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アイデアの滞在時間の話

一般に「アイデア」という言葉は「思いつき・着想」と言ったニュアンス・言い回しで用いられ、「いいアイデアが浮かんだ」などの様に用いられる。

「着想」という意味合いにつながるところであるが、私自身もアイデアというものは「突然降って湧く」様なイメージがある。

ただし、純粋な意味で「降って湧く」という事ではなく、そのひらめきに至るまでの下準備ありきの話である。

例えば「いかなる時もその対象について思考が向いてしまうくらいの"硬い"情熱」であったり、「その対象に関連する分野のみならず、関連するか否かを問わぬ垣根を越えた情報の取得」であったり、「その対象に対する共通の理解者とのディスカッションの機会がある事」などである。

(ここであえて「"硬い"情熱」といったのは、個人的にこの"情熱"というものがのようなものではなく、ゆるゆると氷解してなくなってしまう""のようなイメージで捉えているからである。この「"硬い"情熱」の話もいずれしたいと思う。)

そうした環境が揃ってこそ訪れるひらめきの瞬間であるが、この偉業は「無意識下の脳」が引き起こしているのだ。

先に挙げた例をそれぞれ言い換えるなら、「情熱」は「潜在意識に今の第一目標を設定して"強力なセンサー"を稼働させている状態」で、「情報の取得」は「アイデアを構築するための"要素の絶対数"を増やし、潜在意識によって"無作為に行われる要素同士の組み合わせ"の材料を収集している状態」で、「ディスカッション」は「"相手と話す"という五感をフルに使う"高次脳機能を活発化させて行う作業"を行う事による、あらゆる情報を駆使した"無作為に行われる要素同士の組み合わせ"の加速をしている状態」と言える。

こうして俯瞰してみると起こるべくして起こっているかのように見える"アイデアのひらめき"であるが、その滞在時間は短く、結局脳内の細胞間で煌めいた「雷の様なもの」なのである。

意識の覚醒・不覚醒を問わず、すなわち起きていても寝ていても起こり続けるその莫大な回数の「組み合わせ」は、脳内に収蔵された莫大な量の要素をなるべく早く組み合わせていく必要があるため、(無益でも有益でも)生じたひらめき1つの占有時間は、他の組み合わせでひらめかなかった時と「同程度の時間」しかないのである。

要素同士の無作為な組み合わせによってさまざまな感覚情報が用いられた結果、目が覚めている時にやってくるひらめき達は、時に映像的であったり、聴覚情報的であったり、視覚情報的であったり、文字などの視覚情報的な形態をとって表現するのだ。

(目が覚めていなければ、ひらめきは夢として現れる。)

世界を変えてしまえる程の有意味的なものから、1円すら出す必要のない下賤なものまで、その訪れをコントロールするとができないひらめき達はその数秒の「儚い煌めき」の中で生じては消えてゆくのだ。

さて、そうして数秒程度の生存時間しかないひらめきだが、"そうしたメカニズム"のせいで記憶に留めるまえに掴み損ねて後悔した人は多い事だろう。

私も例に漏れず見失ってしまった機会は数知れず経験している。

この頃で言えば余計にアイデアが欲しいところであるので、見失わない様に努めているところである。

いつ何時に訪れるかも読めないひらめきであるが、"求めている答えが明確であれば、一度見失ったとしても必ずまたひらめくことがある"と私は考えている。

ただ、浮かんだアイデアはあくまでアイデア。
見えない道を示してくれるだろうが、歩くのは自分なのである。

"時たま訪れるボーナス"程度に考え、依然として努力をしていく必要があるのである。

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