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人類は積みゲーを克服できるのか?(前編)

なぜ人は積むのか

ー人類がこの地上に生まれると同時に生まれた、積みゲーという原罪。
 人が人である以上、避けがたいこの原罪から逃れることはできるのかー

お前だけじゃ!と言う声が聞こえそうですが、皆様おはようございます、こんにちは、こんばんは。
趣味はボードゲームの18toyaこと冬夜です^^

本日は「なぜ人はゲームを積んでしまうのか、そしてその克服方法は」というテーマの前編、「なぜ積むか」までを語りたいと思います。

冒頭からもう何を言ってるのかワカラン!と思われる方もいるかもしれません。
しかし、ボードゲーム歴が長くなってきた人には少なからず思い当たる節がある方が多いものと信じてます 笑

最近ボードゲームが楽しくて、今後趣味になりそうかも!という人には、今はまだ理解できないかもしれません。が、これからしみじみ実感するようになるだろうと思います。

最初期から一歩踏み出すと…

さて、ボードゲームって楽しいね!と言う初期の頃は何を遊んでも楽しいゲームばかり。「へぇーこんなのもあるんだ!」と目をキラキラさせて、どんなゲームでも楽しめる。そんな純粋で無垢な時期を誰しも経験します。

しかし、そこから一歩「他にどんなゲームがあるのかな?」と調べ始めるともう大変。
「なんじゃこりゃああああ!!」と叫ぶジーパン刑事よろしく、ボードゲームのあまりの数に圧倒されるはずです。
恐らく現時点で世界にボードゲームは何万作と存在するでしょう。私も正確な数は分かりませんが…。

これだけ数があると「どこから手を付けたら良いのか分からない」となります。
そこで頼るのが主に二つ。
一つはボードゲームに詳しい人からの情報収集。
そしてもう一つはボードゲーム情報サイトからの情報収集です。

結論から言いましょう。
どちらの情報収集を選んでも、人は必ず積みゲーに至ります。そう、必ずだ! 

まぁ、100%は流石に大袈裟でしょうが、ゲームを積んだ経験は一切ない!という方は相当な少数派になるでしょう。

なぜ人はボードゲームを積んでしまうのでしょうか。

ボードゲームはいまだ発展途上で進化を続けている

理由はいくつかありますが、
一つはボードゲームが未だ進化途上にあるフレッシュな遊戯だということです。
無論、古典的な作品で今遊んでも面白いものは面白い。ただ、人間の想像力と創造力は凄いな!とボードゲームを遊んでると感じずにはいられません。ゲームがどんどん進化しているのです。

従って新しく出るゲームは洗練されているし、新たな楽しみを提供してくれるようなワクワク、驚きに満ちていて、ついつい欲しくなっちゃうんです。そうこうするうちにいつの間にかゲームを積んでしまっている場合がある。これが一つ。

テーマ・システム・時間・対応人数などが多様

次に、上記とも関連することですがボードゲームは非常に多岐に渡るジャンルがあります。これはゲームのテーマ(ファンタジーとか歴史とか自然とか)というだけでなく、楽しみ方の仕組みが多様だということです。サイコロを使うもの、カードを使うもの。ワーカーと呼ばれる駒を使うもの。チキンレース。バッティング。タイル配置。エリアマジョリティ。競り。などなど…

また、ゲームにかかる時間もさまざまです。10分20分で終わるゲームもあれば、1時間くらいかかるもの、3〜4時間かかるゲームもありますし、ものによっては丸1日かかるゲームもあるくらいです。

人数対応も色々です。ソロ(1人)用、2人用、2~4人、3〜5人、などなど。

このように多様な時間、多様な楽しみ方、多様な対応人数のゲームが提供されていると「こういう仕組みのこれくらい時間がかかるゲームはこういう気持ちの時にいいな」と、シチュエーションごとのゲームを所有したくなるのが人の性。そして実際に色々な時間のゲーム、色々な対応人数のゲームを持っていることには実用的な意味があるんですよね。

こうした点から、ボードゲームを知れば知るほど「色んな局面を考えると、これくらいはゲームを用意しておいた方がいいのでは?」と、事前に備えたくなってきます。これも積みゲが生まれやすい理由の一つでしょう。

遊べない代償行為としての積み

さて、視点はやや変わるのですが、こんな経験はないでしょうか。
めちゃくちゃ忙しくてゲームを遊ぶ時間を取れない。身動きが取れないくらいにスケジュールが詰まっている。なのにゲームを次から次へと買ってしまった!
家族からは「えっ、こんなに忙しいのにいつ遊ぶの?時間があっても遊びきれないくらい買ってない?」と聞かれても、自分でもそんなことはわかってるけど面白そうなんだから仕方ないよね!!……

これは心理学で言う「代償行為」。
遊びたい!!だけど遊ぶ時間がない、または相手が居ない!この時、人は欲望を満たすことが出来ず不満が溜まる。この不満を何かの形に変換して、欲望を満たされた気持ちになろうとする。ある意味、心の防御機構ですね。

私も覚えがあるのですが、仕事がクソ忙しい時ほど激しくポチってた記憶がありますw これは完全に代償行為。理論立てて考えられる余裕があるなら、物理的な時間が無いんだから遊べる訳がないんです。だけど遊びたい気持ちをどこかに逃がしたいんですよね。その行き先が新たなボドゲの購入になるのは「ボードゲームあるある」なのではないでしょうか。

ちなみに、この理由による積みは
「遊びたいのに遊べない→不満→代償にボドゲを買う→遊ぶものは増えたのに遊べない→不満→代償に…」と無限機構になりかねません。
加速度的に積みが増える可能性があるので要注意です!

絶版が怖い

さて最後の一つですが、これは積みを生む最大の理由にして解決が難しい問題。絶版問題です。

ボードゲームを調べていくと、とても人気のゲームがあって「あ、それやってみたい」と思う。が、しかし調べてもなぜか売っている店が見つからない。そんな経験をしたことは無いでしょうか。
あるいは、ボードゲームの経験が長めの人と知り合いになった際、その人が「無くなる前にとりあえず買っておかないと!」と焦ってゲームを買っていたことはないでしょうか。

これらは全て「絶版」または「再販がなかなかされない」「重版がなかなかかからない」ことが引き起こす問題です。ここではまとめて「絶版問題」と呼びます。

本や音楽、映画、デジタルゲームなど一般に広く流通するものが趣味の場合、なかなか理解しづらいかも知れませんが、上記のような絶版問題が起こるのはボードゲームの市場がまだまだ大きくなっていないことが原因です。初版はある程度の数を印刷し売り切ることができたとしても、重版をかける際にも再度、ある程度のロットを印刷しなければ費用を安く抑えることができません。しかし重版は在庫リスクを生む危険性があります。

メーカーさんが「このゲームは何度重版しても間違いなく売り切れるな!」と思ったゲームは常に切れることが無いでしょう。少しの間だけ市場から消えたとしても、数ヶ月後には再度売り場に並ぶ。
しかし、メーカーさんが「再販しても全部売れるだろうか?どうだろうか?」と悩んでしまった場合、いくら良いゲームだとしても再販に踏み切ることは難しくなります。

かくしてボードゲームの世界は一期一会と言われ、「欲しいと思ったら躊躇なく買っておかなければ、市場からいつ消えてしまうか分からない」「再販はされるかも知れないが、されないかも知れない。ならば確実に買える今のうちに!」と購入を余儀なくされる土壌があるのです。

スノッブ効果も働く

一方、人間心理が上記のような状況をどのように受け取るか。

「簡単に手に入らないものは貴重なものである。それが欲しい」
人間はこのように考えます。これをスノッブ効果と言います。
実際、ひとたびタイミングを逃がすと本当に入手が困難になってしまうことはボードゲーム界隈ではよくあることです。心理的な受け取り方の通り、新作として販売されたタイミング以外ではなかなかに稀少なのもまた事実。

こうして、買ってすぐに遊べる見込みがあろうがなかろうが「手に入らなくなってから嘆くより、まずは買って手元に置いておくことが大事!」
こうした心理が働きやすくなります。

結論:人類に積みゲーの回避は不可能である

以上から、ボードゲームを趣味とする人は環境的にも心理的にも積みゲーから逃れることはできないということを、ご理解いただけたでしょうか。

えっ?
18toyaはゲームを大量に積んでしまった自分を正当化するために屁理屈をコネてるだけなんじゃないの、って?
そ、そンな訳なイじゃないデスカ、チガイマスヨ… 汗

…これ以上言い訳を重ねようとすれば「タイトルの『人類は』ってところは『18toyaは』に変えるべき!」と皆さんに見抜かれちゃいそうなので、解説と言い訳はここらで切り上げることにします! 笑

ということで、前編では積みゲーができる理由を主に説明しました。
後編では「人が人である以上必然として生まれる積み」を崩す方法は果たしてあるのか?について書いてみたいと思います^^

結構な長文になりましたが、最後まで読んでくれた皆様に感謝です^^
では、本日はこの辺で!

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