コロナ対応変化と安倍の限界

 あくまでも恣意である。

岸田政権でコロナ対策が変化した

 実際はコロナ発生時から始めなければいけなかったことだが、岸田政権になってから医療体制の見直し、医師・看護師・医療従事者・保育士処遇の見直し、検査体制の強化、ワクチンや治療薬への実質的な助成見直しが行われ始めた。

 遅すぎるが、コロナの次に来る同様の呼吸系感染症への対策だと思えばよいのかもしれない。

安倍・菅で何故できなかった?

 政権が代わっても、行政はほとんど変化していない。
 官僚や役人や技官、専門家会議が変化したわけでもない。
 しかし方針は『感染症発生への対応』としてあるべき姿に変化した。

 何故、安倍・菅政権ではそれができなかったのか?
 単に、始まったばかりで情報不足だったからだろうか?
 各業界からの突き上げで身動きが取れなかった?

 数回の感染の大波を経験した観光業界や飲食業界が『学習』して、短期間の小手先支援では意味が無く、かえって逆効果であることに気が付いたからかもしれない。
 拙速な緊急事態の解除は次の波を呼び、立ち直りかけた営業がすぐに元の自粛に戻らざるを得ない経験を繰りかえして、本格的な対策が必要だと、自分たちの目の前の事だけでの『陳情』は逆効果だと気づいたのかもしれない。

恐ろしいこと

 上記のような理由で、岸田政権になってから変化したのなら良いのだが。

 恐ろしい考えが浮かんだ。
 安倍は権力掌中の能力には長けているが国政を行う能力が無いのではないかという恐怖である。
 最大派閥の長となった安倍には、そして、それを支援する派閥の長である麻生には、頂点に立つという権力掌中の能力はあるのだろう。

 しかし、国政に望む能力はあるのだろうか?

 一例が自衛隊関連の憲法改正に前向きである安倍の姿勢である。
 仮想敵国が怖いから自分が武器を持ちたいという原始的な恐怖が基盤にある感がする改正案である。
 傀儡である高市も同じ『タカ派的な』思想であり、根本には『力への信奉』があるように見える。
 敵が怖いから潰してしまえ。敵が武器を持つなら自分も武器を持ちたい。

 戦国自体や、昨今では冷戦時代であればまだ通じた『原始的な恐怖を基盤とした対応策』である。
 しかし、世界各国、時には仮想敵国とも貿易を行い、既に農産物では外国が無ければ飢餓に陥ってしまう日本に、武器を持って脅かして従わせる方策が有効なのだろうか?

 少し話がズレるかもしれないが、
・貿易の失敗は産業界の無能の証拠
・外交は貿易の失敗のしりぬぐい
・軍事力強化は外交の失敗度合に比例する
・そして、戦争は外交の失敗 政府の無能の証拠
という連鎖は無視できない流れである。

 繰り返すが、仮想敵国も含んだ貿易でかろうじて生きている日本が軍事力を強化しても全く意味が無い。
 軍事的な対応策よりも、貿易、そしてその背景の産業自体の強化と海外支援の強化の方が効果が大きい。

 軍事力は一時の安心感をもたらす(一部の人たちだけだろうが)手っ取り早い劇薬のようなものである。副反応・副作用が大きすぎる。
 政治とは目先ではなく長期展望の下に、自国の安全のために展開すべき行動である。
 その中には自国の安全のためには他国を繁栄させるという手法も含まれる。金持ち喧嘩せずである。
(今の中国は、金『だけ』持ちであるから異なる)

 これを安倍は考慮できているのだろうか?
 単に『論語読みの論語知らず』に終わっているのではないだろうか?

 最大派閥となり、これで『安倍が考える正しい方向へ』国政を牛耳られると考えているかもしれない。
 しかし繰り返すが、権力掌握の能力に長けるが政治遂行の能力には欠けているのではないだろうか?
 あるいは原始的恐怖のみで行動しているのではないだろうか?

 もしそうであれば、これは大きな恐怖である。

コロナ対策がこれほど遅れたことからは
 安倍の政治能力の無さが感じられる
 安倍の憲法改正案からは
 本能的恐怖で判断が行われる可能性を感じる

 これは恐怖である

bye

ありがとー