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【映画】ヴァトレニ-クロアチアの炎-【YFFFオンラインシアター】

こんばんわ初見です。

ヨコハマ・フットボール映画祭という、世界中のサッカー映画を上映する最強イベントがあり、コロナのあれで開催できていないんですけど、オンラインシアターをやってくれています。

公開作品は以下の10作。

神イベントが再開できるように少しでも支える意味でも、ガンガン課金していこうという企画、2作目です。

前回は『ワーカーズカップ』という、カタール・ワールドカップのスタジアムを建設する肉体労働者たちを集めたサッカー大会の話。


今回はエドソン・ラミレス監督『ヴァトレニークロアチアの炎ー』(2018年、クロアチア・メキシコ)という映画です。以下、映画祭noteより。

『ヴァトレニ -クロアチアの炎-』
🏆YFFFアワード2020 グランプリ

サッカーは人々を結びつけるが、時に社会を分断することもある。
ユーゴスラビア連邦からの離脱の引き金となったマクシミールスタジアムでの暴動、泥沼の独立戦争、そして初のワールドカップでの国民の期待と歓喜。。。
激動の日々を過ごしたクロアチア代表の監督、選手たちが重い口を開いた。

ユーゴスラビア紛争を、当時の選手たちの証言をもとに描いた映画です。ヴァトレニっていうのはクロアチア代表の愛称。スタートはこの試合。

のちにクロアチア代表のエースとなるボバンが警官に飛び蹴りして9か月出場停止になったことは割と知られていますが、映像を見ると想像と違いましたね。警察もめちゃめちゃで、先にボバンに殴りかかってる。

話としては知ってたけど、試合中にサポーターがピッチ内に入ってきて殴り合ってるとか、映像で見ると「マジでこんな状態で試合してたの?」って思います。

あと、映画のなかではサッカーの試合が内戦のきっかけみたいな言い方してますけど、もちろんこれは文字通り受け取ってはいけないでしょうね。


ユーゴ紛争とサッカーについては、日本でもそれなりに知られているでしょう。2006-07年に日本代表監督を務めたイビチャ・オシムがユーゴスラビア代表最後の監督で、彼の経験がよくメディアに取り上げられていたので。最近だとハリルホジッチもいましたね。

いま僕は大学院でサッカーの歴史とか文化とかを研究してるんですが、最初に興味をもったのはユーゴスラビアでした。

地域クラブの取材で有名な宇都宮徹壱さんが、ユーゴのサッカーを取材してまとめてる。よかった。読んでほしい。読んだのは高1のときなので当てにしないほうがいいという考えもあります。

他にも木村元彦さんが、オシムやこのまえセルビア代表の監督として対戦したストイコビッチを中心に当時のユーゴサッカーを書いてたり。この辺もおすすめです。


なんかアフィリエイト記事みたいになってきた。サッカー本を読むのが仕事だし、このテーマは一番思い入れがあるので仕方ない。

オシムはボスニア(クロアチア系だし、セルビアのクラブの監督だし、国で分ける意味があるかはわからん)、ストイコビッチはセルビア、この映画はクロアチアですね。歴史を知らないと、何のことやらわかんないかもしれないですけど。


僕自身、社会科の教員とかもやってたんですけど、ユーゴスラビアの歴史はそんなに知られてないですよね。世代によっては2chの「戦争の体験談語るわ」っていうスレで知ってるかもしれない。

何が起こっていたのか知っている前提で、スタジアムから描きなおすという映画なんですけど、そこらへん詳しくない日本人には理解が難しいかもしれない。知らん外国人の証言ばかりの映画、知識がないと退屈じゃないですか。

ユーゴスラビアがどんな国だったのかは、調べてから見たほうがいいと思います。第2次大戦後は、社会主義だけどソ連とは距離を取っている国家、「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字を持つ、1つの国家」と表現される多民族国家。

このような複雑な国家で長年リーダーシップを取ってたチトーが死去し、世界情勢も冷戦終結へと向かっていった1980年代、ユーゴスラビア内の民族にも独立の機運が高まって、最初に独立を宣言したのがスロベニアとクロアチアでした。

その後、マケドニアとボスニア・ヘルツェゴビナも独立を宣言し、ユーゴスラビアに残留するセルビアとの間で激しい内戦が起こって、これが映画の最初のあたり。民族ごとの共和国があるって言っても、たとえばクロアチアにもセルビア人の多い地域もあるわけで、そこら辺が内戦が悲惨になった一因とされています。

オシムが監督をしていたサッカー・ユーゴスラビア代表からも、どんどん選手が抜けていき、内戦が激化した1992年EUROの直前に国際大会から追放されてしまう(チームが分裂していなければ優勝候補だったとされる)。

1995年になってようやく一応停戦するわけですけど、もちろん簡単に平和は訪れない。1998年にはセルビアの中に残っていたコソボの独立運動が激化、2008年に独立を宣言するも国連加盟は実現していない(FIFAには加盟)など、今でも問題は山積みという印象です。

そう考えると、1998年フランスW杯は日本が初めて参加したW杯だったわけですけど、グループリーグで対戦したクロアチアにとっても特別な大会であったことがわかりますね。このあたりは映画の後半で描かれてる。


難しい話です。サッカーファンとしては、もし全盛期のユーゴが内戦で分裂しなかったら…なんて無責任に考えてしまう。この映画は、クロアチアの立場から作られているので、ユーゴスラビアに対して否定的です。さらに、最後に言及があるんですけどクロアチアのなかにも派閥はあって…とか考えると、もうわかんないですね。

クロアチアの目線でユーゴスラビアを見たのは初めてだったかもしれない。複数の映画や本を見て、いろんな方向から考えてほしいですね。この問題は終わってないので。


最近だと、この本を読もうと思って、ずっと放置してしまっている。読みます。(ちなみにこの映画の字幕は、映画祭が自前でつけてて、翻訳監修をこの本の著者の長束さんがやっています)

記事公開前にクロアチアのところだけ読みました。ボバンの飛び蹴りを題材に、これまでいろんな人が色々書いてるけど、そもそも民族とか共和国とかで語ること自体が危ういよねという話もしている。


次の映画はユーゴつながりで、『ZG80-だからアウェイはやめられないー』にしようと思ってます。

やっていきましょう。

追記:以下のマガジンにまとめてます


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