ヤンチャなKくん

2年前の冬のある日、私が当直する日にK君は救急搬送されました。急性前壁心筋梗塞でした。とっても痛がっていて、カテ室でもずっと、「せんせ、痛い、痛い」と。ずっと唸っていました。
ステント置いてTIMI3で終わった頃には、「うん、もう大丈夫」とニコニコしてました。心不全や不整脈、その他の合併症も無く元気に退院できました。

君の人生は、僕の想像を絶するものでした。
精神遅滞を理由に親から捨てられた君は、一人で小さい頃から生きてきました。いろんな人に助けられてもらい、最終的に作業所で働くことにまでたどり着きました。もちろん、ご多分にもれず、思いっきりヤンチャな男の子でしたね。ただ一つ、家族性高コレステロール血症という重病を持って。

君には理解できなかった、なんのことだかわからないままに、夜中に恐ろしいほどの胸痛で気付かされたわけです。
「せんせ、おれ、けっかん悪いの?」
「大丈夫、ちゃんと、毎月注射しにきてね」
なんて、話しながら、付き合いが始まりましたね。

毎月毎月、タバコをやめないとダメだよ!なんて言うと、
「大丈夫、せんせに診てもらってるから」と
「クスリ、オレ、飲んでる」
なんて言いながら、毎月、両耳にピアス5個ほどのリングと、腕にはジャラジャラリングをはめつつ、
タバコくさい君は、周りで暴言を吐くのに、私の前では、本当にかわいい『こども』だった。

「いいよ、せんせに、聞くから!」と、いつも外来の前でいざこざがあるんだけど、
その都度、私が出て行って「どしたの?」と聞くと、「あ、せんせ」と、君はニコニコ。
その顔を見ながら、この子の面倒をずっと見ていこうと決めました。
外来に来るたびに、聴診をする度に、タバコ臭いのだけど、
なんだか、気になる子どもだった。。。

ある時、初めて外来に来なかった。
電話連絡してもつながらなかった。嫌な予感がしてました。
そんな事はないと思ってました、まさか、ね。また、君は外来に来てくれると思ってました。
だって私を。。。

それから数日後でした。
君とは二度と会えなくなったと知ったのは。
聞けば、ずいぶん日が経っていたらしく、発見時すでに、冷たくなっていたらしいですね。

君はまだ40歳になったばかりだった。
まだまだこれからなのに。
若いスタッフが私に気を遣い「仕方ないですよね、先生」と声をかけてくれました。
何が?と思いました。
仕方ないって?私は、医療の負けだと感じました。仕方ないなんて事はなく。
病院勤務を良いことに、フォローアップできなかったのです。
こんなこと、日常茶飯で「いちいち。。。」とでも思えないのです。

主治医が私でなければ、もっと、良い人生が送れたかも知れないですね。
もっと医療サービスが適切であれば。。。
風体が不良そのものの君を診るのは院内で私しかいなかったのです。
申し訳ない、すまない。
ごめんな、本当に。
本当に残念で仕方がない、K君。

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