1人の発達障害者と音楽との出会いの話

私がピアノを習いたいと思ったのは、子供らしい単純な理由だった。
保育園の○○ちゃんみたいになりたい。○○ちゃんが弾いてるのを私も弾きたい。

だが、一見良さそうなこの動機は、とりあえず私にはあまりにも無意味だった。

まず、○○ちゃんと同じピアノ教室でないから、テキストも違う。○○ちゃんが弾いている曲は、難易度がどうこうではなく、私が通う教室ではそのテキストを通らない以上絶対に弾くことができないとすぐにわかった。
なので、私は耳コピで真似をして弾くようになった。
この地点で、じゃあなんでピアノ教室に通って弾きたくもない曲を練習しなきゃいけないんだと思うようになった。保育園の時の話である。

それでもなんとなく、ピアノは続けていた。今思うと、私がいたクラスは「なんとなく始めてすぐやめる子」のためのクラスだった。なので先生も頻繁に変わる。
その隣には音大を目指す子のクラスがあり、レッスンに使うピアノはグランドピアノで、先生は私がいた15年間一度も変わらなかった。そして、その先生は自分の生徒でなくしかもやる気のない私をとても気にかけて、会話が成り立たなくても構わずに話をしてくれた。
嫌らしい考え方をすれば、その先生も生徒が欲しかっただけなのかもしれない。それでも私にとってその先生は、非常に数少ない、苦手でない大人のひとりだった。

話が逸れた。(いつものことだが)
惰性でなんとなくピアノを続けていた私に、いよいよ大きな壁が立ち塞がった。その名は現代曲。クラシックも好きとは言いがたい私だったが、現代曲の意味不明さには耐えがたいほどの苦痛をおぼえた。今考えると、不協和音とかが感覚過敏と相性が悪かったのではないかと思う。小学校中学年の頃だ。
それほどまでにかたくなに現代曲を嫌がるなら、たかがテキストのうちの数曲くらい飛ばせばいいのにな、と今の私も当時の私も考えた。しかし短大を出たばかりの若い先生は絶対に飛ばすことを許さなかった。じゃあピアノ辞めます、とも私は言った。本気だった。しかし先生は、1ヶ月休んで考えてみて、と言った。
結果として、私は苦痛と戦いながら全ての現代曲で合格をとり、そこでひと山超えたため、その後進学の都合で辞めるまで辞めたいと思うことはなかった。結論だけ言えば過去の若い先生の言う通りだった。

楽譜を読めなかったことも、現代曲を苦痛にさせた一因だと思う。
もちろん本当に読めないわけではないが、人の3倍は読むのに時間がかかるし、聴いた方が早いタイプだ。
クラシックは大体形が決まっていて、数小節読めばあとは勘でどうにかなったが、現代曲にはその手が使えない。あと、読み間違えても間違えなくても不協和音なので、読み間違いに気づく方法がなく、毎週のレッスンが答え合わせ状態だった。音源があればこの苦痛はずいぶん楽になっただろうと思う。先生がお手本で弾いてくれても良かったのにな。

それにしても、物心ついた頃から「私は人と違うんだから、人と同じことをして目立たないようにしないと」と考えて生きてきた身に、周りでピアノを習ってる子たちとテキストが全く違うというのは耐えがたい拷問だった。休み時間にクラスメイトが弾いている曲を、私は永遠に習うことがない。ので例によって耳コピで真似して弾いた。自分が習っている曲を弾くと「何それ、知らな〜い」と言われるからだ。
にしても、個人の教室でもなくて割と大手の会社だったのになぜそんなどマイナーなテキストを使っていたのか、出版社との何かがあったとしか思えない。

なので私は、初めてツェルニー30番を手にした時感動で震えた。ハノンも、ソナチネも。インベンションとシンフォニアも。歴代の先生たちが決して理解できないところに毎回感動していた。

一方、レッスンには真面目に(?)来はするもののあまりにやる気のない私の姿に、歴代の先生たちはそれぞれ焦っていた。プロの演奏を聞いた方がいいと口を酸っぱくして言われた。
そして私はと言うと、「プロが弾くクラシックなんて退屈で眠いんだろうな」という、音楽をやっていない人が言うやつを採用してしまっていた。どうしてそうなった。
私は結局、実に高校2年生になるまで、「クラシックはつまらない」(かといって現代曲はアレルギーレベルで苦手)というよくわからない子供をやっていた。
ちなみに、好きな音楽はあった。ゲーム音楽だ。当時は今みたいにゲーム音楽がプロの演奏ということはなく、すべて打ち込みだった。おそらくその機械的な感じが私には合っていて、何度も聞いて、耳コピして弾いた。機械的に。

そうこうしていたら、高校2年生のある日、雷に打たれた(ほどの衝撃を受けた)。季節はもう秋だったような覚えがある。
既に日課となっていた、家族が寝静まってからおもむろにプレステを起動してゲームをする(家族がいる時はテレビはテレビなのでゲームをできない)という行為をし、最後にテレビのモードをゲームからテレビに変えた瞬間、たまたまやっていた番組が私の脳天を撃ち抜いた。
ピアノってこんな音がするの?と、初めて思った。
耳のいい人は、同じピアノでも違う人が弾くと全然違う音に聞こえるというけれど、私には縁のない話だと思っていた。
でも、そんな私でもわかるほどに、あまりにもその人のピアノの音は違った。
テレビを消そうとしていた私はそのままテレビに釘付けになり、番組の最後まで見てしまった。ピアノの、クラシックの、番組を。
最後に流れた曲がまたあまりにすごかった。ピアノはオーケストラだとかよく言うけれど、そういうレベルではなかった。その楽器の音が本当に聞こえた。ピアノはピアノの音しかしない、という私の中の常識が一瞬で吹き飛んだ。
その瞬間、私の中の音楽観は180度変わっていた。
私がそれまでクラシックに抱いていた、「モヤモヤした抽象的な何かの絵」という印象はその日、主線がひかれ鮮やかに色付けされた、完成された絵になって見えたのだ。

翌日から、私は足しげく楽器屋に通い、楽譜を探し、買い集めるようになった。
親にねだってCDを買ってもらうという、それまでの私にありえないこともした。
そして高校2年生で気づいたのは、今こうして狂おしいほどに「この曲を弾きたい、こんなふうに」と思ってももう遅すぎた、ということだ。
私の頭がもう少ししっかりしていれば、この地点でピアノ教室を変える、せめてクラスを変える、という選択もあった。むろん既に高校2年生なので、なのに技術はピアノ習いたてレベル、大学受験にはどうあがいても間に合わなかっただろうし、仮に受験だけどうにかなってもその先ついていけなかっただろう。プロになる気もなかった。ただ、私もあの曲をあんなふうに弾きたい、という思いしかなかったのだから。

でもそれでも、ピアノを習う環境を変え、本気で学んでいれば、ある程度(ある程度)まではまだ伸ばせたのではないか、と思うのだ。たとえば今、弾きたい曲があっても技術的に不可能で諦める、という機会が少しばかり減っていたのではないか。いや、これは自分の可能性の過大評価かもしれない。

とはいえ、当時のほとばしる「とにかく技術がないとお話にならない、まず技術を身につけよう」という思いを、私はその時からピアノにぶつけるようになった。具体的にはもう用無しと化していたハノンを掘り起こし、毎日弾いた。最初は十曲からスタートして、そのうちスケールの最後まで毎日弾くようになった。この頃になるとピアノの先生に「何があったの?上手くなりすぎじゃない?」と問い詰められた。理由を言うと100%煙たがられる自信があったので、ただ「毎日ハノンを弾いたらこうなった」と言った。先生にはその後も問い詰められ続け、ついに本当の理由を吐かされた。そして「そんな理由はダメ」と言われた。別にプロを目指しているわけでもないのに、なぜ動機にダメ出しをされないといけないのか。結果として先生からは、上手くなった以外にも「メロディがちゃんとメロディに聞こえる」とか、「逆に今までの私はどんな演奏を……」と心配になることを次々と言われた。
動機はどうあれ、高校生になってからそんなに急成長したことを褒めこそすれけなすのは、ものを教える立場としてどうかと思う。しかし当時の私は先生が間違っているなどありえないと思っていたので、私はダメな生徒だな、せめて先生の前では普通の弾き方をしなきゃな……と思っていた。普通の弾き方とは。
私はそれまでの機械的な弾き方から一転、輪郭や色使いがはっきりしすぎた弾き方をするようになり、それがダメだと何度も先生に叱られた。メロディ以外を小さく弾きすぎ、と何度言われたことか。でもこれは仕方がなくて、初めて音楽を楽しいと思えたのがそんな弾き方で、他を知らなかっただけなのだ。先生にも立場というものがあるんだろうが、しつこいがプロを目指しているわけでもないのにある日急成長した子にわざわざ言うこともないと今は思う。しかし当時の私は今度は、どうしたら先生に納得してもらえるのか、それっぽい弾き方をまた探す旅に出た。コンクール向けとリサイタル向けのような感じだろうか。考えることがいきなり高度すぎる。
ともかく、先生との攻防は先生の根負けのような形で終わったような記憶がある。

今、なんのためにピアノを弾いてるのかわからない人、が果たしてこの世に私以外に存在するのかわからないけれども、そんな人がいたら言いたいのは、それは確実に「まだ出会っていない」だけだ、ということ。ピアノじゃないかもしれない。違う楽器かもしれないし歌かもしれない。作曲かもしれない。でも、私ほど極端でなくても、この曲を弾きたい、こんなふうに弾きたい、と思える日はいつか来る。
私が高校生の時こそ、それこそテレビくらいしか出会う方法がなかったけれど、今は動画なんかでいくらでも音楽に触れることができる。
私はたまたまクラシック専門のプロのピアニストと「出会った」けれど、別にその相手はYouTuberとかでも、曲もクラシックでなくてもなんでもいい。本人が「これを見て音楽をやりたくなった」と言うのを、他人が否定しないで欲しい。いや、音楽に限らずなんだけれども、なぜかスポーツなどはミーハーな理由が許されるのに音楽は許されない、みたいな風潮がないだろうか。私の周りだけかもしれない。

あと、高校2年生は遅すぎたと書いたが、あくまでそれは私の環境の場合なので、年齢のことで焦りを植え付けていたら申し訳ない。逆に、私より遅く出会ってその後こんなに伸びましたよ、という人がいたらぜひ知りたい。いないはずはないので。

あと、ここまで読んだら音楽に全て捧げてたみたいに見えなくもないが、私の場合、音楽も好きだけどそれよりもゲームが好きで、ゲームやそこからの二次創作をピアノのために辞めるという選択肢がなかった。それまでと比べて打ち込んだけど、せいぜい1日2時間とかしか練習してなかった。その程度だった。深夜のゲームも、絵を描くことも、それまで通り続けていた。ようはその程度だった。
ひとつのことに打ち込めない、というのは私の、おそらく治ることのない欠点のひとつだ。
言い訳だが、半月も経たずに「今からどれだけ練習してもあの曲は一生弾けないな」と気づいたのもあると思う。本当に言い訳だが。

ただ音楽のいいところは、別にプロにならなくても辞める必要がないということ。特にピアノは1人で弾けるのが一番いいところだ。何年かぶりに、ちょっと弾いてみるか、ということが簡単にできる。
これはバイオリンを始めた時に痛感したのだが、1人で完結できない楽器というのは1人を愛する人間にはあまりに残酷だ。正確には、ピアノ曲だが連弾です、という曲に出会った時も絶望した。
私の周りに私と同じくらいピアノに情熱を注いでいる人はいなかった。すぐに辞めてしまった人か、プロを目指している人か、の二択。考えてみれば当たり前だ。あと、そもそも友達がいなかったというのが壊滅的だった。
結果、私には自分で伴奏を録音し、録音に合わせて演奏するというスタイルしかなかった。親に見つかると死ぬほどバカにされるので、見つからないようにやった。
今思えば、自分にできないことをする人をバカにするおめーの方がバカだ。私だったら「私に伴奏させて!!」と言うだろう。もちろん簡単なのしか弾けないけど。世の中の伴奏というやつは伴奏のくせに難しすぎる。素人にも弾かせろ。

ところで、締めがテレビショッピング風味になってしまうが、ここ数年で電子ピアノも進化した。私が今使っているのは88鍵盤の、二つ折りにして収納できるタイプだ。
ピアノを置きっぱなしにできる家ではない、でも鍵盤が少なくて足りないとストレスがたまる、そんな私のためにあるようなピアノ。もちろん電子なので本物とはキータッチも全然違うが、そこは「弾けさえすればいい」という志の低さが一役買っている。
いちいちペダルを繋げるのが面倒なので、ペダルはつけずに弾く。たまに仕方なくしぶしぶ繋げる、その程度だ。とにかく指を動かした通りに音が出ればいい。
もちろん自分が弾きたいようには全然弾けなくて、毎回そのギャップに打ちのめされ、数日落ち込んで、でもそれでも年に数度は弾かずにいられない、それが私にとってのピアノだ。

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