【読書感想文】愛するということ 2/3 「母性愛の難しさ」
前回記事で「精神的な態度は使い分けることはできない」という意味合いで「分業はできない」ということを紹介したが、今回は本書の特筆点の2つ目、「母性愛の難しさ」について述べていこうと思う。
母性愛の難しさ
これだけ聞いてもさっぱりわからないかと思う。
「母親が子供に対して等しく最大限に無償で捧げるものであるだけに、そのどこに難しさがあるのか?」
文中の一文を見るまでは疑問符が残っていた。
母親は子供が生まれてから日々成長していく中で母性愛をもって精神的にも物質的にも様々なものを与えていくが、遠からず無条件に訪れるその過程の終わる間際、「巣立ちの瞬間」が最難関だとは考えもしなかったのである。
自らの血肉を注いで生み出して、長い時間酸いも甘いも共に体験してきて、無事我が子の心に母親像と父親像が構築出来たら、より善い人間になってもらうべく背中を押してあげる。
その「巣立ちを耐え忍ぶだけでなく、子供の幸福を願いつつも、手元からは飛び立たせる心」のなんと過酷なことかと、私は世の母親に対する力強さを感じたのだった。
友愛を祈れる「万人を愛せる女性」の強さ
ところがここで失敗する母親が多いことが後述されており、それには「親自身が自立していないこと」が関係しているらしい。
子供を所有物や奴隷のように扱ったり、自分の一部として扱うことで自分のナルシシズムを満足させたり、自分の問題を子供に解決してもらおうとしたり、挙げればキリがないが、そのどれもが子供が離れていくのを認めず、手の届くところにいるように強制しているように見える。
子供は自分とは別の「対等な人間」であることを認識して、子供にも例外なく友愛を抱かねばならないのだ。
親に「相手の人生をより良いものにしたい」と願う友愛がなければ子供の自立など祈れず、手元から飛び立たせることなど叶わないということである。
子供に真っ当な人生を送ってもらうには、何より親が正しい愛を抱いていて自立している必要がある。
つまり母親は「万人を愛せる女性」であることが望ましいのだ。
前提条件は「能動的で自主的な愛」
ここで、ただ女性のみが友愛を抱かねばならないということでは決してなく、父親たる男性も万人に対して等しく友愛を抱けなければならない。
自分に都合のいいことばかりを躾と称して言動や態度・行動で示せば、子供の目には権威をふるう「横暴な父親」として映り、「父親とはそのようなものだ」と誤った認識が植え付けられ、子供の中に真っ当な父親像が構築できなくためだ。
そして、男性には抱けない母性愛を抱くことのできる女性は一層の配慮を意識しなければ、歪んだ母親像が構築されるのみならず「子供の寄る辺の消失」という形で人格形成に悪影響を与え、着実に子供に伝搬するため、「万人を愛せる女性が望ましい」としたのだ。
故に一切強制はせず、「かくあるべし」とは言わないが、健やかな子供には友愛を抱ける母親の自立した姿が好ましい為、自ずと目指すべき姿が見えてくるはずなのである。
そもそも友愛を含めた愛の数々は能動的で自主的な感覚であるから、決して他者に強いられて抱かれるものではないのだ。
愛する我が子の幸せ以外を求めない「徹底した利他主義」ができる母親の強さ
私には未だパートナーはいず、「子の巣立ち」がいかほどにつらい体験なのかはさっぱりわからない。
であるから、私には未だ道半ばの友愛が既に習得ができている「万人に友愛を祈れることができる女性」はただそれであるだけで既に神々しく見え、子の旅立ちを見送った世の母親には力強さを素晴らしく思うのだ。
その中に「理想的な子供の教育」や「子供に依存したために失敗した巣立ち」やいろんな形の見送りがあるかとは思うが、長く自分に息付くものを捧げた子供の背中を押して、我が子の幸せ以外を望まない「徹底した利他主義」が成し遂げられた人には、是非とも一度会ってみたいものだ。