ワクチン接種率の境は何%?

 いわゆる閾値として、素人の恣意である。
 本格的なワクチンの効果が始まる接種率の割合=%を恣意した。
(私は『恣意』を広く解釈して、自分勝手な、そして、無責任な考え=名詞か、考えること=動詞、そして 形容詞ほか諸々 としている。つまり間違った使い方だと言われても無視する ハハハ)

 人口の約30%は65歳以上の『高齢者』である。
 初期のワクチン接種は医療関係者と高齢者を主な対象としている。
 それに反して、感染の大きな要因とされている『人流』の大半は若年・中年・壮年層であり、10代後半から50代までである。

 少し脱線する。
 20代の外飲みが問題視されているが、中年・壮年層の『感染症に対する無知と無防備』さは、20代と同等、いやそれ以上である。
 それ以上?
 中年・壮年層は家庭持ちが多い。そして、高齢者との同居率も高い。
 特に東京においては顕著である。
 東京で高齢者と同居している20代前半の者はわずかな割合でしかない。
 つまり、中年・壮年層は『家族や親に感染させるリスクを無視して』飲み歩いている。
 20代以上に責められるべきだと恣意する。
 少なくとも、飲み屋で飲酒している彼らに対する批判は、外飲みの若者の批判と同等、いや同等以上に行われるべきだろう。

 さて、道に戻って 接種率の境目は? と恣意した。
 前述したように高齢者は30%である。
 30%を過ぎると、感染の根源とされている『人流の主体』の20~50代に接種が始まる。(おー 単純。医療関係や職種・・・30%は単純すぎる)
 単純さについての 批判的な私からの意見 は無視して、ここは30%が『境の目安』だと恣意する。

 集団免疫が確立するのは、さらに上の70∼80%と諸説ある。
 上記の『高齢者率から単純に設定した』30%は集団免疫が、つまり、人流が増大しても感染が拡大しない状況になる値では『ない』。
 あくまでも『道しるべの一つ』である。

 大規模接種会場は『接種券を持参できる』ことを前提として、対象年齢を若年層まで下げたから、30%の根拠はさらに薄くなった。

 しかし、東京の30%は一つの目安になると恣意する。
 現在の推移から30%達成日は約一ケ月後以降と恣意する。
  ( 恣意 が多すぎる。 私の自己防衛本能だろう)
 単純に東京の上昇率を線形で外挿したものである。
  (オリンピックが始まってしまう~~~)
  (パラリンピックはどうなるの~~~)


 デルタ株などもあるから、くどいが『30%は目安の一つ』である。
 デルタ株などを考慮すると、ワクチンの有効性の低下などの考慮も必要で、『今後とも注意して観察を続ける』しかないのは明白な事実である。

 もっとも、ペスト他からの苦い経験から取得した『新しい未知の感染症』に対する心構えとしての『決して楽観しすぎず、悲観しすぎず、厳格に対応を続ける』ことが常識である。
 (ペストの国家的トラウマがあるヨーロッパ各国民は病的に対応し、アメリカ国民が楽観的なのは興味深い)

 30%を目安の一つとして、最低現『三密回避』を心に刻みつけながら今日以降に『私は』臨む。
 小学生を手本とした愚直な『新しい生活様式』を続ける。
 敵は政敵でも出世競争相手でも商売敵でもない。
 冷徹な生物学と数学と統計でしか記述できない『自然現象』なのだから、自己防衛を続けるしかない。
 政局対応だけの政治家と、保身役人には絶望している。
 敵は『自然』であり、政敵・票田・支持率・転職先・出世ではない。

bye


ありがとー