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GLAY第304曲『ゆるぎない者達』を徹底解剖してみる

もっと色んな人に聴いてほしい隠れた名曲は何かと問われれば、私は迷いなく「ゆるぎない者達」と答える。
"一番好きな曲は何か"という問いとは少し違って、(いやもちろん「ゆるぎない者達」は私の好きな曲10選には入るのだが)"もっと色んな人に聴いてほしい曲"という問いに含まれているニュアンスは、まず普遍的な良曲であることと、さらには曲の認知度が曲の質に追いついていないということ、これらを兼ね備えた曲を引き出したいという想いがあると思う。
つまり、私は「ゆるぎない者達」こそが、普遍的に多くの人が好きになるだろうし、それなのに全然有名ではない曲だと考えるのだ。
とはいえ、賢明なGLAYERの皆さまからは、"いやいや、全然隠れてないぞ"とか、"良い曲なのはみんな知ってるよ"といった声が聴こえてきそうで、もはや今回の記事など釈迦に説法、否、JIROにメトロノームだと思うのだが...。

曲は極めてシンプルである。コードはC調で転調なし。構成はA→B→C、A→B→C、B→C→CというJ-POPの王道。アレンジも気を衒った部分はひとつもない。さらには歌詞までもストレートなラブソングという実直さ。それなのに、こんなにも私の心を掴んで離さないのは何故だろう?

ひとつには、2002年という時代性があるのだろう。
前年にテロが起きて社会情勢も変化し、
この頃は日本の音楽の在り方も大きく変化した。ロックブームは過ぎ去り、バンドは解散し、CD業界の売れ行きは落ち込んだ。まさに激動の時代だった。
GLAYは、99年の解散の危機を乗り越え、2000年のベストアルバム発表を区切りに、音楽活動の方向性を大きく変更した。「GLOBAL COMMUNICATION」や「ひとひらの自由」「Way Of Difference」といった、今までのGLAYにはないサウンドを追求し、音楽性の振り幅を拡大していった時期だ。GLAYにとっても激動の時代だったのだ。
そんな中、何の変哲もないラブソングという意外性。懐古性。そして、安堵。
情勢不安のなか、人が求めるものはやはり身近な愛なのだという気付き。愛こそ、すべて。奇しくも4年後にTAKUROが見出すことになる"LOVE IS BEAUTIFUL"という概念が、すでにここに先行して存在していたのかもしれない。

また、さまざまな物が移り変わる諸行無常の世の中で、決してゆるぎない物、それが愛であり、これから愛を育もうとする2人を"ゆるぎない者達"と表現したのは、2002年を取り巻く情勢ゆえであると捉えることもできる。

メロディはこの上なく美しいが、どこかインパクトには欠ける。それが「ゆるぎない者達」が、90年代にリリースがされなかった要因なのだろう。余談だが、2021年にリリースされた「FRIED GREEN TOMATOES」は、90年代から存在していたとのことだったが、インパクトの問題で長年お蔵入りとなっていた。余談に余談を重ねると、結局98年にリリースされたのは「FRIED CHICKEN & BEER」で、当時がいかにジャンキーで、現代がいかにヘルシーかが分かる良い例だと思う。
なにはともあれ、リリースするものにはインパクトが求められた90年代を過ぎ、GLAYが独自の進化を遂げようと模索するなかで世に出された「ゆるぎない者達」。そんな道のりを想像するだけで、この曲への愛情がより一層増すのである。

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