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【読書感想文】時間は存在しない「時間とは人間が無知な証」

4/11に本書を購入して約一カ月、週のほとんどの日の3~4時間ほどを費やして読了・マインドマップの作製・本記事の作成に至ったわけだが、それまでほんわかと知っていた概念が一回り強化された感じが少しばかり実感される今である。

時間は存在しない (カルロ・ロヴェッリ)

もっとも、それはただ知ったような気になっているだけの、いわゆる「ダニング=クルーガー効果」と呼ばれるものに該当するかもわからないが、そうであっても曲りなりに読書ノートをとって自分の文字で思考を綴ってこうしてまとめているわけである。
これら一連の活動がその様な錯覚ではなく、実感の裏付けに一役買っていると思いたいところだ。

時間という概念の深さを見誤っていた

さて、本書を読み進める中で特殊・一般相対論に加え量子論概論、宇宙論各種、さらに広範な領域の知識がどの様に結びついて明らかになっていくのかが楽しみな反面、新たに知ったことがあるからこそ「新たな不明点・疑問点」も生じ、それらに対する不満足感が反面、その両者が同じ割合で読み進めるごとに増えていくのだった。

そのどちらもがネガティブにもポジティブにもなりうるが、今のところは次に読み進めるべく購入した「相対論入門」を読了するためのモチベーションになっていると感じるあたり、どうやら悪い方向には進んでいないようだ。

当初「現在取り掛かっている小説のシナリオを形作っていく際に、時間の取り扱い方に関して矛盾の無い様にしたい」という目的の下、当書籍がチョイスされた訳だが、結論「物語を構築する際の情報源としては今一つ足りなかった」というのがいいだろうか。

ミクロ(プランクスケール)・マクロ、エントロピー、相互作用や熱の痕跡など新たな知識は収集されたが、物語に関連するアイデアはやはり見いだせず、私が思い浮かべたことの「非常さ」が改めて痛感されたのだった。

ワールドスタンダードが理論をもって私に「不可能である」と突きつける「時間停止の不可能性」には納得させられるばかりで、考えた私自身相変わらず実現したいとは思いつつもその具体的な方策、あるいはSFの嘘の力を借りて再現するにしてもどう再現すればいいかがわからずにいた。

そこについに「重力場理解の必要性」が導き出され以後消化が始まっていくわけだが、その必要性を導き出すに至らせた、「本書で得られた知見」を下記にまとめてみたいと思う。

大きく「不可逆性・非可換性」「相互作用」「ミクロの収縮による潰れ」の三点について解説していこう。

1.「ミクロ世界の物の挙動」こそが世界本来の姿

「不可逆性・非可換性」という語は「エントロピーの不可逆性」や「量子変数の非可換性」というように用いられ、いずれもミクロの世界における基本原理として作用している。

エントロピーは熱の増大に関わる状態量で、「熱力学第二法則」に有名なようにエネルギーは希釈されてもエントロピーは決して減らず、エントロピーが低かった過去から絶えることなく一方向に増大していくのだ。

量子は物体を分解していった最小単位のことであり、「量子変数の非可換性」とは同じ条件・同じ計測をしても決して同じ結果が再現できず、原子を構成する電子が観測ごとに「一定の領域内で予測不可能な形で出現する」ことに明らかである。

また、エントロピーや量子が作用するミクロの世界では時間は何億倍もケタ違いに短い

ハエの知覚する時間の流れが人間と比較して遅いことからわかるように、最小限の時間の単位として「プランク秒」が存在し、一般に10^-44秒という数字で表される。

人間が知覚できる最小限の時間が0.1秒(10^-2秒)単位なのに対して、最小限の時間は無視できるほど短い。

ところが、時間が無視できるにもかかわらずミクロの世界でも「時間の矢」で現されるような「時間の不可逆性」が相変わらず発生したのだ。

そこで、その不可逆性の正体をたどり、時間の矢と同じ効果を持つ「エントロピーの不可逆性」と「量子変数の非可換性」が時間のカギを握っていることが明らかになってきたのだ。

そしてここには「相互作用」という概念も関わってくる。

2.時間は「秒単位」ではなく「1イベント単位」で刻まれる

「相互作用」とは、一対の対象が何ら間の形で接触してお互いに影響を与えることである。

そしてその様子を物理世界に反映すると、大まかに「影響を与える側(観測者)」「影響される側(対象)」と捉えることができる。

具体的に、(相対論的な「光円錐に由来する半順序」によって)固有時が無数に存在する世界では、(その光円錐の)現在点に位置する「観測者」と接触・干渉する「対象」の一対の存在が「相互作用」することで、(1秒などの様な)定量的に定義された「不変な定数」、すなわち我々が体感する「普遍的な時間」ではなく、一定の継続時間を持った都度規模が変わる「浮動的な定数」、すなわちとあるイベントの始まりから終わりまでを一つとして認識する「ひとまとまりのイベント」が発生し、それが積み重なることで観測者を中心とした過去から現在、未来までの「時系列」が成立するのだ。

この「観測者が対象に対して影響を与え始めた瞬間から終える瞬間まで」のひとまとまりの出来事が「相互作用」であり、その過程で「低かったエントロピーが観測者によって上昇」させられ、「量子変数が観測されることで確定」されて、不可逆的・非可換的な時系列確定が行われるのだ。

しかしこの様子はミクロの極小さな世界の出来事であり、我々が体感するマクロの世界で流れる時間の正体ではない

そこで今度はこの小さな世界の現象を等身大の世界に縮小してみよう。

3.マクロの世界を生きる人間は「ぼやけた世界」しか見えない

例えば、辞書を適当に開いてテーブルの上に立てかけ、椅子から立ち上がり、2~3歩(※より正確に体験したい場合は数キロ離れてみるといい)後ろに下がってから辞書を眺めてみる。

その時見えるものは何か。
いや、見えない。そう、見えないのだ。

あまりにも小さなものを縮小しすぎたために本来の姿(この場合は辞書に書いてある文字)が潰れて見えなくなってしまったのだ。

これが三点目「ミクロの収縮による潰れ」である。

ミクロの世界(量子空間)の物体の本来の姿粒状であり、例えば1から10までの連続的な概念ではなく「1から3までで一つ、4、5、6と間があいて7から9までで一つ…」というように「一定のまとまりをもった断続的な概念」であり、その様子は液晶テレビを拡大して見たときの一つ一つの電極のようだ。

テレビの電極間の隙間は離れるほどに見えなくなって一つの映像になるように、ミクロの世界でプランク秒単位で断続的に発生している出来事潰れて認識されることで、我々はあたかも「時間が連続的に流れているように感じている」のだ。

本書では「ミクロの収縮による潰れ度合」を「像のぼやけ具合」というように表現し、我々は世界を鮮明な状態で見ているのではなく、またミクロそのものではなくミクロが潰れた「ぼやけた像」を、つまり「間接的」に世界を見ているのだ。

「時とは、無知なり」 - カルロ・ロヴェッリ

結論、熱的な不可逆性量子的な不確定性や観測によって確定されること我々の目がミクロを直に見れないことに由来して時間は体感されるのだ。

あまりにもありふれた、どこにでも存在するエントロピーと小さすぎてそもそも干渉のしようがない量子的な事象、全ての相互作用をミクロレベルで観測することが不可能なことが、過去から未来への一方向の流れを持った時間をもたらし、時間が物質に動きを与えたことで宇宙や惑星や生物や私を構築し、「エントロピーの増大」がまだ見ぬ未来を保証するのだ。

また時間こそが人の記憶の正体であり、アイデンティティの正体でもあるのだ。

時間ありきの空間であり、空間ありきの記憶であり、時間があるからこその記憶なのだ。

この本書における「アイデンティティの項目」に関しても解説したいが、記事を分けていずれ公開しようと思う。

時間の不可逆性は「エントロピーの不可逆性」「量子変数の非可換性」「ミクロの収縮による潰れ=像のぼやけ」によって引き起こされていたのだ。

これは「時間停止」の土台の一部に過ぎない。

私の時間探究は続くのだ。

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