。けれど独特な名前の表記は、同じ年頃で同じ地域にあるとは思えないのだ。
その人が誰かどうかは私には当然関係ない。しかし名前から引き起こされた記憶の脅威におびやかされてしまっている。
再びその名前の人と接することがあったとしても、私はその人の過去やその人と関わりがあった人との事実には無関係だ。
私は本来なら目にする必要もないこと、知る必要もない話を押し付けられてしまっただけなのだから私が惑わされることはない。