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初海外(番外編)

とりあえずnoteはじめて2日目。

昨日に引き続き大阪では雨が降っています。

今日は昨日書いた
初海外一人旅ネパール
での番外編ということで、
ボランティア以外の事を書こうと思います。
文章まとまるか分かりませんが
気持ちのままに書いていきたいと思います。(笑)

私がネパールへ出発したのは2016年8月29日なんですが、その約2ヶ月前2016年7月1日にネパールのほぼお隣の国バングラデッシュで「ダッカ・レストラン襲撃人質テロ事件」というのが起こりました。

この事件で日本人含む28名が命を落とされました。さらに亡くなった方に19歳の女学生がいる
というニュースを見て、
正直「海外にいく」というのが凄く怖くなりました。

両親、姉妹、祖父母、友達、、
みんなにネパールに行くことを止められました。
父親には
「ネパールに今どうしても行きたいなら
家を出て行け」
と言われましたし、
母親には
「今akaがネパールに行くことは
私の中でakaは死ぬということと同じ意味。
もし拉致されたり
バングラデッシュのように人質にされたら
と思うと寝られない」
と言われました。

でも、
今行かなかったらいついけるようになるん?
いつ世界は平和になるん?
世界中でテロはなくなるん?
戦争はなくなるん?
ってその当時思ったんですよね。

正直怖くてたまらなかったけど、
今まで見たくないこと
関わりたくないことから逃げてきた自分から
変わりたかった。
そう思ってネパール行きを決断しました。
空港まで出発するバス停に
両親とアルバイト先の店長が
見送りに来てくれました。

タイ航空の深夜便でタイ(バンコク)に着いて
トランジットが6-9時間(正確に覚えてないですが多分これくらいでした)
でそこからネパール(カトマンズ)へ行きました。
確かネパールに着いたのは朝方だったと思います。

空港を出た瞬間死ぬかと思うことがあったんですが
これはまた後々に記事にしたいと思います。

とにかく空港を出た瞬間感じたのは
「異臭と暑さ」でした。
そしてホームステイ先に到着し、
私のネパール2週間滞在が始まりました。

沢山書きたいことがあるんですが、
1つだけ鮮明に覚えていることを書きます。
私はパタンというカトマンズより少しだけ離れた地に滞在していたんですが、
ホームステイ先のお父さんが休日にカトマンズへ連れて行ってくれました。
その時見た光景を今でも鮮明に覚えています。
町には沢山の物乞いの方がいました。
女性が裸で土下座するような体勢でいたり
両足がない男性がその切れた足の部分を見えるようにして小刻みに震え続けていたり
他にも腕がない人、目がない人、色んな人がいました。
私は、そのお父さんに
「彼らは地雷で足がないの?
戦争で身体が傷ついたの?」と聞きました。
そしたらお父さんはこう答えました。
「akaは日本で一生懸命に勉強するでしょ。
勉強していい学校に行って、いい仕事に就くでしょ。
ネパールではカーストが決まっている。
だから自分の生まれた家族が物乞いをすることで
生計を立てているならば、
小さい時に親が子の足や手を切るんだ。
そうやって彼らは物乞いのとして
生計を立てているんだよ。
akaが勉強するのと同じように
彼らは自分の身体で仕事を得ているんだ。
だから、akaが彼らにお金を渡したい
と思えば渡していいし
そうでなければ渡さなくていい」
と教えてくれました。
私はお金を渡そうと思いましたが、
怖くて彼らの近くに行くことが出来ませんでした。
だから何もすることが出来ませんでした。

ステイ先のお父さんとカトマンズの町を歩いて帰宅しました。
その日はこの話や見た光景が衝撃すぎて
寝られませんでした。

ネパールでの生活を詳細に書きたいなぁ
と思ったんですが、
本当に記憶が曖昧なので
ここら辺にしておきたいと思います。

最後に、、、
19歳で家族、周りの人の反対をここまで押し切って自分一人で行ったネパールで感じたのは
「しあわせの形」でした。
ネパールってアジア最貧国と言われていて、
計画停電は毎日あるし
雨が降ると全ての道が川になり歩けなくなるし
冷蔵庫と洗濯機も電子レンジもないし
水不足で毎日シャワーは浴びられないし
もちろんお湯は出ないので水シャワーだし
ネズミもゴキブリも毎日でるし
町には物乞いの人で溢れているし
といったような日本に生まれ育った私にはあまりにも衝撃的な世界でした。
でも19歳ながらに感じたのは
ネパールはいい国だということです。

私は当時大学1年生で、
友達と遊ぶことが楽しかったり、
アルバイトをしたりで、
家族でご飯を食べること、家族と会話することが
ほとんどありませんでした。
でもネパールでは必ず家族みんなで揃って食事をします。(冷蔵庫も電子レンジもないからかな)
私がステイしたお家でも高校生と中学生のThe反抗期の娘さんが2人いました。
彼女達は普段一切お父さんと会話しません。
でも食事の時はお父さんの両隣に座るし
休みの日は洗濯機がないからこそ
みんなで洗濯をします。
そんな光景が私には
眩しくて羨ましくて堪らなかった。

勉強していい大学に行っていい仕事に就いて
いつか家庭を持ってっていうのが誰もが思う本当の幸せの形だと思っていた自分にとって、
便利で快適な生活がなくても、
いい仕事に就かなくても、お金がなくても
こんなしあわせの形もあるんだと知った。

ネパールっていい国やんって思った。

全然まとまった文章で書けなかったけど
こんな初海外思い出話でした。

最後まで読んで下さってありがとうございました。