人工知能みたいな学習してる

意思がないと言われる。意思もちまくりマンからすれば「あの人は自分を主張しない」ということになるのかもしれないが、そもそも自分なんてないので主張のしようがないのである。

「夜ごはん何食べたい?」と聞かれても、自分の意見を言うのは難しい。
自分一人のとき、食事は少ない金額で効率よく栄養をとる算数みたいなもので、そこに「食べたい」なんていう感情は存在していない。

この前、なんとなく「ピザ」と答えて食べたら、昼食もピザだったのを後で思い出したということがあった。「食べ物=ピザ」という認識は頭に残っていたが、「食べたい」や「好き」という自分の意思はないので、反射的に夕食に選んでしまったらしい。

めったにないけど、一緒に食べている人が「おいしい」と言ったら「これはおいしいんだな」となるし、「好き」と言ったら「これが好きだな」と思ってしまう(ちなみに味覚はけっこう敏感なほうだと思う)

自分の意思がないと、人の下で働くのは楽だったりする。大学みたいな個性の強い人の集まりでも、全員と仲良くやっている。常に相手の意思をそのまま受け止めていれば、すぐに相手が次に何を言うかだいたい予想がつくようになるし、どのように応えればよいかもわかるからだ。

この歳でほぼ起こりえないことだけど、もしすごく怒られたとしても「この人は怒っているな」とは思うが、それによって自分に何か意思が生じることはない。解決の方法を考える必要があるかなとは思う。

なんだか人工知能みたいな学習をして生きているなと思った。


じゃあ初対面の人と話すのが苦手なのかというと、全然そんなことはなかったりする。
よくわからないけど「これは仕事だ」という感じになって、上手いことやれているのだと思う。そんなにストレスはない。

緊張というのも全く経験がなく、重要な場面だろうと大勢の前だろうと目の前のことを仕事だと思ってやるだけである。わからないなりに10回に1回くらいは「めっちゃ緊張しましたわー」とか言ってみることもあるが、その次が上手いこと続かないのですぐにやめる。

緊張とはちょっと違うけど、テレビとかラジオとか出てアナウンサーの方と並んで話すと、自分の小ささを感じて気後れする。
聞き取りやすい話し方もリアクションも気配りもすごくプロだなと思う。尊敬する。

向こうもこちらが話しやすいように気を遣ってくれているんだろうけど、その気遣いは社会的で意思があるように見えて、自分のやっていることのしょうもなさを実感してしまう。


さいごに、人と食事をするのがつまらないかと言うと、全くそんなことはない。むしろ楽しいと思っていることは多い。もちろん相手によるけど。
相手が「おいしい」「好き」と思っているのはとても素晴らしいことだし、その横に居させてもらえるのは実はすごく嬉しい。

自分の意思がないので、家から連れ出していろんな学習をさせてくれる人がいないと、どんどん生き方がわからなくなってしまう。こんな自分を誘ってくれる人には、間違いなく自分の意思として感謝しているし、自分の意思として好きだと思っている。

それでも「夜ごはん何食べたい?」と聞かれると答えに詰まってしまい、そのときは人工知能のくせにとても心が痛み、この先も同じことを繰り返してしまう未来を想像して、少し絶望する。

おわり。

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