あっち側とこっち側

飲み会がだるいとか、飲み会で騒いでいるやつとは仲良くなれそうにないとか、文化祭でステージに立つような側じゃないとか、そう思ってきたけど、どこかで、また違う人と行けば飲み会は楽しくて、だるいどころか自分が騒ぐ側になっちゃっていて、文化祭でステージに立ってしまう側にいるんだと最近思う
文化祭でステージに立つ側をどこかあこがれていて、ステージに立つ勇気がないからこそ、ステージに立つやつをななめに見るしかなかったんだなと今になって思う

でも、どちらかというと自分も飲み会は楽しんでいく側だし、なんなら2次会も視野に1次会に向かっている時も往々にしてあるのを考えると、飲み会が嫌いとか、飲み会で先輩の話に付き合うのがめんどうとか、なんで飲み会などという時間の無駄遣いをしているんだという考えになるこっち側ではなく、飲み会を楽しめてしまうあっち側にいるんだなとひしひしと感じる。

最初から飲み会を楽しめるこっち側だったかというと子供のころから地域の大人と一緒にご飯をしたりBBQに参加したりするのが楽しかったことから、こっち側になれる要素はあったかもしれない。

しかし、すべての飲み会が楽しいわけではなく、飲み会での立ち回りを考えたり、この話とこの話をしたらいいかなとか、トイレに行く度に次の話題を考えたり、座る場所を考えてどの方が話が盛り上がったり自分が居やすいかを考えていた。最近になっても席のことは考えるけど
それに加えて、自分が知らないイベントで盛り上がっていたり、違う部活の人が騒いだり、盛り上がっているのを見ると何盛り上がっているんだろ・・思う。何してるんだろ?みらいなメタ的な思考をすることも往々にしてある。

自分はあっち側とこっち側のどちらにでもなれる。どちら側にもなってきた。
あっち側になれる時は、自分が心を開いていられる人が大勢いられる心理的安全性が高い場所に自分が居れる時であり
こっち側に収まってしまいそうな時は、自分が知らない人や自分が心を開いている人がとても少ない時、心理的安全性が低い場所に自分が居る時なのではないかと考える。
そして、あとは自分の気分とテンションかなと
自分が受け入れられていると分かればあっち側になれ、自分が受け入れられるかわからない、自分が受け入れられていない時はこっち側になると思う。

つまり、人なのではないか と思う
内輪ノリができるのかできないのか
身内がいっぱいいるか身内が少ないのか

だから自分は少しずつ身内を増やしていきあっち側になれる場所を少しずつ拡大させていく作業をしていきたいなと思う

あっち側にもこっち側にもなれる要素を持っているからこそ、あっち側になれる場所を少しずつ増やしていきたいなと思う
あっち側になれる場所であれば、飲み会はだるくないし、人に挨拶するのも楽しくなる。逆に言えば自分の気分が乗らなければ簡単に断れて、生活が良くなるのではないかと思う
あっち側になれる場所、つまりあっち側にしてもらえる人と出会えるかが今後の人生を楽しむ鍵だと思えてきた

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