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「作品の面白さ」の話

本格的にお話の中身について考えるようになって、いくつかの個性系能力を題材にした作品に目を通した。

本当に純粋なゲームが舞台の死の狂気が関わらないお気楽なものから、生死に直結した命のやり取りが課されたサバイバルモードなものから、スキルとかステータスとか一部ゲームテイストなんだけど、やっぱり死が付きまとう半々なんだけど死と隣り合わせなものとか、その作品のベースなだけに似通ったものはあれど、そっくり同じものというのはそうない。

それら「能力を扱った作品」という前提の下で構築される世界観や最終目的等、「作品の土台」に当たる根幹の部分が実に多様で、その土台の部分と合わせて能力の見せ方などの直接目に見える枝葉の部分が相互作用して、魅力が爆上がりして「次回作が待ち遠しい」と思うものから、(大変失礼ながら)「こんな作品で一定の評価がもらえるとはお笑いである」と思えるものまで本当に多彩であった。

ではそのどこに面白さが隠れているのか。
大きく二つに分けて見ていこうと思う。

1.ありのままの人間の描写がされている事

(ひょっとしたら過去にも同じようなことを考察していたかもしれないが、)「視聴者が作中のキャラクターに感情移入する」という前提で話を進めると、ずばり「キャラクターが抱いていた鬱屈感を吹き飛ばさせる痛快感」にあると思う。

周囲の人間からは酷く虐げられ、自分だけが割に合わない不名誉を被り、能力を授かったばっかりに冷遇に晒されるという徹底的なネガティブ

しかしそこからあれよあれよと文字通り「神の思し召し」がごとく話が上手い様に進み、最初のふるまいとは打って変わって媚びへつらう周囲の人間をよそに、自分や大切な仲間や手の平を返しやがった周囲の人間さえもひっくるめて世界を救うという真のヒーロー像にも形容できるポジティブ

徹底的に落ちた後の人類一の栄光の存在に駆け上がるその花道が、能力とは別観点で話を面白くさせる要素なのではないか、ということだ。

「人として最低で忌み嫌われるような存在」から「ただ一人しかいない、かけがえのない存在」への昇華。

倫理観や道徳に根っから反する行いをし、しかしそれが冤罪だったにも関わらずそんな評価や処罰を下した人間すら守るという「人としての最高の存在」への変遷過程がワクワク感を煽り、そしてあまつさえ降りかかる最大の脅威すら排除してしまう「伝説のヒーロー」が、面白くないわけがない。

視聴者は、ヒーローになるはずである主人公が惨憺たる仕打ちを受け、いつかの日についに立場が変わって主人公が報復ができる状態になってもその全てを許し、あまつさえその連中の生命すら保証するというかつて自身をいたぶった弱い人間が完全に敗北する姿と、視聴者が変わって行いたいくらいの行動の一切を取らない「人としての完成度」に痺れ憧れるのだ。

サイタマ先生やオールマイト、異世界に転生して偉業を成した勇者の諸君はそれらが共通しているように見えたのだ。

お話だからこそ描ける魔法やスキルが飛び交う非日常内で成し遂げられるイベントの数々に、共感の先にある人間のありのままの姿が描かれるから「心が揺れて余韻が残り、記憶に残り続ける作品」になれるのだと、共通項が導き出せた気がしたのだ。

その結論はすなわち「痛快感や最低限備わっているべき共感が欠如した作品が面白くない」という意味にもなるが、それも違和感なく同意できるのではないだろうか。

無論別観点の「能力の見せ方」が最高に面白かったらそれはそれで評価は高くなるだろうが、ヒューマンドラマが疎かな者の描く作品の評価は必ずどこかで頭打ちになってしまうだろう。

「人が見る、人の心の変化に面白さを見るドラマの中に、人の内面の描写が疎かな作品が面白いと言ってもらえるわけがないのではないか」ということである。

極普通で標準的な人生、あるいはマイナスな人生からのスタートを切った人間が、清濁併せ持った人間のありのままの姿を、仲間や関係者や敵の中にさえに映していくサクセスストーリーが、痛快感というエクスタシーをもたらすのだと、私は考えたのだ。

2.成長の描写がある事

また上記にもあった「別観点としての能力の見せ方」は土台の上に構築される特に作品の良し悪しに関わる造形の部分であるが、どんな能力系の作品でも頭から終わりまでキャラクター達の個性を形作る部分の変化がない作品は一切ないのではないか。

(ルフィーが終始「ゴムゴムのピストル」だけ使うような世界は絶対面白くないし、斬魄刀が「ただのユニークな形をした刀」というだけならあの作品は海外展開なぞしていないはずだ。)

どのような手法を用いて現実離れした挙動が取れる能力その応用技術を習得するかはその作者の腕の見せ所であるが、一般に修羅場を潜り抜けたりライバルや強敵と対峙した時など「経験値を獲得した時」に顕著だと思う。

現実でも同じではないかと思う。

九九は繰り返し失敗したのちに記憶に定着し、自動車免許はそこそこまとまった時間が必要で、月給100万の営業スキルを獲得するために費やした労力と時間は人が想像する以上の物のはずだ。

現状で打破できない壁が現れて、そこで何度も壁に体当たりして物理的に耐久値を削って行ったり、別のどこかでレベルアップして日を改めてぶち破ったり、その障害に詳しい人に助言をもらったり、なんなら回り道や別の選択肢を選んだり、そうして今より多く、大きく、高く、速い存在になっていくものだろう。

ある時にひらめいて、それを試行錯誤して見事自分にしかできないような比類のない、かけがえのない武器を獲得する。

これが、トライ&エラーをして壁をぶち破って更なる高みに向かうワクワク感が人生で何より面白いのではないか。

壁にぶち当たって、試行錯誤をして、時間をかけてその壁をぶち破るに匹敵する能力を手に入れて、そして実際にやってのける。

お話の醍醐味は「経緯を大幅に凝縮して、美味しい所だけかいつまんで表現することでその時のキャラクターの心情を追体験すること」にあると思う。

ベースになるヒューマンドラマの中に、能力を用いて右往左往するキャラクター達の心の描写をするから心情の描かれ方は単純計算以上の奥行きを発生させ、またそのキャラクター達の描写は単純に面白さを醸し出す

そういうわけで、我々が現実で行っている「長く高負荷な成長の様子」を短時間に凝縮して、「心情の変化と純粋な色鮮やかな能力の描写」を通して痛快感や鬱屈間などその時々の感情を追体験してもらうことこそが、面白さの秘訣の一つになるのではないか、と思う。

(あと単純に代り映えしないのは詰まんないし、「現実だったらどう使おう」っていう能力の応用をしない理由なんてないし。)

結論 : 感情の追体験ができるからワクワクする

さて、キャラクターを通して感じるネガティブな感情とポジティブな感情のギャップに由来する「痛快感」、そしてトライ&エラーを通して得られる成長の追体験。

それが醸成できる作品が一定の評価を獲得できるのだと私は結論付けた。

そしてそれを構築できるのはヒューマンドラマの作りこみが、具体的に「主人公の邁進を邪魔してくる、悪いタイミングで首を突っ込んできやがるライバルキャラの投入」が不自然さを伴わないようにできる手腕を持った作者であると考えている。

掃いて捨てるほど作品があるにもかかわらず、その全てが週刊雑誌に記載されていないことからもわかる通り、それは簡単な作業じゃない。

しかし、私は私の頭の中で常時変遷するビジョンを広く知らしめ、理解者が欲しい。

心身に負荷がかかるかもしれないが、ビジョンの表現に適した手段として、私はちょっとだけ没頭してみたいと思ったのだ。

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