見出し画像

福はうち!鬼はうち!

今年は、本日2月2日が節分。

教祖宗忠神の在世当時(江戸時代)のお話を共有させていただこうと思う。その時代は、疫病などお互いの命を脅かすものが今よりも多い時代だったこともあり、『鬼は外』の掛け声で街中で豆まきが行われていた。

ある年の節分の日、宗忠の家内でも豆まきが行われ、終えられた奥さまに対して「今年は、格別に有り難かった」とおっしゃった。何が格別かというと、『福は内、鬼は外』と言っていたはずが、いつの間にか『福は外、鬼は内』になっていて、それが実に面白くて格別に有り難いと思われたとのこと。

そこでこのような和歌が詠まれた。

鬼追わず 福を求めず 我はただ
  追われし鬼を 福にみちびく

「今夜はどの家からも鬼は追い出されて寒さで震えていることだろう。一軒ぐらい温かく迎え入れる家があってもよいではないか。また、どの家も福を取り入れようと懸命になっているが、それではせっかくの福も少なくなってしまい、結局は、ほんの少ししか来ないことになろう。一軒ぐらいは福を周りに譲る家があってもよいではないか。心配はない。もしも鬼が内に入ってきたら、その鬼を福に導いてやろう!

このような受け取り方をした宗忠の思想は現代にも非常に繋がると思う。

福はうち!鬼はうち!

江戸という時代背景に想いを寄せると殊更に素晴らしいことだと思うし、"鬼" だからといってむやみに追い払うこともしなければ、必要以上に "福" を求めず惜しみなく他者に与える、何事をも「活かし上手」になるための姿勢を教えられる。

さらに、追われてきた鬼を福へ導くという、とても大らかで、優しく寛容な心構えを見習っていきたい。

これが、黒住宗忠の「まること」の世界観。

鬼のような一見嫌な存在があったとしても、排除や分断をするのではなく、歪みや偏りのない調和のとれた「まるい状態」と、全てが受け容れられる、天地自然元来の循環的な「まるい働き」が肝心だという教え。

新型ウイルスのへの心配は絶えませんが、どうか心身を痛めることなくお過ごしになることをお祈りしています。素敵な春をお迎えください。(明日3日が立春)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?