政治献金企業の傾向と有権者の義務

 あくまでも恣意で、仮説以前の物なのであしからず。

政治献金の期待効果

 効果が無ければ献金はしない。
 利益を追求する企業や店にとっては当然のことだろう。
 面倒くさいので、献金する企業、店、団体、業界団体を、
全て『献金者』と呼ぶ。

 では、効果とは?
 当然、献金者の都合の良いように行政を動かすことである。
 談合している業界然り、違法スレスレの営業をしている業界然り、特定範囲の利益確保や既得権益を守ろうとする業界然り。

献金者の傾向を考えた

 献金で利便を期待することは、当然のことだろう。
 期待していなくても献金した相手が自分に不利なことをすると不愉快になるのは、人としても当然の事であり、無欲の献金者もこの色に染まってしまう。
 つまり、献金者は献金した政治家が自分に都合の良い政策を行うことを暗に明に期待するのである。

多額の献金者の傾向を考えた

 残念ながら、献金とは多額でなければ効果は無い。
 では、多額の献金ができる献金者とは?
 当然、利益率が高い業種であろう。
 献金すると赤字になるような献金者は存在しえない。
 もし存在しても短命であるから、存在しないと言える。

 では、利益率の高い業種とは?
 いわゆる『濡れ手に粟』の商売である。
 公共事業による濡れ手に粟は、過去には贈収賄事件として実例がある。
 近年でも、五輪施設の建設費高騰で最初の国立スタジアムが廃案になったことや、総じてすべての五輪設備が当初の予算を大幅に上回っていることからも、公共事業が『濡れ手に粟の商売』であることを物語っている。
 五輪という錦の御旗で、発注側も業者の『意見をくみ取り』予算オーバーを公然と繰り返す。
 そして、その決定経緯についての資料は早期に廃棄して証拠を隠滅する。
 このような二時間サスペンスドラマは案外と虚構ではないのだ。

 濡れ手に粟商売の献金者は、政治家から役人までに『献金・接待・意見交流会』等々を行い、懐柔し、さらなる利益を狙う。

 一度甘い汁を吸うと、二度目三度目を願い、要求もエスカレートするのは人間のサガである。
 当然の行為だろう。

濡れ手に粟商売が国を動かしている

 極端に言うと、濡れ手に粟の商売が国を動かしている。
 政治家は献金を無視できず、高額な献金ができる献金者は利益率が高くなければ続かない。
 つまり、濡れ手に粟商売の業界ほど、政治家を動かしやすい。

陳情対応が政治という誤解
 注意:『陳情』とは、明に暗に行われるものを示す
 議員会館でだけではない暗部の『陳情』がある

 地方自治体や各種団体や企業の、政治家への陳情は当然の行為である。
 しかし、これに献金が加わると話がズレてくる。
 『政治家が受け入れて政策に反映する陳情』とは、政治家自身の利益にある陳情でもあろう。
 高潔な政治家なら、『自身の利益』になる政策とは、国民の生活向上、最低でも、自信が描く理想像のための政策である。
 しかし人の身である多数の政治家、そして接待を受ける役人は、献金者の、いや、高額献金者の陳情に対応してしまう。

 政治とは陳情に対応することだと考え間違いをしている政治家の陥る行動である。
 自分で情報収集し、あるべき政策体系を推進することが本来の政治家の役目であり、陳情は情報収集の一手段でしかない
 しかし、旧来の『上から目線の政治家』は、陳情対応が大事であり、繰り返すが、結局のところ高額献金者のために政治を行う。

コロナの事例

 安倍政権から菅政権の傾向は、
・コロナ対策は手遅れになるほど遅延して失敗する
・経済対策は驚くほど前出しで、感染拡大が起こるという逆効果で失敗する
 この傾向は、二つの政権に限ったものではない。
 古くは足尾銅山まで遡る公害問題での補償問題の発生。
 薬害問題への不備での補償問題の発生。
 関西や獣医学科の学校経営者への利益誘導や、花見の会での公共行事の私物化。
 そして、コロナにおいては、真面目に対応する業者が赤字になる。
 陳情する業者自体が『業績が上がると信じて陳情した』コロナ対策の緩和が逆に感染拡大を招き、陳情者自身の業界も苦しむ。
 陳情ではなく、コロナという環境変化に積極的に対応して自己革新を繰り返す業者がかろうじて生き残り繁栄する。

 例外は当然ある。
 一部の娯楽業界のように、コロナ初期に三密環境を猛烈に批判されたが、何らかの対策で行政とマスコミの目をそらすことに成功したものは、確かに存在している。

濡れ手に粟が国を動かしている

 「陳情に対応して何が悪いのか」という意見はもっともである。
 要は陳情を情報収集の一手段として、他の情報収集と統合し、その分析・評価から必要な政策を実施する』ことが真の政治である。
 もし幸運なら、政治家の情報収集能力が向上し、濡れ手で粟商売が国を動かしている『隠れを含む陳情重視』の現状は、『政治家の進化によって』減少してゆくだろう。

陳情重視ではなく
広く情報収集と判断ができる政治家を
選ぶ義務

 そして、国民の生活向上に対して有効な政策を行う、情報収集力と分析・判断力のある政治家に進化させるのは、国民の投票である。
 目の前の利益や、縁者絡みの投票ではなく、自らも情報収集と判断ができる有権者への進化が、政治家を進化させる。
 自分で判断して投票することは、有権者の義務である。
 自分と、自分の家族、孫の生活を守るための義務である。

bye

ありがとー