SDGs考 あくまでも恣意

 流行(?)のSDGsである。
 内容を見て思ったのは、後進国にトイレを教えた先進国の罪である。
 真偽は定かではないが、幼児死亡率の高かった後進国にトイレを教えると死亡率が下がった。
 しかし食糧生産量は急には上がらない。
 トイレは結局のところ飢餓を生み出した。

 基礎体力のない病人に栄養食を食べさせると逆に消化不良を起こし体調を悪化させる。
 三国志の軍師の言葉にも同じ内容がある。

 SDGsは?
 内容は見栄えが良いが、後進国の、いや先進国も含めての基礎体力を考えているのか?
 先進国が貪っている大量エネルギーや資源を後進国に分配することはできるのか?
 コロナワクチンでさえ先進国が先取りしたのが現実の今、資源とエネルギーを分配することができるのだろうか?
 日本人は車社会や飽食を諦めて後進国に回せるのか?
 USAは? EUは? 中国は?

 極端に言うと、机上の理論で動いたタリバンが失敗したように、理想だけを追う教条主義者が描いた絵がSDGsではないのだろうか?
 教条主義者ではなくとも、複雑に絡み合う現実を考慮できない学者とお坊ちゃま・お嬢ちゃまが描いた餅ではないのか?

 今後5年間はどれほどあがいても温暖化と気候は激しさを増すだろう。
 運が良ければ2030年代には激化が鎮静へと変わるかもしれない。
 天候の悪化やそれに伴う農業や工業生産の減少が、楽観論ですら数年以上は続くという予想の中で、自然という冷徹で盲目な現実に対してSDGsの無条件な遂行は問題が無いのだろうか?

 盲目的なSDGsの遂行はトイレ普及の比ではないから、暫定的な成果の次に来る飢餓や貧困が無いことを、もし有ってもそれがテロや紛争の増加に繋がることが無いことを祈るのみである。
 つまりは、貧困や飢餓や不公平感が生み出した怒りが招いた9.11の再来が無いことを・・・
 9.11の比ではない悲劇が起こらないことを・・・
 今では核テロでさえ夢想ではないのだから。

bye

ありがとー