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今日は珍しく自分のことなど

明日はコドモの卒業式。
世の中のママさんたちはだいたい卒業式入学式用のセレモニー服を着ているはず。
だがわたしはどうしてもその手の服を着る気が起きなくて買う気も起きなくて手持ちの服でなんとかしたく。

外に出る機会もコロナのあれこれでめっきり減ったし、体型も随分貫禄が出た
年齢的にもコロコロになるアラフィフ世代。
そしてまだクローゼットすら確認してない始末。スーツはあるはず。後はブラウス的なものがありさえすればよい。位に考えていた。

夜8時を過ぎてやたら重たい腰を上げてクローゼットをみてみる。

もう何回も断捨離したのにそれでもしぶとくいつかまた着られるかもしれないと約10年前くらいに買ったお高いスーツが何着かある。
思い出もあるし、何しろほんとに高かったのた。それはまだわたしがフィニッシングスクールに通っていた頃に必要に迫られて清水買いしたCALVIN KLEINやMax Maraのスーツ。
10万以上はたぶんした。やっぱり生地も縫製もさすがとしたいいようがないだけれど、案の定貫禄が出来過ぎた私の今のボディサイズには入らない。逆に当時よくこんなサイズの服が入ったな…とすら感動すらする。

美意識の塊のようなフィニッシングスクールというところにも通っていたのもあり、そりゃあ引き締まるよね。緊張感が違うもの。

しかし今のわたしにはもう入らないのだ。
なんとかかんとかきてはみたがどことなくパッとしない。後生大事にずーっとクローゼットに置いておくわけにはいかない。だってこれからも多分着ない。着れたとしてもきっと着ない気がする。ときめかない。もう10年前のわたしじゃないから。

というわけでさようならをした。
CALVIN KLEINもMax Maraもコドモの七五三のときにきたツイードのツーピースもピンク色のコートもいろいろ。10年前はブランド物を買えたわたしがある意味誇らしくもあり、見栄も張れたし、ブランド物に助けを借りた。
じゃないと自信がなかった。資格も学歴もなんにも持ってない自分がやっぱりちょっとみじめで。

でも今思うのだ。
だから何なのだろうって。

高かろうがやすかろうが私に似合わなければそれはわたしには意味がない。

わたしが毅然とした雰囲気で威風堂々とした人間であれば高いも安いもどうだっていいのだ。要するにわたしに似合えばいいわけで、わたしがシャンとしていれば勝手に人はあの人高見えするわ等とかなっちゃうものなのだとおもう。

まあ、エラそうにいっているがわたしに似合えばなんでもいい。サマになってりゃいい。カッコいい洋服、カッコいいバッグに助けられる人じゃなく、わたしそのものがかっこよければそれで問題解決なのだ。

カッコいいアラフィフ時代を送ろう。その先もずっと。

先日お誕生日でしたの。

ずっと心の片隅に可愛いて守られるような女のコになりたかった。ていうのがあったけれど、今のわたしはカッコいいオンナのほうが似合うような気がする。きっとたぶん威風堂々が似合う女性のほうがわたしは楽に息ができて、これからの人生生きやすいのかもしれない。

カッコいいオンナになろう。肩で風切るような。






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