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アウトロードハンター(外道狩り) 第六話

(4)逃亡者

「保さん、これを」
 そう言うと静は刀袋に入ったままの大刀を保に渡した。
「すっ、凄い……」
 抜き出して見ると保はそれ以上の言葉が出なかった。柄を握った手が震えている
「三代宗光作、禍流磨(カルマ)」
 刀を握ったまま固まっている保を見て静が言った
「だから言ったろ。俺達の刀は全て宗光作だと」
 静の後ろで笑いながら騒が言った。 
「結構軽いだろ?」悪戯っぽい眼で騒が聞く
「棟に沿って樋が通っているのか?」
 刃渡り二尺六寸、刃紋は一面に波打った様なダマスカス模様にも似た皆焼(ひたつら)身幅広く、重ねも厚いが、三枚打ちの刀身の棟に沿って両サイドに樋が掘られている為、見た目よりかなり軽い。
 拵えは何の変哲もない、黒塗り鞘に黒革糸巻き、市境警備隊に対応した拵えだ。
 当然ながら保のブレードキャリングシステムにも対応している。

「保さんの為に打ってもらった物です。この業(ごう)を背負ってくれますか?」
 互いの視線が優しく絡んだ。
「安心しろ、全ての業(カルマ)を背負ってお前を救ってやるよ」
 保は、そう答えると静を抱き寄せ口づけした。
 乱が後ろでヒュウヒュウと囃したて、騒は優しく笑っていた。

「有り難う静、騒、乱。ケリを付けてくるよ」
 境警装備その他は、騒が買ってきた黒いデイパックの中だ。
 禍流磨は刀袋ごとサイドストラップでデイパックの左側に固定した。
 保に頼まれた騒が、装備諸々と伴に保の家から持ってきたダークブルーの制服を着て、刀袋を提げた黒いデイパックを背負った姿は、自分でも『妙に似合わない』と思うほど不恰好だった。
「気を付けてくださいね」静が優しく言った。
 さすがに時代劇で見る様な火打ち石での魔よけの儀式は無かったが、暇乞いも終わり、三人を残し、保は迎えに来た(拘束しに来たと言った方が正しいか?)境警の護送車に乗り込みカイザーズホテルを後にした。

 保の姿が消えた直後、静の携帯電話のコール音が鳴った。
『静様、奴等が動き出しました!』静が電話に出ると、モニターに現れたのは静の護衛に付いていた特殊部隊の隊長、赤城だった。

「……そうですか。大佐、そちらはお任せします。それでは、そろそろ野点(のだて)の準備を御願いします」
 暫く赤城からの報告を聞いた後、一言そう言って静が電話を切った。

 騒と乱の方に振り向いた静の瞳は、【聖眼】に戻っていた。 

              ⚫️

「猿力先任曹長。査問会議は2時間後、7階層の境警本部で行われる」
 四角く無骨な護送車の後部座席で対面に座っている三十路半ばの境警MPが言った。階級章を見ると保と同じ曹長だった。
 保の荷物はその男の横だ。手錠こそ掛けられて無いものの横向きのこの座席といい、防弾ガラスで仕切られたドライバーズルームといい、いまや保は完全に犯罪者扱いだった。
「奪われた車の捜索はどうなってます?」
 前にいる男に聞いてみたが無視された。
 仕方がないので保は左肩越しに走り去る景色を眺めていた。
 その時だった。
 狭い車内に、保の所属する第九部隊の部隊マーチが鳴り響いた。
 ……保の携帯電話の着信音だ。
 何となくMPの顔を見て、懐を指さして携帯電話であることをアピールし、アイコンタクトで出ていいかを聞く。MPが頷いたので、保は電話に出た。
 電話のLCD画面がポップアップし、そこに映し出されたのは暗く絶望的な顔をした御里千鶴だった。
「猿力さん……」小さな画面の中で彼女が呟いた。
「どうした?まさか!」
「こうゆう事だよ」
 彼女の顔がモニターから消えると次に映ったのは『あのゲス野郎』岩村だった。
「約束どうり彼女を見つけたので、君に連絡したんだよ。君と違って私は約束は必ず守る方なんでね」      
 にやにや嗤いながら岩村が続けた。
「君も色々と言いたい事もあるだろうが、君の部下の山本君は、残念だったな。 しかし、あの状況で生きて還るとはな。てっきり死んだものと思っていたら、今日になって君の査問会議があると聞いて驚いたよ。そんな時に彼女が私の蒔いたエサにやっと食いつき、私としては大喜びなのだが、今度は君の事が気になってな」
 そこで岩村は言葉を句切り、保を睨んだ。
「つまり俺の発言が気になる訳だ」
 岩村を睨み返しながら、保が言った。
「君には黙って刑の宣告を受けて貰おう。彼女もそれを望んでいる」
『要するに俺が黙っていれば彼女が助かる。そう言いたい訳か』
 保は声に出してそう言ってやりたかったが、前の席に座っているMPが興味深そうにこちらを見ている。
 携帯電話の画像と音声は指向性になっている為、岩村の話はMPには届かないが、保の話は目の前にいるMPに聞こえてしまう。
『今、こいつ(MP)に知られるとやっかいな事になりかねない』
 そう判断した保は岩村に従うことにした。
「解った。あんたの言う通りにしよう。だが彼女が、お家に帰ったのをどうやって確認すりゃいいんだ?」
 そう言いながら保は、さりげなく携帯電話を録画モードにしようとしたが、エラー表示が出た。
「無駄だよ。スクランブラーを掛けているから証拠は残らんよ。まったく油断のならん奴だな。彼女の事については心配はいらんよ。査問会議が無事に終わり次第逢わせてやる」
 選挙演説の時と同じ顔で岩村が言った。
『うそつきめ。誰が信じるもんか!』
 その時、保は自分の手札に気付いた。
「こう言うのはどうだ?俺は山本の土産を持っているんだが、それと交換しよう」
「あの男が、何か言ったのか?」岩村の顔に焦りの色が見えた。
『掛かりやがった。この小心者が』保は更に煽りかけた。
「ああ、得意げに話していたぜ。なんなら今聞かせてやろうか?」
 岩村が更に引きつった。
「いや、それにはおよばん……。解った。その提案を受けよう」
 灰色の顔をして絞り出す様に岩村が言った。
『完全に掛かった。これでこれから俺が事を起こしても、暫く彼女は無事な筈だ』
 保はこの先、何をするかを決めた。
「最後にもう一度、彼女を出してくれ」
 そう言うと、岩村は黙って千鶴を電話口に出した
「御免なさい。迷惑ばかりかけて」暗い顔で千鶴が言った。
 よく見ると右の口の端が赤くなっているし、不自然な姿勢で、顔をこちらに向けていた。どうやら後ろ手に縛られた後、殴られた様だ。
 岩村に対する殺意が沸々と沸き上がって来た。
「心配しないで下さい。必ずあなたを送ってあげます」
 保は無理して彼女にニッコリ笑いかけて言った。彼女も無理に微笑み返した。
「それくらいでいいだろう」
 またしても下卑た嗤い顔の岩村が彼女に変わって出てきた。
「査問会議が終わったら、ゆっくりと話すんだな」
 にやにや嗤いながら岩村がうそぶいた。
「それじゃあ、後でな」そう言って、保は電話を切った。
『奴は、俺達(境警)が腕に付けているマルチセンサーについて何も知らない様だな』境警隊員は常にマルチセンサーと携帯電話をリンクさせている。
 いくらスクランブラーを掛けていても、マルチセンサーが電波の発信源を探し出してくれる。
 保はにやりと嗤った。

 電話を切り、口端が吊り上がった笑みを浮かべ、憎悪に満ちた眼でモニターがあった所を睨み付けている保を興味深そうに、しかし警戒しながら見ていたMPが言った。
「どうした?トラブルか?」
 何かあれば直ぐに取り押さえるぞ、と顔に書いてある。
「いいや。ただの痴話喧嘩さ」
 そう言って、保は電話を懐に収め、再び気のない素振りで窓の外を眺めていた。
『まだだ。もう少しでチャンスが廻ってくる』

 暫く経って車が停車した。
『チャンス到来!』
 そう、上階へ上がる為の中央エレベーターだ。

 地下都市内には外周を廻る螺旋道路もあるのだが、無駄に距離が長くなるので利用する者は滅多に無く、4基ある巨大エレベーターで人々は行き来している。
 特にVIPの集まるこの地下8階層への出入りは、チェックゲートを通り、エレベーターに乗り込まなければならない。
 又、エレベーター及び螺旋道路の登りと下りは当然別々になっており逆走出来ない構造となっている
 低速で車が動き出し、チェックゲートをくぐると再び停車し、ドライバーが手続きをとった後、やっとエレベーターの中に入った

 車はこの護送車一台、他の車は無かった。
 エレベーターのドアがゆっくりと閉まり始めた。
『今だ‼︎』 保は素早く立ち上がると、目の前のMPにショルダーアタックをくらわし、倒れたMPの鳩尾に蹴りを入れた。
「すまない!」
 倒れたMPのそばにあったデイパックをひっ掴むと、後部ドアを蹴り開け護送車から飛び出した。
 その瞬間、衝撃で角度が変わった護送車のリアアンダーミラーに映ったドライバーと目が合った。
 ドライバーは即座に銃を抜き、飛び出そうとしていたが、シートベルトに阻まれ、そのどちらもが失敗に終わった。
 その間、保はエレベーターのドアをすり抜け直後に背後でドアが完全に閉まった
 驚いて呆然としているチェックゲートの係員を後目にチェックゲートを飛び越え走り抜けた。直後に警報音が鳴り響く。
「これで俺も犯罪者か……」
 保は先の不安と伴に何となく吹っ切れた様な妙な気分だった。
 確かな事は御里千鶴を助けようという気持ちと、
『あのゲス野郎』岩村への殺意だけだった。


               ⚫️

「無茶だ。貴女はあの曹長一人にこれを迎え撃たせろと言うのか?」
 保が逃げ出した頃、W.29市境警備隊最高司令官の鴻上准将が、執務室の机の前にいる白装束の女に言った。
「ええ、彼なら大丈夫です。そうでないと元老院の老人達が納得しませんから」

― 白装束の女 ― 静が、平然と言い放った。

「この件に元老院まで絡んでいるのか……」

【元老院】
 センターシティは言うに及ばす国内の政治及び、行政機関そして国軍の中枢を司る頭脳集団。その名の出現と目の前の白い女が持って来た元老院からの書簡に、准将は頭を抱えた。
『みすみす自分の部下を死なせたくない』
 と同時に、中央からの命令に逆らえない自分とせめぎ合っていた。

「准将、彼は将来私の夫になる人です。だから絶対に死なせる事はありません」
 鴻上准将の心情を察した静が続けた。
「保さんは幸せですね。こんなにも部下を思ってくれる方が上層部にもいて……」
 無表情ながら、その口調には目の前の准将に対する優しさと同時に、己の過去に対しての哀しみが含まれていた。

「いま少し考えさせ・・」
 准将が言いかけた時、ノックが鳴った。
 准将がそれに応えると准将付きの女性秘書官が静の視線を避けながら、そそくさと准将に歩み寄り耳打ちした。
 突然訪れた静がこの部屋に通される前に彼女が対応したのだが、聖眼に射すくめられた事が余程恐ろしかったのだろう。
「何、本当か?」
 准将の顔色が変わり、横目でちらりと静を見ながら秘書官と打ち合わせた後、来た時と同じ様に秘書官が去っていった。

「どうかされました?」
 静が更に頭を抱えている准将に声をかけた。
「状況が変わってきた。猿力曹長が脱走した」
 准将が蒼い顔で言った。
「御安心下さい。それも私の計画の一部です」
 聖眼のまま、口元だけで静が笑いかけた。
「このまま彼の思う様にさせて下さい。そして准将は形だけの追っ手を出して下さい。後の事は、全て私が責任を取ります」
 そこで句切った後、一言付け加えた。

「国発手形と元老院の書簡状にかけて」
 その一言で、保の事は静に委ねられた。

            ・
                  ⚫️ 

 その頃、保は8階層の裏路地を足早に歩いていた。
 もともと人口も少ない上に平日の昼間で上品なVIP地区という事もあり、街中に人通りはほとんど無かった。
 保はデイパックを担ぎ人気の無い裏路地に身をひそめ、マルチセンサーに記憶させていた岩村の電話の発信源を探った。
 LCD画面にMAPが表れ即座に赤いマーカーが岩村の居場所を教えてくれた。
『思った通り、この8階層の中だった』
『市長官邸』ここから14~15分程歩いた場所だ。
「待ってろよゲス野郎」
 その時、マルチセンサーに緊急無線が入った。

「どうゆうつもりだ?猿力曹長」
 LCD画面には沈痛な表情で保を睨み付けている。市境警備隊第九部隊Aチーム指揮官つまり保の直属の上司である大沢少尉が映っていた。
「訳は言えませんが、事が済んだらどこへでも出頭します」
 保の答えに首を振りながら、大沢少尉が言った。
「先程、准将から指令があった。奪われた車の捜索を打ち切ると」
 更に大沢が、沈痛な顔になった。
「どういう事です?」
 聞くと同時に『静達が動き出した!』と、保は確信した。
「判らん。准将は何か知っている様だったが、教えてはくれなかった。そして今度はお前の逃亡騒ぎだ」
 大沢少尉が、保を睨みつけた。
「お前に部隊内での逮捕命令が出た。もう俺の一存では何とも言えん。何をするか解らんが馬鹿な事はやめて早く出頭しろ!」
 市境警備隊内では隊員が何か問題を起こせば部隊内で事を解決する。そういった不文律がある。
 つまり、保の左腕に付いているマルチセンサーを目指して仲間だった連中が追ってくるという事だ。
「少尉。俺は何があってもこれだけはやり遂げます!それまでは俺を止めることは誰にも出来ませんよ」
 今度は保が大沢の目を睨んで言った。
「馬鹿な奴だ。どっちにしろ生きて俺の前に戻ってこい。是非とも一発殴らんと気が済まんからな」
 保の決意が変わりそうも無いのを知って大沢が苦虫をかみ潰した様な顔で答えた
「すまない……」
 保は、そう一言いって強制入電した緊急無線を切った。それしか言えなかった。
 今は上官だが大沢は保の高校時代の同級生だった
 卒業してすぐに境警に入隊した保に対し、大沢は士官学校を出て入隊したエリートだ。公私混同するのが厭で同じ部隊になってから、お互い仕事以外で話す事は少なくなったが大沢が影で色んな面で庇い立てしてくれている事を保は知っていた。
 これが終われば殴られるだけじゃあ済まないだろうが、
『奴を殺して彼女を助ける』今の保の頭の中にはそれしか無かった。

 マルチセンサーは生かしたまま、無線モードのみ封鎖した。
 今となってはマルチセンサーは両刃の剣だ。これの情報に頼らざるを得ないが、これが出す信号は常に境警本部に送られ、たちどころに現在位置が解ってしまう。
 それに一般の隊員には伝えられていないが、これをOFFにしたところでそれは変わらないと昔、大沢が保に言っていた。
『こうなればこいつを頼りに追ってくる連中を露払いに使ってやる』

 足早に岩村の根城に近付いていった。
 道路を挟んで官邸の正面ゲート前にある図書館の茂みに隠れ、マルチセンサーを作動させた。
 市長官邸。まさか保は、自宅ともいえるこんな所で御里千鶴を監禁しているとは思わなかった。
 だがそのおかげで、マルチセンサーを使ってここの詳細情報が手に入る。
 かつてのアウトロード侵入事件の教訓で、公安任務に就く者達にはVIPの邸宅や行政機関の内部構造を瞬時に知ることが出来る様になっている。
 皮肉な事に岩村が昔おこした犯罪のおかげで今、あの男はは知らずに自分の首を絞めていた。
『因果応報、ざまあみろ!』保はにんまりと嗤った

 野球場7つ分の敷地内にクレムリン宮殿を模して建てられた四階建ての悪趣味な建造物は、岩村の市長就任と同時に建てられた物だ。中には市警SPが常駐し、絶えず岩村をガードしている。
「まったく、公私混同甚だしい奴等だ」
 保は舌打ちした。
 手入れの行き届いた庭園の要所要所には、十二名が配置され交代で警備に当たっている。官邸内部には八名。合計二十名の私兵(市警)に守られたちょっとした要塞だ
 岩村の電話は四階中央の部屋からだった。
「さて、どこから入るか……」
 保は侵入経路を探し始めた。邸内に監視カメラ30台。官邸外周は隣接する図書館や、公会堂その他、周囲の建物に設置された12台のカメラで見張られている。
「ここだ」程なく監視カメラの死角を見つけ保は侵入ルートを頭にインプットした

 そして保は、マルチセンサーからデジタルボイスチップを取り出すと、デイパックの中にあるアサルトベストの胸ポケットに入れ、左腕からマルチセンサーを取り外し、装着用のベルトを本体にきつく巻き締め付けた。
 道路や周囲に人がいない事を確認し、隠れていた茂みから這い出ると、道路を走って横断し、監視カメラの死角となっている官邸の塀に近寄り、力任せにマルチセンサーを投げ込んだ。
 これ無しでは後々面倒となるが、今はそんな事を言ってる場合ではなかった。
『機械に頼りすぎるとろくな事はない。アウターでの教訓だ』
 そう思い込みながら、不安をうち消した。

「何か音がしたぞ!」塀の中から市警の連中の声が聞こえた。
「ビンゴ」
 保は小声で叫ぶと、{静かに素早く}という兵士の鉄則そのままにそこから離れ、先程とは少し離れた図書館の茂みの中に隠れ、境警装備に着替えた。
 アサルトベストの左肩に提げた禍流磨のストラップを調節し、即座に抜刀位置にくることを確認した後、左肩に戻し、静かに官邸の正面ゲートを監視した。

 20分程経った頃だろうか、4台のEーLAVに乗った市境警備隊員十六名が、官邸の正面ゲートに乗り付けた。
「市境警備隊第九部隊の者です。こちらにアウトロードが侵入した恐れがあります。早く開けて下さい」指揮官は、Bチームの山際少尉だった。
 追っ手の到着を確認した保は、速やかにその場を離れ、公会堂に設置された3台の監視カメラのケーブルをタクティカルフォルダーで切断した後、静かに元の場所に戻ってきた。
 当然、切断したのは自分の侵入経路とは反対側の監視カメラだ。

 正面ゲートでは、一悶着起きつつあった。

 山際少尉の再三の呼びかけに、やっと出てきた男は門を閉めたまま、薄ら笑いしながら門越しに山際に受け応えしだした。
「その様な情報は当方には、入っておりません。御見受けするところ市境警備隊の方々の様ですが、外回りが御専門じゃあありませんか?ここは市内、しかも第8階層です。あなた方の様な薄汚い格好でおいでになる所ではありませんよ」
 まさに慇懃無礼といった態度で門を閉めたまま市警の警備の男が言った。
「何だと、もう一度言ってみろ」
 その声は戻ってきた保の耳が痛くなる程響いてきた。
 大声の主は、山際少尉の後ろにいた宮村軍曹だった。
 軍曹が門扉に掴みかからんばかりの勢いで喰ってかかろうとしているのを山際少尉が左手で制して言った。
「確かにこちらに伺う格好にしては多少無礼はあるでしょうが、これが制服でね」
 保を含め追っ手の連中も同じグレーにブラックを基調とした、虎縞の都市迷彩に黒いアサルトベストといった出で立ちだ。
 それに比べ市警の連中は、全員黒いスリーピースにエンジのネクタイ。おまけに、お決まりの黒いサングラスで決めている。
「解ったら、早くお引き取りを。ここはノーネクタイお断りなんでね!」
 馬鹿にする様に、にやにや嗤いながら警備の男が言った。
「まだ解ってない様だな。俺達が制服で来ているって事は、治安出動だって事だ。邪魔をするならそれなりの対処を執らせて貰う!」
 山際少尉が言うと、応対していた男は少し狼狽え、襟元のマイクに向かって応援を要請した。
『そろそろ火がつきそうだ』保は、わくわくしながら監視を続けた。
「私は市警本部特務1課の水島だ。お前達が何者だろうと、ここから先に行かせる訳にはいかない」
 応援に来たリーダー格の男が始めに応対していた男に変わって出てきた。他の警備の連中も集まってきだした。
『八名あともう少し……』
「私は境警第九部隊の山際だ。こちらにアウトロードが潜入した疑いがありますので調べさせていただきたい」
「そんな事は無い。ここは我々が完全に警備しているんだ」
 市警のリーダー格の男は激昂したが、そんな相手を鼻で嗤いながら山際少尉が煽る様に続けた
「あなた方、アマチュアには解りませんよ。相手は潜入のプロですから。あなた方素人が相手に出来るのは、せいぜいちゃちなこそ泥程度でしょう?」
 更に挑発する様に顎を上げて相手を見下す。
「何だと貴様!俺達は市長を警護しているエリート中のエリートなんだぞ」
 先程の慇懃な態度も吹っ飛んで始めの男が興奮して言った。
「へっ、市長の犬が」
 先程止められた宮村軍曹が奴等に聞こえる様に呟いた。
「何だと、もう一度言ってみろ」
 さっき宮村がいった台詞を今度はリーダー格の男が言う。
「貴様ら野良猫には忠誠心ってやつが無いのか?俺達の飼い主が誰だか知らない訳じゃ無いだろうが」
 リーダー格の男の台詞に山際少尉が反応した。
「当然知っているさ。俺達の飼い主は国家であり国民だ」即座にそう言い放った。
『その通り!』保は拍手したいのをなんとか押さえた。
「これ以上の押し問答は無意味だ。これより治安活動の強制執行にはいる!総員突入準備」
 山際少尉の命令で境警の全員がEーLAVに乗り込んだ。
「何をする気だ、外部警備の者は全て正面ゲートへ!」
 リーダー格の男が襟の無線で全員集合をかけた。
 それに合わせ残りの外警備の連中が正面ゲートに集まって来た。
 十二対十六、門を挟んでSMGを持った市警の連中と、EーLAVに乗り込んだ境警の連中が向き合っている。
 火力的には、境警側が圧倒的に有利だ。
『おっとこうしちゃいられない』
 保は急いで茂みから這い出し、正面ゲートから見えない様に走り、死角位置にたどり着くと、禍流磨を肩から外し、提げ緒の端をくわえて、塀に立てかけ鍔を踏み台にして塀を乗り越え、敷地内に入った

            ・    ⚫️

 その頃、アウターの遙か彼方でとんでも無い事が起こっている事など、今の保には気付く由もなかった。
「全員出撃体制は良いか?」
 W.28城砦都市跡地の巨大なクレーターの最下層で、ブロンドでロングヘアーの若い女がキャタピラの付いた黒い不恰好な山を背にして、壇上から叫んだ
 壇上の女の前には黒い戦闘服に身を包んだ八十三名の男達がずらりと並んでいた。
 女も同じ黒服を着ていた。
「イエス、マム」
 配下の男達全員が一斉に答えると、女は口元だけを吊り上げて笑った。
 黒い服が女の白い肌を引き立て、白い肌がその唇の紅さを更に引き立てていた。
 そして美しく澄んだ蒼い瞳、典型的なアングロサクソン系、研ぎ澄まされ、完璧にミラーフィニッシュされた刃物の様な美しさだった。
 その女の唇が再び開いた。
「諸君いよいよ我々の悲願を達成する時が来た、前リーダーであり、今は無き我が父も、ワルハラより見ている事だろう。想えば20 年前のあの日、パトロールに出ていたおかげで被害を免れたこの部隊は、あの惨劇の後、瓦礫と化したこの都市で、生き残った人々を助け出し、復興させようと全てを犠牲にして尽くしてきた。その我々に対して、奴等はどんな仕打ちをしたか……」
 そこで女は眼下に居並ぶ黒衣の男達を見回した後、訴えかける様な口調で続けた
「もはや復旧不能と解るや否や、政府はここを廃墟指定にし、外人傭兵というだけで各都市からも閉め出され、この廃墟での最低限の生活を黙認されるという屈辱的生活を長年強いられてきた……。5年前、失意の中で父が死んだ日に、この機動攻城兵器が発見された事は偶然では無い!これは、我等の名付け親でもある我が父、ルトガー・カーライルの遺志であり、必然である!」
 女は再び言葉を句切り、形見の色あせた赤いバンダナを取り出し頭に巻いた。 その姿に男達から拍手と歓声が沸きあがった。中には号泣している者もいる。 黒い戦闘服を着た男達の大半は、40代半ばだった。


ー 女の脳裏に父親の最後の言葉が浮かび上がった
「いいか、この地は残ったんだ……、お前達はこの地を耕し土と共に生きよ。今からお前達一人一人に相応しい名前を付けてやる」
 息絶え絶えになりながらも、彼は生き残った部下全員に新たな名を付け続けた。そして最後に泣き腫らした娘の頭に優しく手を乗せ
「オ……ジャ…ル・カ……」とニッコリと、しかし寂しげに笑い掛け静かに息を引き取った。
 最後に父が何を言おうとしたのか解らないが、
その日から4歳のエリス・カーライルはオジャルカ・E・カーライルとなった ー

  攻城機動兵器ジャガーノート
 全長300m、高さ38m、幅100m、地上戦艦とも言えるナメクジ形でキャタピラ付きの鐵の山だ。
 150㎜滑空砲6門、20㎜対空機関砲8門
 対空ミサイル8基、12.7㎜チェーンガン4門、曲射ミサイル4門、
 対人用7.62㎜ミニガン24機
 火力強化された文字通りの動く要塞だ。
 最大の特徴は城塞近接時、先端上部が外れ、油圧アームにより城壁を越え、一度に100人以上の兵員を送り込める突入リフトが付いている所だ。
 本来の使い方は、数機のジャガーノートと地上に展開されたロケットランチャー歩兵で城砦都市を包囲して火力で圧倒し、すかさず重装兵員を城内に送り込む、これが定石だ。  
 だが、彼等には一機のジャガーノートと、機銃用の弾しか残されていなかった。

 一呼吸おいて女が続けた。
「これより我々、エインヘルヤルは、二手に分かれ出撃する!この攻城兵器とホスゲンという二本の剣で全ての城壁を取り払い、地下に潜った連中を外へと解放するのだ!」
 女の言葉に男達が、雄叫びを挙げ、次々に攻城兵器へと乗り込んで行った。

「オジャルカ様、ホスゲンチームは先に出動させております」
 女の後ろに影のように立っていた互作・フォン・アルベルトが、後ろから女に耳打ちした
「互作、彼等の防護服は、ちゃんと揃っているんだな?」
 女は心配そうにG・Fアルベルトに聞いた。
「ご心配いりません、オジャルカ様。別働隊には完全装備で向かわせていますので」
「そうか・・もうこれ以上、家族を失いたく無いのだ。互作……」
 ふと悲しい眼になりオジャルカ・E・カーライルが言った。
「大丈夫です。直接対峙する事になる我々より、彼等の方が遙かに安全です」 安心させる様にG・Fアルベルトがオジャルカの肩に優しく手を掛けた。
「出来るなら全員一緒に行動したかった……」
 寂しげな眼をしてオジャルカが呟いた。
「オジャルカ様、我々は死にに行く訳ではありません。生きる為に行動を起こしたのです。もう後戻りは出来ません」
 そこで言葉を句切り、遠い眼をして昔を思い起こした。
「思えば20年前のあの日、御母上が亡くなられてから、カーライル大佐と我々元境警隊員全員で、幼きオジャルカ様を育ててきた。いわばオジャルカ様は我ら全ての娘です。あなたの為なら我ら全員笑って死にます」
  互作の言葉にオジャルカが笑って応えた。
「あら互作、今生き延びる為と言ったのに、死ぬ話なんて、私の為にも全員生き残って下さい。もうこれ以上、父さん達を失いたくはありませんからね」
 鋭い刃物の美しさは消え、優しい瞳に変わり、命令口調から自然に柔らかい口調に変わっていた。
 その時、互作はジャガーノートの下側で何かを張り付けている男に気が付いた。
「煉蔵!そんな所で何してるんだ?」
 互作の問いに、呼ばれた男は、にこにこ笑いながら呑気に答えた。
「あー互作副長、オジャルカ様、黒一色だと地味なんで飾り付けしてるんですよ」
 出撃前の緊張とは無縁の間延びした様子で言う、左の小脇には、大きなステッカーの束を抱えていた
「煉蔵、それはいい!早く乗り込め、出撃するぞ」
 互作が、いらついた様に煉蔵に怒鳴った。
「あー、ハハハッわかりましたー。今から乗り込みますよー」
 間延びした返事をしながら、ステッカーの束を抱えたまま煉蔵がジャガーノートに乗り込んだ
 結局貼り付けられたのは、
 一辺が30㎝の赤い逆三角形のステッカーが一枚だけとなった。
「すいませんオジャルカ様。緊張感の無い奴で」
 互作がオジャルカに謝った。
「まあよい。煉蔵みたいな呑気者がいた方が気が紛れる」
 気にする様子も無くオジャルカが応えた。
「ところでオジャルカ様、W.29境警隊の中に少し気になる者がいるのですが……」
 最後に2人で攻城兵器に乗り込みながら互作がオジャルカに言った。
「境警?助蔵達を殺したのは、ハンター共ではないのか?」
 振り向いたオジャルカの表情が、再び刃(やいば)の美しさに戻っていた。
「いえ、そのハンター達は、その男を護衛していました」 
 互作の言葉に首を傾げた。
「ハンターに護衛される境警隊員?VIPなのか?」
 信じられないという様にオジャルカが聞くと、互作が嬉しそうに答えた。
「解りません。ただかなりの使い手です。儂は、あやつが完全な状態の時にもう一度立ちおうてみたい」
 思いだし笑いしながら互作が言う。そんな互作の表情をあきれ顔で見ながら、オジャルカが更に聞いた。
「なんだ互作、恋でもしてる様な顔をして。何者だ、その男?」
「天響印流の使い手です。W.29市境警備隊第九部隊所属、名前は猿力保」
「猿力 保……」
 その名前の響きにつられ、オジャルカがその名を呟いた。

 残りのエインヘリアル隊員全員が乗り込んだジャガーノートは轟音と共に起動し周囲を揺るがすキャタピラ音を響かせ、数年掛かりで復旧させたた上昇リフトへ向けて、その巨体がゆっくりと動き始めた

                                                               
                                  ⚫️


 塀を飛び越え敷地に入った保は、直ぐにアサルトベストからパッシブIRゴーグルを出して装着した。これも境警隊員の標準装備の一つで、昼間でもハレーションをおこさない自動調整タイプだ。
『危ないところだった』
 爪先5㎝手前に赤外線センサーのラインが閃っていた。
 5メートルおきに様々な高さで張り巡らされたセンサービームを避けながら、保は出来損ないのクレムリン宮殿を目指して走り抜けた。
 案の定、外警備の奴等はBチームの連中とまだ揉めている。
 後は屋敷の中の連中のみ。

 屋敷の正面玄関手前の茂みに身を潜め、保はどこから入るべきかを考えた。
 先程調べた屋敷の内部を思いおこすと、屋敷の周りと内部にはカメラが18台。
 1・2階に二名ずつ、3階に三名、『ゲス野郎』のいる4階に一名のSPがいる筈だ。
『斬り込んで倒せない数でもないが、面倒だ。これしかない』
 保は茂みから這い出ると迷彩服の汚れを払い落とし背筋を伸ばして立ち上がり、堂々と屋敷の玄関の前に立ってチャイムを押した。
 目線は上に付けられた監視カメラを見据えていた。
「市長に呼ばれた境警の猿力だ。開けてくれ」
『さて連中がどう出るか?エースのカードは俺が持っているんだ』
 保の口元は嗤っていた。

「貴様、ぬけぬけと……。お前が例の侵入者だろうが!」
 玄関のドアが開くと、そこにはスタンバトンを振りかざし保に返り討ちにあったあの若い男が、銃を構えて立っていた。
 後ろでは、持ち場を離れ来ただろう、三名のSPが同じように銃を構え、バックアップにあたっている。
「通してやれ。私が呼んだんだ」
 数秒間の膠着の後、スピーカーを通して岩村の声が響いた。
 声の威力は絶大で、主人に忠実な飼い犬達は二手に分かれ、保の前に道が開けた。
 例の若い男は鎖が短くて獲物に飛びかかれない犬の様な表情で保を睨み付けていた。
 保はゆっくりと岩村のいる4階へ歩を進めていった。
 その後ろをぞろぞろと四匹のSPが付いてくる。
 4階に上がる頃には七匹に増えていた。

 そして4階の廊下を歩みだした時、突き当たりの部屋のドアが開き、中から男が出てきた。
 八匹目は保の思った通り保に銃を構えていた、あの年嵩のSPだった。
「良く来てくれた。市長が中で御待ちだ」
 保に向かってそう言うと、後ろに付いてきた部下に向かって怒鳴った
「誰が持ち場を離れていいと言った、境警の連中がまだ外にいるんだぞ、いつ雪崩れ込んで来るか分からんのに、この馬鹿共が」
 怒鳴られた連中は尻尾を丸めてそれぞれの持ち場に戻って行った。
「近頃は、どこもなかなか良い人材に恵まれなくてね」
 自嘲する様に言った後、ごく自然に手を出して保に言った。
「刀を預かっておこう」
 当然と言えば当然の事だが、その動作があまりにも自然だったので返す言葉もなく、保は素直にこの男に禍流磨を預けた。
「あんたは、知っててやってる様だな?」
 この男の眼を見て保が言った。
『こいつは確信犯だ』岩村の悪事を知った上で追従している様だ。
「付き合いが長いんで、多少はな……」
― 好きでやってるんじゃない ―そう続けたいのを噛み殺した言い方だった。

「猿力くんだったな。せっかちだな君は」
 部屋に入るなり選挙用ポスターに使う虚ろな笑顔を浮かべて、机の後ろに立ったあの『ゲス野郎』岩村が開口一番そう言った。
 その机の上に保のマルチセンサーが置いてあった
「彼女はどこだ?」押し殺した声で保は岩村に聞いた。
「こっちだ」
 岩村は選挙用の仮面を外し下卑た顔に戻ると右の奥にある隣へ続く部屋のドアを開いて中に入った。
 手には9㎜ショートの小型オートマチックを持っている。
『こんな銃持つ奴の気が知れない』
 ベレッタM84。古銃だが、それはいい。
 保にとって許せないのは、その銃の装飾だった。フレームとスライドが金メッキされており、おまけにごてごてとイングルーブ(彫刻)が一面に施されている。
 しかもスライド上部から見える銃身はステンレスのミラーフィニッシュだ。
 この糞嫌らしい屋敷同様、悪趣味だった。

 中に入った保は、これ以上怒りを抑えきれそうになかった。
 そこには着衣が乱れ、縛られたまま床に転がされた御里千鶴がいた。
「貴様、彼女に何をした!」
「ナニをしただけだ。尋問しても答えんのでな」
下卑た嘲いを浮かべて岩村が言った。
「おやぢギャグかよ、ゲス野郎が!」
 飛び掛かろうとしたが正面にいる岩村と後ろにいるSPが保に銃を向けていた。
「そういきり立つな。女はまだ生きている」
 にやにや嗤いながら岩村が言う。
 保はゆっくりと彼女に近付き彼女を抱き起こした
「御里さん、猿力です。しっかりして下さい」
 目隠しと猿ぐつわを外し、縄を解いた。
「猿力さん、私、私……」
 血と涙と精液にまみれた彼女を優しく、そして強く抱いた。
「もう大丈夫。今は何も言うな」
 そう言ってソファーに掛かっていた布カバーをはぎ取り、千鶴をくるんだ。
「何をするんだ、それは高かったんだぞ」
薄ら笑いながら岩村が言い、更に続けた。
「君は名前以外にも、なかなか嗤わせてくれるよ。その女はあの日アウターで死んだことになっているんだ。そんな女を助ける為に全てを捨てるなんてな。どうせ私に逆らった者は全て不幸な事故に遭うんだよ。君も含めてな」
 岩村の銃が真っ直ぐに保に向いている。
「俺達はまだ生きているし、生きてここから還るつもりだ」
 千鶴を背に隠し、岩村を見据えた。
 しかし、保は背に庇った千鶴が邪魔で、動きが取れなかった。
『彼女がいなけりゃ【ゆらぎ】が使えるのに。目の前に奴がいるのに手が出せない。感情にまかせ、俺はまた状況判断を誤った様だ』
 だが同時に保は、この部屋にいるかぎり岩村がすぐに撃つ事は無いだろうと踏んだ。ここには色んな絵画や彫刻が飾られている。
 岩村が自分のコレクションを傷付ける様な真似をするとは思えない。
「君達に生きていられると困るんだ。私の金脈がセンターシティーにばれるとどうなるか解るか?」岩村が保に聞いてきた。
「正義が執行され、てめーが捕まり世の中が平和になる」
 即座に保が答えた。
「世の中、正義だけでは済まないんだ……」
 保の答えにSPの男が、悲しい貌で答えた。
「国家再生法は知っているか?」SPが聞く。
「いや」保が応えると、SPの男が続けた。
「今、この国の最大課題は、いかに一枚岩の国家を再建させるかという事だ。その為にセンターシティーは情報ネットワークで各都市を繋ぎ、都市の経済及び交通その他諸々は、それに依存している。それと引き替えに何が必要だ?」
SPの男が問いかける。
「税金か?」保が再び答えた。
「そうだ。脱税は重罪でな。先程のサービスで市民を縛る事で政府は各都市から確実に税金を吸い上げている。だからもし市民の代表である市長が脱税で捕まれば、センターシティーからの経済援助はおろか、あらゆる情報サービスも打ち切られ、事実上このW.29城砦都市は機能しなくなる。そして17300人の市民が路頭に迷う事になる。それだけは絶対に避けたいんだ!」
 SPの男が叫んだ。
 無理もない。安全快適を追求したこの地下都市はコンピューター制御され、各都市はケーブルとトンネルにより繋がり、経済取引やメディア等各種情報はそこから送られてくる。もしそれら全てが遮断されれば、この男の言う通り、都市として成り立たなくなる。
『ゲス野郎は、それを逆手に取っていやがったのか!』
 更なる怒りが込み上げてきた。
「解ったか?ここじゃあ私は神なんだ。私が捕まれば市民も困る。私が居座れば市民全てが快適な生活を送れる。この男が私を守っているのもそんな理由からだよ。大昔の誰かが言ってただろう?神は何をしても罪にはならないと」
 勝ち誇った様に岩村が言い放った。
 SPの男は目を背け悲しい貌のまま黙っている。
「つまり市民全てが貴様の人質って訳か」
「そう言う事だ。私は市民に選ばれた市長だ。だから私が不正をすれば市民もその責任を負う事になる。選挙とはそれ程重要なものなのだよ。私が市長であり続け、市民が平和に暮らし続ける為にも、君達を生かしてここから帰す訳にはいかない」
 岩村は芋虫の様な指で銃のハンマーを起こした。

 保はゆっくりと身を起こすと右の口の端を吊り上げて無理に嗤い顔を作った。
「俺が何の小細工もせずに来ると思っているのか?このままだと、あと20分でお前の悪事は全て公開されるぞ」
 そう言うと、SPの男に向かって続けた。
「おい、あんた!」
「たっ、高橋だ」
 保の視線が急に自分に向けられた為、動揺したSPの男が自分の名を名乗った。
「市長の机の上にある物が何か解るよな?」
 高橋は、隣のドアを開き、机の上を確認した。
 その間も岩村は保達の方を見据えたまま銃を構えている。
「P.I.T.I.S.(ピティス)だな」
 正式名ポータブル インファントリー トータル インテリジェンス システム。(携帯式歩兵用総合情報装置)
 境警における通称:マルチセンサー。
 壁の中にいる市警と違い、アウターで戦う境警隊員の必需品だ。
 一般人はおろか市警の連中にしても、これについて詳しく知る者はいない筈だ。
 そこを踏まえて保が言った。
「ご存じの通り、そいつは俺のバイタルチェックを常にしている。もし俺が死んだり、そいつ自体を破壊しようとすれば即、また今のように腕から離れた場合、1時間以内に装着しなければ、ダイイングメッセージを境警本部に送り込んだ後、自爆する。そのメッセージの中に、べらべらと喋っている山本の会話が入っていた……としたらどうする?」
 まったくのブラフだが保は、それらしく嗤いながら続けた。
 奴等に考える時間を与えない為だ。
「そして、俺がそいつを外してから40分程経っている。そこで取引だ。俺達は全てを忘れてこの街を出て行く。無事に隣街まで着いた所で、あんたにマスターチップを送るそして二度とこの街には戻らない。これでどうだ?」
 保の提案に対し岩村は高橋から受け取ったマルチセンサーを保に投げ渡した。
「とにかく今すぐ、そいつを装着けろ。話はその後だ」
『掛かった!』
 保は、内心飛び上がりそうになりながらも押さえつつ、渋々とした顔でマルチセンサーを装着し、こっそりと胸ポケットに入れていたチップを再び中に戻した。
 これで強力なアンプが確保できた。
「しかし、君の提案では私の方に不安が残る」
 岩村は銃を向けたまま考えていた。
「どうせもう脱税の証拠は隠しているんだろ?それに17300人の人質を取っても、まだ不安なのか?こいつを聞いてみろ」
 保は再生スイッチを押した。
《市長の岩村だ。ブリーフィングの前に呼ばれたんだ。今度のミッションで、あんたを殺せと……。俺はあの人に雇われただけだ。あんたを罠に掛けて殺しアウトロードと組んで中と外から安心と恐怖で市民全体を支配するのが、あの方の目的だ》
 山本の言葉が二つ続きの部屋中に響いた。
 だが外には聞こえない。
 聞いている間、千鶴は保の背中に張り付きっぱなしだった。
「あなたも殺されかけたのですね」
 独り言の様に千鶴が呟いた。
 頷くだけで彼女に応え、保は岩村の反応に注視していた。
「それとだ、この時奪われたホスゲンのタンクローリーは、まだ見付かってないんじゃないのか?」
 保は岩村に目を向けた。
「本当なんですか!市長?」
 保の問いかけに驚いた高橋が岩村に詰め寄った。
「何も問題は無い!奴等に何が出来るんだ?金と食い物を渡せば何でもやる下らん連中だ。そろそろ奴等に連絡を取ろうと思った時に、こいつ等が網にかかったんでな、多少遅れただけだ」
 詰め寄る高橋に眼を合わせず、うんざりした顔で応え保達に向き直って言った。
「解った。もういい」
 苦々しい顔で岩村が続けた。
「よかろう。私は慈悲深い神だ」
『巫山戯るなゲス野郎!』と思いながらも保は何とか自分を押さえた。
『これで俺の勝ちだ』

「じゃあ出ていくぜ」
 千鶴を先に行かせ後から保が続く。二人が岩村達の前をゆっくりと通り過ぎた。
 千鶴が廊下に通じるドアノブに手をかけたその時、厭な気が閃った。
「伏せろ!」
 千鶴に叫び、保が引き倒そうとするより早く銃声が響いた。
 千鶴が、がっくりと倒れた。
 背中に小さな穴が空き、胸から大量の血が流れ出ている。
 即死だった。
「きっ貴様……」振り向くと銃を構えたまま岩村が下卑た嘲いを浮かべていた。
 銃口からまだ硝煙が昇っている。
「私には17300人の人質がいるんだ。一人くらい死んでもかまわんだろ?」
 その言葉に切れ、保は岩村に向かって飛び出した
「ヒッ、イー!」
 驚いた岩村は机を蹴り倒し妙な叫び声を出しながら立て続けに銃を乱射してくる 。
 保は【ゆらぎ】を使い、それらをかわしていった
「あひゃっ」
 全ての弾を避け岩村の前に保が立ちはだかると、岩村は半狂乱になりながらスライドストップのかかった銃のトリガーをカチカチと保に向かって引き続けた。
「猿力君!」
 振りかえると高橋が禍流磨を保に投げ渡した。
「たっ、高橋!どういうつもりだ?」
 岩村は目を剥きだし、口から泡を吹き出しながら高橋に怒鳴った。
「あなたのやり方にはもう付いて行けません」
 静かに高橋が岩村に告げた。
 高橋の助けが無いと悟った岩村は、パニックになりながらも忙しげに周りを見回している。その目線の先が、倒され飛び出した机の引き出しに吸い寄せられた。
 そこにはミラーフィニッシュされた小型のリボルバーのグリップが見えていた。
「いいぜゲス野郎!取ってみろよ」
 保が叫ぶのと同時に、腰を抜かしたままの岩村がバタ狂う様にリボルバーの白いグリップに向かって這い出した。
 思ったより早い。
 岩村がリボルバーを保に向けかけた時には、保は禍流磨を抜き放っていた。
 銃を持った右腕を刎ね落とし、返す刀で鳩尾から右肺を斬り裂いた。
「楽には殺さん。苦しんで死ね!」
「ブヒュッ、ヒュガッ……」のたうち廻りながら岩村が藻掻いている。
 保はその姿を冷ややかに見つめていた。

 藻掻き死ぬ岩村を無視し、禍流磨を納刀して力無い千鶴の躯を抱き上げた。
 そして保の背中に銃を向ける高橋に言った。
「やめとけよ」
 廊下に向かうドアを見つめながら、高橋に背を向けたまま続けた。
「ここでやめとけば、あんたもヒーローだ」
「そういう訳にもいかなくてね。確かに市長と税務官が死に、この街が切り離される危機は無くなった。しかし市長と税務官を殺した暴漢を始末する事で、この事件全てを完全に封印しなければならない……そうだろ?」
高橋が冷静に言った。
『こいつは慣れている。本当のプロだ』
 仕事の為なら平気で女子供も殺すし、後ろからでも平然と撃った後、家に帰ってホームドラマに涙する。そんな手合いだと保は看た。
「彼女を抱いたまま、さっきの動きは出来んだろ?」
 高橋の指がゆっくりとトリガーを引き絞る。銃の中でシアーが押し上げられ、ハンマーを解放しようとする。
 その時突然、ドアが外から蹴り破られ、4.45㎜のM12アサルトライフルを構えた四名の境警隊員が突入してきた。
「銃を捨てろ!」
 高橋は親指をかけ、ゆっくりとハンマーを降ろすと銃を捨てた。
 その顔にどこかしら安堵の表情が浮かんでいたのは、ひょっとして保の見間違えだったのだろうか?

「猿力君。君はこの事を知っていた様だが、何故だ?」
 手錠を掛けられ境警隊員に連行されようとしていた高橋が不思議そうに保に聞いた。
「あんた方が仕掛けたこいつの御陰だ」
 そう言って、保はアサルトベストの裏に付けていた隠しカメラを出した。
「マルチセンサーをアンプにして電波ジャックし、共通指令波に合わせ、周囲500mにこの部屋であった事全てを流したんだ」
 そう言うと高橋は肩をすくめて嗤った。
「はっ、我々は君を甘く見すぎていた様だ」
 そして高橋は連行されて行った。
 その頃には千鶴の亡骸は運ばれ、『ゲス野郎』岩村の死体も片づけられていた。

『クソッ!俺は傷付いた女一人守れなかった。こんな事で、本当に愛する女を守れるのか?』

 保は自分の無力さが許せなかった。

 そんな気持ちを察してか、部屋に入ってきた山際少尉が保にどこからか持ってきたホットコーヒーが入った紙コップを渡してきた。
「取り敢えずそこに座って、ここで何があったか初めから話してくれ、ゆっくりでいい」
 保は紙コップを受け取ると山際少尉に言われるまま市長室のソファーに腰掛け、今までの経緯をゆっくりと話し出した。
                    
                                              ・⚫️

 同時刻。市境警備隊司令センターでは混乱が生じていた。
「野村大尉。衛星トレース地上及び船舶管制レーダー全てが不能となりました!」
 管制オペレーターの瀬崎洋子伍長が、女管制指令官の野村明日香大尉に叫んだ。
「予備回路に切り替えろ」野村が瀬崎に指示する。
 ストイックでありながら、落ち着いた色気を感じさせる40代半ばの女士官である彼女の脳裏に厭な予感がよぎった。
「駄目です大尉。予備回路も遮断されています」
 瀬崎を含め、他のオペレーターも同じ答えを繰り返した。
「城塞カメラに切り替え!目視管制にてチェック急げ!」
『又、小皺が増えるわ・・って、こんな時に何考えてるのっ!』
 野村は頭の中で、自分で自分につっこみを入れた。
「第1エリア異常なし」切迫した黄色い声。
「第2エリア異常なし」切迫した黄色い声。
 第3~第7以下同文。
「第8エリア異常なし」切迫した黄色い声。
「第9エリア、なっ、なにあれ……」
 第九部隊エリア担当の瀬崎洋子は、信じられない物を見ていた。
「正面ゲート前の北の森が動いています!」
「モニター拡大」瀬崎は野村が言う前に拡大モニターに切り替えていた
  そこには、北に向かって開かれる正面ゲートから2㎞先にある森の奥が、うねる様に動いている様子が映っていた。
「ゲート前の連中に連絡。正面ゲート緊急遮断しろ、鴻上准将に緊急連絡。敵襲だ」 指揮を執る野村大尉の表情が完全に変わった。

 堀を渡す跳ね橋が上げられ、第1ゲートから第3ゲートの全てが閉じられた頃、森を切り裂き巨大な黒い鐵の山が表れた。 
              ・

   第七話 https://note.com/1911archangel/n/nfba17d6c149b

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