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【考察】アバタールチューナー1,2 情報と輪廻

こんにちは。なるぼぼです。

ようやくアバタールチューナーを完結させました。
個人的に色々と思うことはありますが、システム面に関しては以前軽く書いた記事の通りであるので、今回はレビューを書かず、ストーリーに切り込んだ考察記事にしようと思います。
アバタールチューナー1,2のネタバレが多分に含まれますので、ご注意ください。
システム面を含む以前の記事は以下に貼っておくので、ご確認ください。

ではいきましょうか。よろしくお願いします。

1.情報とはなんだったのか

そもそも、アバチュにおける「情報」とはなんだったのでしょうか。

個人的な解釈は、「万物のもと、原子」であると思います。
というか、これは解釈も何も、ゲーム内で説明があります。
悪魔化していくという過程も、仮想世界であるサーフたちも、みな等しく「情報」であることから、悪魔化した人間=サーフたちの仮想世界存在になっています。
ジャンクヤード組の死んだ存在は太陽にて敵、または味方として幻視されますが、この復活も「情報」の集合体である太陽がなしえたものと見て取れるでしょう。

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人間が悪魔化したことは、環境悪化による太陽の異常が原因ではあります。そして、その環境の悪化の原因ともいえる技術革新は、結果として悪魔化の技術と仮想空間ジャンクヤードにおけるテスト、「情報」の存在の認知にまで結びつきました。
ここは、人間の環境悪化に対する「女神」特有の皮肉であると感じます。
ペルソナは社会機構への皮肉、女神転生は道徳に対する皮肉ではありますが、本作は技術進歩に対する皮肉であると言えるでしょう。
そして、その皮肉の象徴である「情報」の吸い取りによって、地球も滅亡の危機にまで追い込まれることになるのですが。

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情報とは「原子、万物のもと」でありました。
では、輪廻とは何を指すのでしょうか。
情報の定義をもとにすれば、輪廻は「情報の巡回」を指すと考えます。
太陽内部においてジャンクヤード死亡組が苦悩した姿のまま現れたこと、そしてシュレディンガーが彼らは永遠に苦悩するだろうと言及したことからも、同じ情報が回り続けることを指していると思います。
この「情報」が神秘的な人間を形作る構成物(≒原子?)と考えるのであれば、輪廻してもその人の運命は決定づけられていると考えられます。
まさに「輪廻」を「情報」という現代的な言葉で定義した、女神シリーズらしい解釈であると思います。

2.悪魔化すること、そして秩序と混沌へ

さて、悪魔化とは何を指すのか。
続いてはこの話題に踏み込んでいきます。

悪魔化は、この世界においては「本能に根源的に近づいていくことである」と考えています。
本能の動物世界における倫理がまかり通るようになり、力で支配する「喰らう」という行動が悪魔化をトリガーとして発動するのならば、まさに悪魔化とは本能の開花、つまり人間理性の崩壊を指すことであると考えられます。
グヴァンダ所長やアバドンの喰らうことへの欲求は、まさにこの理性の崩壊から生まれた、非道徳的思想を示しています。

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その中でも理性的にみられるマダム、エンジェルの思想は、「真・女神転生」のLAW、CHAOSのオマージュでした。
LAWとなるマダムは、人間の欲望が環境を破壊したと説きながらも、そこに適応する悪魔化の技術が見つかったことで、選ばれた人間のみが悪魔化し生き延びる社会を構築することを目標としていました。
それはいわば「管理社会」であり、救世主の到来を待ち強固な権力社会を描いた「真・女神転生」におけるLAWサイドと似た思想であります。
この思想のもとに、マダムは悪魔化のテストを進め、一部の人間に悪魔化ウイルスの情報を附与することで、選ばれた人のみの生存を画策しました。
自ら破壊を招いたトールマンほど攻撃的ではないにしろ、悪魔化しなかった人間は死んで食糧にでもなればいいという、社会的弱者を見捨てる本質においてはLAWと同じ考え方でしょう。

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一方のエンジェルは、全員を悪魔化させ喰らいあわせることで、強いものだけが生き残る弱肉強食の世界を作ればいいと説きます。
これは全ての人間に機会を与え、混沌を巻き起こすことで自然淘汰が発生し、本当の強者のみが生き延びることで、人間という種族そのものが根源的に進化することを目的としています。
この思想は、己の意思を尊重し、他者を実力ではねのけて生きていくことを説く「真・女神転生」のCHAOSの思想と似たものになります。
ニルヴァーナ計画におけるサーフたちの勝利はエンジェルの求めたCHAOSの思想の体現であり、サーフたちが存在していることが、エンジェルの思想の実証性を指していたことも、言及しなければならないことでしょう。
サーフたちは「情報の進化」という存在であり、これができるのであれば、人間も進化できるだろうという仮説を立てることができます。

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サーフたちはどちらにも属さないことを宣言し、「真・女神転生」における中庸の道、NEUTRALを選択します。
「真・女神転生」とは違い自らの意思がゲームの分岐に影響するような自由はアバチュでは確保されていないため、自動的にNEUTRAL思考がプレイヤー自身の思考となって、エンジェルやマダムと敵対していきます。
結果的には神から生まれた彼らこそが本能的ではないルートであり、マダムとエンジェルの思想が結果的には破滅と本能による殺し合いを演出してしまうことが、暗に示されていると考えています。
マダムもエンジェルも地球で死ぬことにはなりますが、その潰し合いの裏には悪魔化の本能に汚染された狂気が眠っていたことは間違いありません。

3.セラとサーフ、神と悪魔

さて、前述したマダムとエンジェルの争いも、元をたどるとサーフとセラの関係性から始まっています。
ここでは、彼らの過去を確認していきましょう。

現実サーフにとっては、神になること、神の情報をわが物にすること以外の興味はありませんでした。
彼にとってのセラも同じく道具でしかなかったのです。
そして、ヒートの反旗によってセラは腹黒サーフの真意を知り、暴走し神に狂った情報を手渡してしまいます。

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さて、ここで気になるのが、「神」とは何であるか、という点。
ラストシーンを鑑みれば、神は太陽であり、情報を吸い尽くしている存在そのものであるように見えます。
セラフはラスボスのブラフマンを神とみなして会話していることからも、実態的には太陽とブラフマンが神でありそうです。
ブラフマンが神の使いであったとしても、脳みそが神の実体化のようにも見えます。

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しかし、本当にそうなのでしょうか。
僕は、もっと目に見えなくて、もっと手に触れられないのに、すぐそばにあるような、そんな存在であると感じています。
そもそも、神はセラフに「自分と対話しろ」と告げます。
その時点でブラフマンも口が動いているのに、神と言い切れるのでしょうか。
脳みその方も、あくまで空間を表示するための存在であり、あれを神と言及するのは難しいと思います。
つまり、セラフは我々に見えないものと対話しているのではないか、と考えています。

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話を戻しましょう。
サーフの過去におけるリアルヴァルナとフェイクヴァルナとは、いったい何だったのでしょうか。
リアルヴァルナはわかりやすいですよね。
現実サーフの怨念に他なりません。
ただし、この怨念にも過去の記憶が残っており、悪魔化に対して「何をした!」と言及していることからも、望んでいない形で神の情報と接触してしまったことを表しているでしょう。

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一方のフェイクヴァルナはかなりわかりにくいです。
セラの残像を追いかけ続けており、「セラはどこ?」という発言しか残しません。
僕は、これはセラの理想としたサーフではなく、ジャンクヤードのサーフではないかと考えています。
ジャンクヤードの理性がついたばかりのサーフは、セラを追い求めることで自らの存在を維持していた。
悪魔化した、という数奇な状況に、突然芽生えた感情。
彼にとってセラは唯一初めから感情を持っていた存在であり、彼女を理解することで自分の理解に繋げることができた。
そんな風には考えられないでしょうか。

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そんなヴァルナを倒したことで、彼は復活を成すことになります。
それは過去を乗り越えたサーフとしての覚醒であり、ヒートとの対峙でありました。
しかし、ヒートは過去を知ったうえでサーフを恨み、自己の悪魔化を進めてしまっていました。
結果としてヒートは死にますが、サーフの覚醒によってヒートが元に戻ったことは、結果としては彼の救済であったのかもしれません。

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彼らの過去については後でもうちょっと話すことにして、次に進もうと思います。

4.ラストシーンは何を意味していたのか?

さて、いよいよ本題です。
太陽に入り、ブラフマンと対峙したセラフたち。
彼らの勝利の上に、何が残ったのでしょうか。

まず、結果として太陽の反乱は終了し、地球上の人間は救われます。
キュヴィエ症候群の被害はなくなり、悪魔化する必要も人を食らう必要もなくなりました。
その一方で、セラフたちの存在は太陽が落ち着くとともに消えてしまいます。
セラフの最終シーンでは、シュレディンガーがセラフそのものになり、セラフ本人が解脱する描写がありました。
その後、あとから仲間も来るよ、というシュレディンガーのセリフと共にその後が一切わからなくなります。

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さて、ここで見ていきたいのが、シュレディンガーとはいったい何者だったのかという点。
声優的な話はともかく、僕は名前の通り生きていてかつ死んでいる存在、神の使いであると考えています。
シュレディンガーの猫とは、量子力学上において、猫の死んでいる可能性と生きている可能性が重なっていることを指します。
ようは、未来における選択肢は無数に存在し、その確率は個別に存在しているということです。

ゲームのシュレディンガーに話を戻しましょう。
彼の目的は、導き手としてサーフたちを太陽まで導き神と対話させるまでに至ったこと、かつセラフに「私はあなたであなたは私だった」と認識させることでありました。
シュレディンガーが導きたかったことは、まさに梵我一如であったと考えられます。

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神が自分と対話しろと伝えたことで、セラフは梵我一如の「ブラフマン」と「アートマン」が同一であることに気づきました。
ブラフマンは宇宙のすべてであり、アートマンは自己の存在であります。
これらを同一視するのが梵我一如の考え方であり、この論理がゲーム内で存在することによって、宇宙が自分自身であることをセラフは悟りました。
その後、彼らも輪廻の渦に入ることになります。

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ここで面白いのは、宇宙と自己の同一化である梵我一如は、シュレディンガーの猫の命題批判に見られる、量子力学への批判と同じ観点を持つということです。
つまり、量子力学理論で生と死が同じ軸にあるとき、人間が見ていることでしか事象が進展しないのではないか、という批判です。
これは宇宙が自己と同一化しているとすれば、解決できる事柄なのではないでしょうか。

いずれにせよ、このゲームで伝えたいことは、梵我一如の宇宙と自己の同一性、そこで見られる輪廻転生と修行の道であったのではないのでしょうか。
まさにジャンクヤードは蜘蛛の糸のような輪廻であり、アバチュ2のいくつもの戦いは梵我一如に至るまでの自己の鍛錬に他ならないと考えます。
まさにインド哲学を体現したものだと思います。

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5.おまけ:罪と罰

最後に、自分の思ったことを書こうと思います。
あくまで妄想程度ですが、気楽に読んでいって下さい。

この作品、アバチュ1の時点でシステム的にペルソナ2に似ていると述べましたが、クリアしてみて、これはストーリー面でも同じであるように感じました。
そう思った点を見ていきます。

個人的に強く思ったのが、罪と罰です。
「ペルソナ2罪」では、主人公の達也たちの共通した過去に、大きな主眼が置かれていました。
これはサーフたちも同じで、過去の罪に捉われた結果セラの妄想から理想体が生み出されることになります。
現実のサーフとジャンクヤードのサーフは別物ではありますが、彼が背負った罪と向き合わなければならなくなったのは、ペルソナ2に見られるシャドウとの対峙に近しいものがあります。

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そしてまた、最後の戦いの後のセリフにある、「私はあなた あなたは私」も、ペルソナの持つキャッチコピーそのものです。
意味は明確に違うものの、ペルソナの持つ一個人の表と裏のような要素を、表裏一体としてより大きく、かつ本質的に同一と捉えるのは、自分のすべてを受け入れるという意味で共通していると言えるでしょう。
自己の素顔を受け入れることも、アバチュの命題だったのかもしれません。

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最後に、どちらもきれいに見せて心残りのあるラストを迎える点です。
アバチュは輪廻したように見せていますが、太陽突撃時点でメンバーは全員死亡しています。
ペルソナ2も、罪世界達也が崩壊した罪世界に帰還することになっているため、彼だけは救われない結果に終わっています。
救われなかった人間のその後が語られない部分も、なんとも言えない終わり方の特徴ではないかと思います。

世界観のえげつないまでの違いや倫理崩壊の度合いなどの違い、人の命の重みなどの違いはあるものの、どこか似ている雰囲気を保つ作品だったと思っています。
どちらも里見シナリオであるため当然と言えば当然なのですが…。
また里見シナリオ採用のゲームしたいですね。
カリギュラとか。

6.終わりに

いかがでしたでしょうか。

あんまり考察らしい考察ができたかどうかわかりませんが、ストーリーの整理も兼ねて書かせていただきました。
システムもさることながら、ストーリーの面白さも折り紙付きの一品なので、遊んだことのない方はぜひとも遊んでみて欲しいです。
インド哲学と現代の情報技術が混ざり合う面白さを、これでも味わえた傑作だったと思います。

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さて、しばらくはメガテン、ペルソナの考察記事を書こうと思っています。
またまとまったら公開する予定なので、今しばらくお待ちください。

それではまた。

Om Mani Padome Hm...

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